2012年7月14日土曜日

世界のノートルダム・スピリット

昨日は、ノートルダム教育修道女会(School Sisters of Notre Dame  以下SSND)のサマープログラムの一環として、海外からのシスター方が5名、本校をご訪問され、先生方や生徒たちと交流されました。4名は米国各地から、1名はアフリカはナイジェリアからお越しになりました。5名のシスター方は、どこに生きていても、ノートルダムがキリスト・イエスの教えた生き方を貫く共同体であることを、私たちに伝えてくださっている、私はそのように感じます。

シスターポーリッサはマンケートで識字教育に携わっておられますし、シスターシンディーは現在ミルウォーキーで高齢者に関わるお仕事に、シスターテレサはメリーランドの本校の姉妹大学であるノートルダム大学でフランス語をご担当、シスタージョンはミルウォーキーの、同じく本校の姉妹大学であるマウントメリー大学の副学長です。そして、アフリカはナイジェリアからのシスターメイベルは、あちらのノートルダム女学院高校の校長先生でいらっしゃいます。ノートルダムの豊かな広がりを感じます。

朝8時15分の本校の職員朝礼でご挨拶を頂いた後、午前中本校生徒が期末考査最終日でテストに取り組む間、本校の敷地内にあるお茶室で裏千家茶道を楽しまれ、その後、修道院として6年前までシスター方の居住されていた歴史的建造物である「和中庵」をご見学。皆さん既に非常によく事前学習されていて、この建物が大正末期、1926年に建立されていることも、その中のお一人はご存じなのには驚きました。シスター方は、日本の伝統的な建造物の黒光りする廊下を静かに歩きながら、同じスピリットで生きた日本の姉妹会員たちへの、往時の暮らしに想いを馳せておられるご様子でした。ランチまでに少々時間があるので、徒歩10分のところにある法然院にお連れしました。本堂近くの方丈では、たまたま珍しく現代美術の展覧会が開催されており、この機会に私自身も普段は機会がなかった空間に入らせて頂くことができ、あの空間が放つ凛とした静寂さにシスター方と共に「京都」を感じ、感動しました。

午後は生徒たちによる交流の集い。風呂敷の使い方のプレゼンテーション、また、この春に東北にボランティアに行った3人の生徒たちによるレポート等、力作続きの歓迎で、シスターたちからお褒めの言葉を頂きました。グループごとにシスターお一人ずつ入っていただき質問大会もしましたが、ナイジェリアのシスターメイベルのグループでは、いつの間にか皆が踊りだすなど、全員がかなりの盛り上がりを見せてくれました。




その後、聖堂を訪問し、講堂で行われている剣道クラブの見学へ。さすが、日本のマーシャル・アーツの代表、威勢のよい雄叫びと熟達した竹刀捌きは、見る人の心を捉えたと確信します。



私にとってこの日は、ノートルダムが世界に共有するスピリットの広がりの豊かさを感じる一日となりました。生徒たちの若い日々に、世界を感じ、学び、体験することが非常に大切なことは言うまでもありません。でも、最も大切なものは、語学力でも知識でもなく、神から授けられた命を有限の存在として生きるための、生涯を貫く価値観です。これをきちんと携えて生きることは、すべてを凌駕して自分が世界のどこに生きても、人として尊ぶべきものを心から尊び、きちんと向き合って対話し、そこから生まれる共感を育み、自分の心とからだを使って行動していくことにつながります。これが、ノートルダム教育がゴールにしている大切なミッションです。今日、私たちが出会ったシスター方は、そのことを私に再認識させてくださいました。私たちの日々のノートルダム教育は、世界に通用する価値観を育む教育なのです。

最後になりましたが、本日お出会いした5名のシスター方への感謝と、これからのお一人おひとりの使徒職に、神様の祝福が豊かにありますように心から祈っています。





2012年7月11日水曜日

生かし合って生きている (2)

