2013年3月22日金曜日

ノートルダム女学院中学校 卒業式 学校長式辞


卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
保護者の皆様、高いところからではありますが、本日はお嬢様の中学ご卒業、誠におめでとうございます。また、溝部名誉司教様、シスター和田理事長様を始めとするご来賓の皆様、本日はご多用の中、本校中学校卒業式にご参列いただき、誠にありがとうございます。

本日、皆さんは、3年間のノートルダム教育を終えられました。今年度2012年度は、ノートルダムにとっては、創立60周年の節目を迎えた大切な年でした。60年というと、皆さんの想像もつかない長い年月かもしれません。でも、この60年間、変わらずにノートルダムがいつの時代にも伝え続けてきたことは、やがて、ノートルダム女学院中学校の深い知恵の源となりました。卒業に際して、皆さんにもう一度それらを伝えます。ここにいる皆さんの大半は、さらなる3年間をノートルダムで過ごされますが、中には、ノートルダムを今日、出発するという方々もおられます。その方々も含めて、皆さんのかけがえのないここでの3年間の学びを、どうか、一生の糧にしていただきたいと思います。

この世界は、そしてこの宇宙は、すべてを超える大きな愛そのものである神によって創造されたと、ノートルダムはあなたに知らせてきました。愛によって創られないものは、命として存在することは決してありません。星も、海も、山も、草木も、花も、空の鳥も、地の動物たちも、そして、私たち自身も、生きとし生けるすべての命は、大きな愛によって創られ、だからこそ互いに連鎖し、つながり合って育まれ、成長し、そして、この世界での使命を得て、それを果たし、そしてやがては愛に帰っていく。かつて、朝礼の時間だったかに、あなたの命は、お父様、お母様、その方々のご両親、そのご両親と、さかのぼって一体何人の人々の存在によって可能になったのかという話をしたかと思いますが、それはそれはおびただしい人々が、あなたの命の存在のために深く関わり、その中の一人でも違っていたら、今のあなたは存在しませんでした。一つの命の誕生に、どれだけの人々の人生と、出会いと、生きざまが関わっているか、その気が遠くなるような、でも、真実の愛の連綿たるつながりこそが、神の愛の呼吸であり、神の愛の時間であり、神の愛の証しです。ですから一つの命はこんなに尊く、その存在はあまりにも重いのです。あなた方はお一人おひとり、ここノートルダムで、そのことをしっかりと学んでおられます。

あなた方の命は、この世に望まれて存在し始め、まだ15年ほどしかたっていません。ですから、ご自身に何ができるのか、ご自身の可能性はどこにあり、どこで花開くのか、それを今、皆さんは模索しています。一人ひとりは、神から使命を受け、それを果たし、神のもとに戻る、あなた方は、どうか神に聴いてください。「私に何を望まれていますか。私はあなたから頂いた命を、だれかのために、何かのために、どのように使えばいいのですか」と。どうかそれを、神との対話の中で心静かに聴いてください。それこそが、祈りです。神様は、あなたがそれを真摯に尋ねる時、必ず耳を傾けて聴いてくださり、そしてあなたに応えられるでしょう。神が直接、そのみ声でもってお応えになることもあるかも知れませんが、様々な人との出会い、言葉との出会い、出来事との出会い、それらの出会いを通して、神はあなたに語りかけられます。神は、あなたのために特別に用意されている時をお選びになり、その時でしか成し得ない出会いを与えてくださいます。どうぞ、その「時」に敏感に、そして与えられた「出会い」を神からのギフトとして豊かに受け止め、あなたの糧とし、成長を続けてください。

2年前の3月、日本中を、大きな哀しみと苦しみと、そしてそれを乗り越える強さへと導いた、東日本大震災。その時以来、人々は本当の対話の大切さに気づき始めたと言われています。そして本音で語り合うようになった。表面的、上面だけの会話や、その場限りのやりとりだけでやり過ごすには、人生はあまりにも不確実で、不確定である。また会える、また話せると思っていても、もう二度と会えないかも知れない。ありがとうと言いたい、ゆるしてほしいと語りかけたい、そう願っても、もう二度とそのチャンスは与えられないかも知れない。やりたいこと、やるべきこと、言いたいこと、言うべきことを先延ばしにして時間をやり過ごすには、それぞれに与えられた持ち時間はあまりにも短く、この世は不確実です。でも、人間の心と心のつながりは、そのような不確実な時間と空間の中で、愛に満ちた絆を探し求める存在なのだと、あの日以来、私たちは知り始めています。今、与えられているこの時に、本音で語り合い、心から対話し共感し合うこと、行うべきことを躊躇せず行うことが、どれだけ大切でかけがえのないことであるか、そのことをようやく、理解し始めた。これは、私たちに与えられた新たなる知恵であり、苦しみを越えて到達した真理でもありました。

