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2013年3月1日金曜日

2月28日、第58回卒業式を挙行いたしました。


創立60周年を機に、2012年度より、本校のルーツである米国の姉妹校に合わせて、キャップ&ガウンを身にまとって、139名の生徒たちは、それぞれの夢を胸に、この学び舎を巣立っていきました。
当日の学校長式辞を、以下に掲載いたします。





皆さん、ご卒業おめでとうございます。今日の皆さんは、マリアン・ブルーのガウンに身を包み、眩しく輝いて見えます。保護者の皆様、高いところからではありますが、お嬢様のご卒業、誠におめでとうございます。本日のお喜びの日を、ここでこのように共にできることを、心より幸せに思っております。パウロ大塚司教様、シスターモーリン和田理事長様を始めとするご来賓の皆様、本日をこのように共にしていただくことは、私たちの大きな喜びでございます。誠にありがとうございます。

卒業生の皆さん、このように私がこの壇上から皆さんに向かってお話しすることも、もう、これが最後になります。ノートルダム女学院での大切な時間は、この139名の方々に同じように与えられ、それは同じように過ぎ去っていくように見えますが、実はその中身は、一人一人に特別に用意され、時機を得て計らわれ、与えられたものです。すなわち、この時間のすべては、神様からのあなた方一人ひとりへのかけがえのないギフトでした。まわりの人々や出来事、事物に、尊敬をもって対話的に関わり、その関わりの中で培われた共感力と行動力をもって、あなた方はまもなく、それぞれに用意された次の扉を開き、次のステップへ進んでいかれます。そこには未知の世界が広がっており、皆さんは、それぞれの人生を、より独自に、創造的に生きることに招かれています。その扉のノブに、今手をかけようとするあなた方お一人おひとりの背中に向かって、私はその後ろに立ち、大切なことを最後に知らせます。それは、あなた方が卒業しようとしているノートルダム女学院が全身全霊であなた方に知らせたかったことです。

ノートルダム女学院は、あなたに、この世界であなたは決して孤独ではない、ということを、あらゆる機会を通して知らせてきました。あなたをこよなく愛し、喜びとご苦労の中で大切にお育てになったご両親の心、何気ない日常の中で、楽しかったことや辛かったことを共にしたかけがえのない友人たちの心、そして、どんな時もあなたを励まし勇気づけることを忘れなかった教職員の方々の心、あなたは、これらの沢山の心にふれあい、一番大切なことに気づいたはずです。それは、ここノートルダムであなたは、すべてを包み、そしてすべてを超える神の愛の中におられたということです。そして、それを知ったあなたは、これからも、神の守りがあなたを離れないことをも知っているはずです。あなたが神の愛の中で生まれ、あなたの青春の日々が神の愛の中にあったように、これからも、あなたは、愛されて生きる人としてどうか、あなたが出会うすべての人々にとって、光であり、希望であってください。この世界には、孤独な人、苦しんでいる人、弱い立場に押しやられて泣いている人々がたくさんいます。あなたのすぐ近くにも、そして遠く海の向こうにも。まなざしをしっかり神に向けて進む時、神はそれらの人々の存在をあなたに知らせてくださることでしょう。どうか、それらの人々の隣人となり、彼らを愛し抜き、彼らにとって光となり、希望となってください。ノートルダムで教育を受けたあなたには、それがおできになると私は信頼を持っています。

ノートルダムで学び始めたばかりのあなたは、まだ幼く、自分にいったい何ができるのかを知りませんでした。でも、在学中に、沢山の課題に向き合い、それを解決しようと悩み、考え、困難に打ち勝ってこられました。それらをくぐり抜けられたあなたは、今、一人ひとり、美しく輝く18歳の姿を、私たちに見せてくださっています。自信をもって、扉を開けてください。扉の向こうの世界で、あなたはノートルダムで開花し始めた可能性をもって、神に派遣された場所で、ついに一輪の美しい花になります。その花は、一輪一輪、神から与えられた使命を持っています。どこでどのように咲くか、それは神のみがご存知でしょう。一人ひとりに与えられた使命はその人固有のもの。その使命を果たすために、大いに愛し、愛し抜き、時には戦い、時には休らい、それらの日々に神は常に絶えず、あなたと共にいてくださる、そのことを信じ、全力であなたの生命を燃やしてください。それが、私の、あなたがたお一人おひとりへの、切なる願いです。