7月10日の続きです。



あるとき、あと3日で出発という時期に、私は相変わらず憂鬱な気持ちになっていた。短大での仕事も一杯残っている。そして何より子どもにつらい思いをさせてまで続ける価値がある研究なのかとすら思うほど、落ち込んでさえいた。そこで、研究室に来ていた3人の学生のうちの一人が、そんな私の心境を知っているはずもないのに、こう言ってくれたのである。「先生、子どもさんも夫もいらっしゃって、イギリスに行かれるのは大変だろうと思うけど、先生がそれでもがんばっておられるのは、私たちにはとっても励みになるんです。私もがんばらないとな~って自然に思えてくる。」
 

琴線に触れる、という言葉があるが、まさしく私はその時、私の心の秘められた場所で、この学生の言葉を受け止めた。そして心が揺さぶられ、涙が溢れそうになるのを、何気なく顔の向きを変えて押さえるのが精一杯だった。立ちすくむ自分の背中を今、優しく押してもらった気がした。強がっても仕方ないと思った私は、学生にその時本音を言った。「私ね、本当はつらいと思っていたの。あなたたちがそう言ってくれるまで、つらくてやめたいとすら実は思っていたぐらいなのよ。でも、やっぱりやめないわね。がんばるね。今日、ここに来てくれて本当にありがとう」と、その時、私は教師が学生に話すようにではなく、励ましてくれた人に向かってお礼を述べるように話した。
 

自信に満ちているような姿をみせていると思ってはいたけれど、実は、学生たちは、私の言わない部分も知ってくれている。それも全部ひっくるめて私を優しく受け止めてくれている。私が今日ここにいるのは、そのようなきらめく一瞬の出会いの積み重ねがあったからかも知れないと感じる。「みんなお互いに、生かし合って生きている」ということは、実は教師としての私が、感謝とともに学生に伝えられる最大のメッセージかも知れないと思う。

2012年7月10日火曜日

生かし合って生きている (1)


皆さまには、私のバックグラウンドをまだ紹介する機会がなかったかも知れません。学校で直接、保護者の皆様にお話する時には、折にふれて私の自己紹介をする機会がありますが、ブログではまだ一度もそのチャンスがなかったと思います。昨日、プロフィールをアップしましたので、またお時間があれば覗いてみていただければと思います。

私は2008年4月にここ母校に戻ってくるまで、聖母女学院短期大学という京都市伏見区にあるカトリックの短大に17年間奉職していました。25歳で2年間、米国に留学し、帰国して翌年から2008年まで、つまり人生の20台後半から40台の半ばまで過ごしたこの場所は、大人としての私の基底部分と、社会人としての私の多様な側面を育ててくれたと言っても過言ではありません。まさに、かけがえのない、そして愛してやまない職場です。私の人生において数々の記念すべきイベントも、この職場と共にありました。専任講師として着任して一年目に結婚し、その2年後に長男を出産、その2年後に次男を出産、それから4年後に在外研修で家族と共に渡英しました。5月中旬のブログで分かち合った、生涯の師として仰ぐアンセルモ・マタイス神父様も、この頃に学長に就任されています。

同僚にも恵まれ、研究仲間として励まし合い切磋琢磨し合いながら、共に激動の大学改革の時代を生き、将来構想、改組改変等々、あの頃にしかできない仕事を一緒に夜遅くまでやった仲間たちは、今でもかけがえのない友人たちです。