今日で、ノートルダム女学院中学校での三年間を終え、新たなステージにさしかかろうとする皆さん、皆さんのこれからの青春の時間は、煌めく宝石のような時間です。それは意外に短く、でも想像しているよりははるかに、堅固な土台となって、今後の皆さんの人生を支えるものです。どうか、今のこのかけがえのない十代の青春の時間を、心を尽くして魂をつくして、神と他者と自己に誠をもって生き抜いてください。心から対話し、心から共感し、つながり合って共に生きる。すべてが失われても、最後に残るものは、そうやって培った心と心のつながりであり、神が最もお望みのことであるということを胸に刻んで、次の扉を開けてください。

神の祝福が皆様の上に豊かにありますように、お祈りいたしております。




2013年3月1日金曜日

2月28日、第58回卒業式を挙行いたしました。


創立60周年を機に、2012年度より、本校のルーツである米国の姉妹校に合わせて、キャップ&ガウンを身にまとって、139名の生徒たちは、それぞれの夢を胸に、この学び舎を巣立っていきました。
当日の学校長式辞を、以下に掲載いたします。





皆さん、ご卒業おめでとうございます。今日の皆さんは、マリアン・ブルーのガウンに身を包み、眩しく輝いて見えます。保護者の皆様、高いところからではありますが、お嬢様のご卒業、誠におめでとうございます。本日のお喜びの日を、ここでこのように共にできることを、心より幸せに思っております。パウロ大塚司教様、シスターモーリン和田理事長様を始めとするご来賓の皆様、本日をこのように共にしていただくことは、私たちの大きな喜びでございます。誠にありがとうございます。

卒業生の皆さん、このように私がこの壇上から皆さんに向かってお話しすることも、もう、これが最後になります。ノートルダム女学院での大切な時間は、この139名の方々に同じように与えられ、それは同じように過ぎ去っていくように見えますが、実はその中身は、一人一人に特別に用意され、時機を得て計らわれ、与えられたものです。すなわち、この時間のすべては、神様からのあなた方一人ひとりへのかけがえのないギフトでした。まわりの人々や出来事、事物に、尊敬をもって対話的に関わり、その関わりの中で培われた共感力と行動力をもって、あなた方はまもなく、それぞれに用意された次の扉を開き、次のステップへ進んでいかれます。そこには未知の世界が広がっており、皆さんは、それぞれの人生を、より独自に、創造的に生きることに招かれています。その扉のノブに、今手をかけようとするあなた方お一人おひとりの背中に向かって、私はその後ろに立ち、大切なことを最後に知らせます。それは、あなた方が卒業しようとしているノートルダム女学院が全身全霊であなた方に知らせたかったことです。

ノートルダム女学院は、あなたに、この世界であなたは決して孤独ではない、ということを、あらゆる機会を通して知らせてきました。あなたをこよなく愛し、喜びとご苦労の中で大切にお育てになったご両親の心、何気ない日常の中で、楽しかったことや辛かったことを共にしたかけがえのない友人たちの心、そして、どんな時もあなたを励まし勇気づけることを忘れなかった教職員の方々の心、あなたは、これらの沢山の心にふれあい、一番大切なことに気づいたはずです。それは、ここノートルダムであなたは、すべてを包み、そしてすべてを超える神の愛の中におられたということです。そして、それを知ったあなたは、これからも、神の守りがあなたを離れないことをも知っているはずです。あなたが神の愛の中で生まれ、あなたの青春の日々が神の愛の中にあったように、これからも、あなたは、愛されて生きる人としてどうか、あなたが出会うすべての人々にとって、光であり、希望であってください。この世界には、孤独な人、苦しんでいる人、弱い立場に押しやられて泣いている人々がたくさんいます。あなたのすぐ近くにも、そして遠く海の向こうにも。まなざしをしっかり神に向けて進む時、神はそれらの人々の存在をあなたに知らせてくださることでしょう。どうか、それらの人々の隣人となり、彼らを愛し抜き、彼らにとって光となり、希望となってください。ノートルダムで教育を受けたあなたには、それがおできになると私は信頼を持っています。