昨年10月びわこホールにおいて、皆で盛大にお祝いしたノートルダム女学院の新しい門出は、ちょうど60年前、日本の地に勇敢に降り立った、ミッションへの最初の熱意がなければ叶わないことでした。私は、あの日、ノートルダムの初代校長シスターメリーユージニアレイカーに、私の祈りの取り次ぎを願いました。戦争に負け、物資貧しい日本、京都の東の山すその、何もない鹿ヶ谷、そこで一からすべてを始められたシスターユージニア校長は、何を思い、何を祈り、何も夢見て、この学校を建てられたのか、そのことに思いを馳せました。60年が経ち、1万人以上の卒業生を輩出するカトリック女子校に成長したその先端において、今と未来の責任を担う今日のノートルダム女学院は、もはや、過去の経験や知識に頼るだけでは生きてゆけない新しい時代に存在しています。願うことは、めまぐるしく移り変わる社会の只中で、時代を読み取るしなやかなヴィジョン、グローバル化が加速度を増す中、そのひずみに目を向け行動するための感性、しかしながら、私にとって最も大切な願いは、女学院に学ぶ一人の人格が、いつの時代においても、神の愛を信じ、その愛で自己と他者を、誠をもって大切にできる女性になることであり、ノートルダムがその学び舎であり続けることです。

今日、私はこの学年の卒業生に特別なプレゼントをさせて頂こうと思います。それはあなた方が、記念すべき、創立60年目、ダイヤモンド・ジュビリーの年に、この学び舎を巣立つ生徒たちだからです。1952年4月15日、本校最初の入学式での学校長シスターユージニア・レイカーの英語の式辞の一部です。敗戦後3年しか経たない占領下の日本で学校の設立を着手され、3年後の1952年に開学。それはポツダム宣言を受諾した日本が、自らの国家を取り戻そうとしている時と重なっています。初代校長は、米国人として、戦争でズタズタに傷ついた日本人に対して、和解と友愛の心情で対話され、誇りをもって生きるように呼びかけられました。あなた方に今日、この入学式でのスピーチをプレゼントします。

True education does not consist merely in acquiring knowledge. Fundamentally considered, education consists in the formation of character, in the development of all that is good and noble in the human being, to the end that he or she may attain her own happiness as well as the happiness of her fellow-beings.  Hence the school’s motto is VIRTUS ET SCIENTIA.  We hope you will always be true to this motto combining with knowledge a virtuous character that will make you an honor to God, to your parents, to your school, and to your country.

(和訳)
真の教育は単に、知識の獲得のみにあるのではありません。教育はその人のうちにある善なるもの尊いものを成長させながら、その人格を磨いていくことに他なりません。そしてついには、自己のみならず、他者を幸福にすることができる人間になることです。
故に、VIRTUS ET SCIENTIA 「徳と知」は、この学校のモットーなのであります。あなた方は常に、このモットーに忠実に、知識に加えて徳の高い人格をめざし、神が、そしてあなた方のご両親が、この学校が、そしてあなた方のこの国が、誇りとする人になってください。


きっとシスターユージニアも、神の国から今日、ここにいる私たちに祝福を送って下さっていることでしょう。

私が大学生の時、私に個人的に聖書を一緒に読んで下さっていたシスターユージニアは、ある時、私に、ご自身が純白の毛糸で編まれたマフラーをくださいました。私はもったいなくて、なかなか使うことができなかったことを憶えています。でも、校長になった最初の冬、今年、大切にとっておいたそれを、私の肩にかけてみました。30年以上経っても、シスターのマフラーは、眩しく白く温かく、私を包んでくれました。身にまとうものには意味があります。あなた方がマリアン・ブルーを今、身にまとっていることにも意味があります。あなた方がノートルダムで得たすべての愛に満ちたものを、このマリアの色であるガウンに託し、それを身にまとって卒業してください。振り返らずに、前に進み、恐れることなく今、未知の扉を開けてください。

神の祝福が皆さんの上にいつも豊かにありますように、お祈りいたします。

2013年2月6日水曜日

ミッションスクールって何でしょう?