あの頃に書いたエッセーの一つを、ご紹介します。少し長いので2回に分けます。




忘れられない一瞬というものがある。研究室で、普通に学生と会話しているはずのその時間が、生涯においてかけがえのない、きらめく時間となることが多々ある。その内の一つを分かち合いたいと思う。
 教師とは、常に学生に何かを与える存在であるはずだ。常に存在そのもので彼女らを力づけたいし、糧となる言葉を与えたい。励ましとなる何かを受け取ってほしい。日々授業で、研究室で、学内外で、そんな「教師」でありたいと思っているのは私だけではないはずだ。そんな私は、学生たちの視点では常に、自信に満ちているようにみえ、強い意志をもち、逆境にも屈せず、明るく前向きに生きている栗本先生と信じられている。おそらくそれは、パーフォーマンスではなく、本当の私の一部であるかもしれないが、無論、私のすべてではない。
 ここ数年、イギリスの母子関係をテーマにして研究を続けている都合上、年に少なくとも一度は渡英することを余儀なくされる。渡英前の慌ただしさは、向こうでの研究の為の事前準備が、短大での業務のただ中に入り込んでくることから始まる。自宅の扉から滞在先の扉までおよそ24時間かけて到着したイギリス国内では、限られた時間にいかに効率よく仕事をこなすか、そのタイムテーブルとの戦いでもある。からだの疲れなどカウントしている間もない。そして24時間かけ帰国、時差ボケと共に残務処理に忙殺されながら、短大での日常の再開。ここまでなら、まだ自分のことだけなので何とかなる。どんなに苦しくとも、自分の研究生活なので文句もない。しかし何よりもつらいのは、この生活に家族を巻き込むということ。このテーマで研究を続けて7年が経つが、子どもがまだ小さかった頃は、たとえ一週間でも、私が出張することを、彼らは言うまでもなく嫌がった。早朝、戸口で泣きながら見送ってくれる子どもたちの姿を、振り返って見ようとすればもう行けなくなると知っていた。
 そんな一連の英国出張に伴うストレスフルな心境は、もちろん非常に個人的なことなので、学生たちに話したことはなかった。
この続きは明日に。

2012年7月7日土曜日

いのちと向き合うということ(2)


7月6日の続きです。バスに母娘が乗っていたところ、2人のご婦人が正面に座られた。

しばらくしたら、その2人のご婦人は、手話で会話を始められたのです。目の前でそういう光景が展開され、A子さんがそれを見ていることに気づかれたお母様は、「耳の不自由な方々が、一生懸命会話しておられるのよ、ジロジロ見てはいけません」とおっしゃったそうです。お母様は、正面のお二人を気遣って、思わずそうおっしゃったのでしょう。そうしたら、A子さんがそれを受けてこう言ったそうです。「ジロジロ見てたんじゃないよ。じっと見てたの。私も手話を習えるかなと思って」と。お母様はハッとなさったそうです。この子の「じっと見ていた」という表現に、お母様は、通り一遍のことを言っている自分に気づかれた。「じっとみていた」そこに込められている思い、それは相手への肯定的な関心であり、「共感」であり「共に生きる」ことに対する欲求であったと。そして、そのお母様は井上先生にこう言われました。「子どもは私をつきぬけていきました」。

私たちは障がいをもっておられる方について、こどもたちに様々なことを知ってほしい、考えてほしいと願っています。そしていろいろな取り組みを行ってもいます。でも、この子どもは既に、「共に生きる」ことがどのようなことなのかを知っている。どうしたら私も、耳の不自由な人と一緒に話すことができるのだろうかと一生懸命問いかけながら、「じっと」見ていたのです。私はこの子どものこの生き方に感動します。「ジロジロ見る」と異なり、「じっとみる」は、温かさを感じるまなざしです。その人に向き合う、その人に寄り添う、その人とつながろうとする。その人の真の隣人になっていこうとうする決意の表現です。A子さんがきっと何気なく使ったそのことばは、実に多くのことを含む愛の表現だった。そのお母様が井上先生に分かち合ってくださったことに感謝します。そして井上先生が私たちにこのことを分かち合ってくださったことに深く感謝します。

私たちは、大人の一方的な「こうあるべき」という理念を信じて伝えがちです。でも、子どもたちは、それぞれの迸る感性で、もしかしたら、私たちを「つきぬけて」、真実をつかみ取る心をすでに授かっている存在なのかもしれません。大人は、その発芽をただ大切に見守ることに失敗してはならないのでしょう。それが、「いのちと向き合う」ことを穏やかに育てる教育なのかも知れません。

2012年7月6日金曜日

いのちと向き合うということ


先週は、全国カトリック学校 校長教頭の集まりが京都でありました。北は北海道北見から、南は鹿児島まで、全国カトリック小中高で合わせて80校以上の校長たちが一堂に会しました。テーマは「いのちと向き合うカトリック学校」、特に昨年3.11以降の東北の子どもたちの様子がとても気になっていたので、そのあたりも直接いろいろお話が聞けたらと希望していたら、会場前では模造紙20枚にわたって、被災地の子どもたちが震災前後から今日までの振り返りを書いたものが展示されていました。東北の子どもたちの肉筆から伝わる思い、家族や友人への心を直接目にすることができ、非常に貴重な機会でした。