ノートルダムで学び始めたばかりのあなたは、まだ幼く、自分にいったい何ができるのかを知りませんでした。でも、在学中に、沢山の課題に向き合い、それを解決しようと悩み、考え、困難に打ち勝ってこられました。それらをくぐり抜けられたあなたは、今、一人ひとり、美しく輝く18歳の姿を、私たちに見せてくださっています。自信をもって、扉を開けてください。扉の向こうの世界で、あなたはノートルダムで開花し始めた可能性をもって、神に派遣された場所で、ついに一輪の美しい花になります。その花は、一輪一輪、神から与えられた使命を持っています。どこでどのように咲くか、それは神のみがご存知でしょう。一人ひとりに与えられた使命はその人固有のもの。その使命を果たすために、大いに愛し、愛し抜き、時には戦い、時には休らい、それらの日々に神は常に絶えず、あなたと共にいてくださる、そのことを信じ、全力であなたの生命を燃やしてください。それが、私の、あなたがたお一人おひとりへの、切なる願いです。

昨年10月びわこホールにおいて、皆で盛大にお祝いしたノートルダム女学院の新しい門出は、ちょうど60年前、日本の地に勇敢に降り立った、ミッションへの最初の熱意がなければ叶わないことでした。私は、あの日、ノートルダムの初代校長シスターメリーユージニアレイカーに、私の祈りの取り次ぎを願いました。戦争に負け、物資貧しい日本、京都の東の山すその、何もない鹿ヶ谷、そこで一からすべてを始められたシスターユージニア校長は、何を思い、何を祈り、何も夢見て、この学校を建てられたのか、そのことに思いを馳せました。60年が経ち、1万人以上の卒業生を輩出するカトリック女子校に成長したその先端において、今と未来の責任を担う今日のノートルダム女学院は、もはや、過去の経験や知識に頼るだけでは生きてゆけない新しい時代に存在しています。願うことは、めまぐるしく移り変わる社会の只中で、時代を読み取るしなやかなヴィジョン、グローバル化が加速度を増す中、そのひずみに目を向け行動するための感性、しかしながら、私にとって最も大切な願いは、女学院に学ぶ一人の人格が、いつの時代においても、神の愛を信じ、その愛で自己と他者を、誠をもって大切にできる女性になることであり、ノートルダムがその学び舎であり続けることです。

今日、私はこの学年の卒業生に特別なプレゼントをさせて頂こうと思います。それはあなた方が、記念すべき、創立60年目、ダイヤモンド・ジュビリーの年に、この学び舎を巣立つ生徒たちだからです。1952年4月15日、本校最初の入学式での学校長シスターユージニア・レイカーの英語の式辞の一部です。敗戦後3年しか経たない占領下の日本で学校の設立を着手され、3年後の1952年に開学。それはポツダム宣言を受諾した日本が、自らの国家を取り戻そうとしている時と重なっています。初代校長は、米国人として、戦争でズタズタに傷ついた日本人に対して、和解と友愛の心情で対話され、誇りをもって生きるように呼びかけられました。あなた方に今日、この入学式でのスピーチをプレゼントします。

True education does not consist merely in acquiring knowledge. Fundamentally considered, education consists in the formation of character, in the development of all that is good and noble in the human being, to the end that he or she may attain her own happiness as well as the happiness of her fellow-beings.  Hence the school’s motto is VIRTUS ET SCIENTIA.  We hope you will always be true to this motto combining with knowledge a virtuous character that will make you an honor to God, to your parents, to your school, and to your country.

(和訳)
真の教育は単に、知識の獲得のみにあるのではありません。教育はその人のうちにある善なるもの尊いものを成長させながら、その人格を磨いていくことに他なりません。そしてついには、自己のみならず、他者を幸福にすることができる人間になることです。
故に、VIRTUS ET SCIENTIA 「徳と知」は、この学校のモットーなのであります。あなた方は常に、このモットーに忠実に、知識に加えて徳の高い人格をめざし、神が、そしてあなた方のご両親が、この学校が、そしてあなた方のこの国が、誇りとする人になってください。


きっとシスターユージニアも、神の国から今日、ここにいる私たちに祝福を送って下さっていることでしょう。

私が大学生の時、私に個人的に聖書を一緒に読んで下さっていたシスターユージニアは、ある時、私に、ご自身が純白の毛糸で編まれたマフラーをくださいました。私はもったいなくて、なかなか使うことができなかったことを憶えています。でも、校長になった最初の冬、今年、大切にとっておいたそれを、私の肩にかけてみました。30年以上経っても、シスターのマフラーは、眩しく白く温かく、私を包んでくれました。身にまとうものには意味があります。あなた方がマリアン・ブルーを今、身にまとっていることにも意味があります。あなた方がノートルダムで得たすべての愛に満ちたものを、このマリアの色であるガウンに託し、それを身にまとって卒業してください。振り返らずに、前に進み、恐れることなく今、未知の扉を開けてください。

神の祝福が皆さんの上にいつも豊かにありますように、お祈りいたします。