今日は、風邪やインフルの予防のために、通常の講堂や聖堂で行っている集会型の朝礼に代わって、全校放送朝礼を行うことにしました。原稿を用意したのですが、朝礼が終わって読み返してみると、これこそ、読者の皆様に知って頂きたい内容だったと改めて思ったのです。

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皆さんおはようございます。本日は、インフルエンザや風邪を予防するために、大勢の人々が一堂に会することを避けようと、放送で、私の話を聞いて頂くことになりました。

私が折にふれてこれまでに話してきたことの中で、このような機会、すなわち、全校の人々が、生徒の皆さん、教職員の方々がおられる時に、話しておきたいことがあります。何度も、何度も、これまでに話してきたことかもしれない。でも、この学校にとって、存在の根幹に関わることを、今日、私は皆さんにもう一度触れてもらいたいと思うのです。今、中1から高2まで、この話をHRで聞いてくださっているので、私はこの話を、ちょうど真ん中に位置している中3の方々の理解に合わせて話そうと思います。だから、中1の皆さんにとっては、ちょっと難しく思うかもしれませんが、がんばって、理解してみようという気持ちで聞いてください。

この学校は、カトリックのミッションスクールであるということは、すでに知っていますね。で、皆さんのお友達やおばさんやおじさんに、あなたが通っているノートルダムは、ミッションスクールってきいたけれど、一体、それって、何ですか?と尋ねられたら、あなたはどう答えますか?「さあ、しらない」ではあまりにも恥ずかしい。ご自分が、大事な青春時代の日々を、この学校で送ることを選んだのです。単に、ホームルームが楽しければいい、友達がいっぱいできればいい、先生がよい先生であればいい、それだけでは、本当のノートルダムのコアな価値に触れているとは言えません。今日は、この放送の後、あなたが通っているノートルダムは、こういう学校なのだとご自身で納得していただきたい、そして、あなたの周りの人々にも、わかりやすく説明できるようにしてもらいたい。それが今日の放送の狙いです。

この学校が、アメリカ人の4人のシスターによって、60年まえに設立されたということをすでに私が創立記念日を始めとして、様々な場面でお話をしてきました。そしてこれも、もう、幾度となく話していますが、私も、ノートルダム女学院の生徒でした。皆さんと同じ茶色の制服を着て、この鹿ケ谷の坂道を毎日登り登校してきました。
私が女学院に通っていたころは、まだベールをかぶったシスター方がたくさんおられて、英語や国語や社会や理科や家庭科や宗教など、シスターたちからたくさん学びました。でも、実際には、私にとってシスターから勉強を学んだということよりは、はるかに、シスターという人がこの世の中に存在していることのほうが興味深く感じました。そして、なぜ、この人たちはお隣の修道院、今はユージニアハウスと呼んでいるこの不思議な場所に、たくさん集まって生活しておられるんだろう。何が楽しくて毎日ニコニコして生きておられるんだろう、好きな人はいないんだろうか?恋愛してもいいんだろうか?とかいろいろ素朴に思ったものでした。そして、しばらく時が経って、はっきりとわかったことがありました。どんなシスターも、優しいシスターも怖いシスターも、大好きなシスターも、私自身ちょっと苦手なシスターも、みんな共通な一つのことがあるとわかったのです。それは、イエス・キリストという人に惚れ込んで、ここまで来られたのだということでした。イエス・キリストって、相当にすごい人のはずだ。だって、こんなにたくさんの人が、実際に信じているだけでなく、自分の一生を賭けて、キリストに倣って生きたいと望んで、共同生活を実際にしてしまうなんて、それって、結構凄いことじゃないかな、と思ったわけです。週に一度教会に行くっていうだけでなく、一生涯を、イエスのために生きよう、イエスのように生きよう、イエスを伝えるために生きよう、と決意することができる、そんなイエスってどんな人だったのだろう。神様だって言っているけど本当かなあと、生徒だった私は、本当にイエス・キリストのことが知りたくて知りたくてたまらなくなったのでした。そしてこんなことがわかったのです。