集まりでは、カトリック学校の様々な方面の取り組みや、教育観の分かち合いが行われました。その中で、今日から明日にかけて、ご本人のお許しを得て、京都聖嬰会の前施設長でいらっしゃった井上新二先生のお話の一部を分かち合いたいと思います。先生の非常にやわらかな物腰と温かいお声に運ばれたメッセージには、「いのち」に向き合って生きるとは何なのかについて、深い示唆が含まれていました。

井上先生が、まだ公立小学校にお勤めだった頃の印象的なエピソードです。それはあるお母様が先生に分かち合われたお話だそうですが、そのお母様と娘のA子さんがある日、市バスに乗っておられました。そうしたら、2人組のご婦人がバスに乗ってこられました。そして母娘のちょうど前にお座りになりました。

この続きは明日に。

2012年7月3日火曜日

時間の神秘について


長らく一週間も空けてしまい、申し訳ありません。7月に入り、鹿ケ谷を包む緑が雨に美しく磨かれています。一枚一枚の葉が、眩しい新緑の頃から幾分成長し、しっかりとした深い緑へと変容しつつあります。この葉たちは、盛夏の厳しい頃、私たちのために優しい木陰をつくってくれる頼もしい存在になってくれることでしょう。私たちと共に歩む自然は、自らの存在でもって、すべてのことに時があることを示してくれています。

学校は来週から期末テストを迎えます。現在は、職員室前の談話コーナーのスペースに、時間を惜しんで先生に質問にくる生徒たちの列、いつまでも時を忘れるように生徒たちに寄り添う先生方、そのような光景が完全下校時刻まで続きます。夕暮れが訪れ、談話コーナーの窓辺が赤みがかったオレンジ色に染まる頃、生徒たちは時計を見ながら「ああ、もうこんな時間!」とつぶやきながら、「ありがとうございました!」と帰っていきます。

みんな時間との戦い。もしかしたら教師である我々も。机の上に積み上げられた書類、目を通しておかねばならない会議録、読むと約束した書類、書くと約束した原稿、会うべき人、出るべき会議、行くべき集まり等々。

「時間」について考えたいと思いました。みんな一様に与えられてはいるものの、それについてきちんと説明を求められれば、とたんにわからなくなる。人生に深く関わる大きな概念なのに、あたかも何気なく通り過ぎる風のようにかわしてしまうもの。今を生きながら、その今はすぐに過去になり、未来を見すえているつもりが、その未来も瞬く間に今をくぐりぬけて過去になろうとする。私にとって、時間とは、「生」「死」、このような次元と等しいほど、とてつもない神秘です。

ミヒャエル・エンデが、「モモ」という作品の中で、このようなことを書いている下りがあります。彼も時間を神秘と呼んだと知りました。

「大きいけれど、ごく日常的な神秘がある。すべての人がそれにかかわり、それを知っている。しかし、ほんのわずかな人々だけがそれについて考えている。この神秘こそ時間。
時間をはかるためにカレンダーや時計があるが、それには大した意味がない。だれもが知っていることだが、その時間に体験したことの内容次第で、たった一時間が永遠のように思えることがあるし、一瞬のように思えることもある。時間は人生だから。そして、人生は心の中に宿っているのだ。」

結局、時間とは自分自身である、といっても過言ではないかもしれません。一瞬一瞬の積み重ねが私の人生をつくる。今この瞬間が、私の生きざまをつくっている。その一瞬に、どう生きるか、その一瞬の出会いに何を求めるか、その一瞬の微笑みをだれに投げるか、その一瞬に何をするか。その一瞬の選び、人生はその連続です。

時を忘れて生徒に寄り添う先生たちは、山積みになっている仕事を職員室の机に置きっ放しで、生徒の完全下校まで生徒たちと共にいることを選んだ人々。人生を生徒に寄り添うと選んでいる人々。この学校はこれらの方々の人生の選択によって、今日まできたのだと思います。尊い時間の積み重ねが、この学校そのものなのです。