イエス・キリストという、もう2000年も前に生きていた人がいた。ユダヤ人、男性。マリアという女性から生まれた人。お腹が空いている人たちにパンと魚をたくさん増やして祝福の内に与えた人、だれにも相手にされなかった人の家に行って一緒に食事をした人、たくさんの病人を癒した人、死人を生き返らせた人。盲目の人の目を開けた人、敵を愛しなさいと教えた人。出かけていって困っている人、虐げられている人、弱っている人、傷ついている人の隣人になりなさいと教えた人、友のために命を捨てることよりも大きな愛はないのだと教えた人。たくさんのたとえ話をもって、私たちに神様の大きな大きな愛について教えた人。嵐を鎮めた人。幼子を抱き寄せて祝福した人。神殿の前の商売人を追い出し、出店をひっくり返して教えた人。祈りを知らない人々に誰に向かって何をどう祈るのかを教えた人。私は道であり、命であるといった人。99匹の羊を山に残して、迷った一頭の羊を探しに行くと言った人。多くの人に本当の喜びと魂の生き返りを体験させた人。命の言葉を話した人。救いの言葉を話した人。最後の晩餐で、どれほど弟子たちを愛しているのかと説いた人。そして本当に弟子たちを、周りの人々を心底から愛した人。その弟子たちに裏切られても尚許した方。そしてだれにも理解されずに、33歳でこの世を去った方。そして、死んで3日目の朝、復活された方。そして復活後、弟子たちに現れ、3度裏切った弟子のペテロに「私を愛しているか」と3度尋ねた方。そして臆病だった11人の弟子たちを、180度変えてしまった方。それ以降、弟子たちは、何も恐れず、力強くキリストを宣べ伝え、そして、その弟子たちの弟子たち、そのまた弟子たちが、今日まで、ひと時も絶やさずにイエス・キリストの教えを広め、シスターたちから私が、その教えを学びました。2000年の時が、こうしてつながっているわけです。今、私はあなた方に、この方の話をこうして伝えています。私だけではなく、この学校のいろいろな場面で、あなた方はイエス様の言葉を得て、その教えを心に留める機会をどうか大切にしてください。 イエスの最も大切な教えは、「愛しなさい、そうすれば生きる」ということです。「生きる」とは単に食べ物を取り入れて生物的に生きるという意味を超えて、与えられた「命」を全うする、本当に「生きる」ということです。イエスは「生きる」ことは「愛すること」であるとはっきりとおっしゃっています。そのことの意味を、このノートルダムでつかんでほしいと思います。そのために、あなた方がその意味をつかむために、この学校は存在しています。そのためだけに存在 しているといっても本当は過言ではないのです。

ところで、冒頭私はミッションスクールとは何ですか?と質問しました。
ノートルダムは、皆さんにとっての中高時代という時間を育む場所であります。そして、その場所は、単にいつのまにかあったのではなく、今話したような生き方をされたイエス・キリストという存在の生きざまに最大の価値をおいて、これが、私たちのめざすべき学校のハートである、と世の中に宣言している学校のことなのです。時代が変わり、そこに生きる人々の顔ぶれが変わっても、尚変わらないものを知っていて、それを受け、そしてまた渡し、大切に伝えながら、その時代時代を生きていく学校。それがミッションスクールです。皆さんは多くの人々の愛情によって大切にされてきた学校に暮らしているのだということを覚えておいてください。そして、最も大切なことは、皆さんが一番新しい時代の先端に、こよなく愛されて生きる生徒である、ということです。今日、私が伝えたいことはそのことです。

今日も恵みに満ちた一日でありますように。

2013年1月21日月曜日

神は私たちと共におられる


美しい書を頂きました。校長室に入ったところに掲げました。2013年の幕開けに、部屋が凛とひきしまりました。

この言葉は、マタイによる福音書のはじめの部分に出てきます。イエスのご誕生に際して、主の天使がマリアの夫ヨセフに告げられる場面に登場します(マタイ1章23節)。「インマヌエル(神がともにおられる)」と呼ばれる子ども、それがイエスご自身。イエスがこの世界の一角であるベツレヘムに生まれ、ナザレにおいて幼少期から少年期を経て成人され、人々に教えを説いて十字架の死を経て復活される、このすべての出来事をとおして、神ご自身が私たちに示されたメッセージは、「神は私たちと共におられる」ことでした。

イエスの死と復活から2000年以上経った今を生きる私たちに、このメッセージはどのように語りかけるでしょうか。何があっても、どんなことが起ころうとも、「神が共におられる」ことを信じる―これこそは、私たち一人ひとりに、イエスの誕生と共にプレゼントされた神様からの「招き」であると私は思っています。

以前、私の友人が重い病気にかかりました。二人の幼い子どもたちを残して、もう助からないことが分かっていました。彼女に、そして彼女の家族に襲いかかる大きな哀しみを前に、私は初めて、神様は理不尽だと怒りの気持ちを憶えました。そして、私の尊敬する神父様に、私の気持ちをぶつけたことがありました。「なぜ、神様はこれを許されるのか、なぜこんなことが現実に起こることを放っておかれるのか、私には到底、理解できません!」と泣きながら訴えました。彼は、死にゆく私の友人からも、とても慕われていました。彼は私をじっと見て、「神は、ご自身が愛してやまない我々人間に、自由意志と知恵を与えられた。病気も、事故も、戦争も、人間の営みに無関係なものは何もなく、現実に否応なく起こってしまう。様々なことで引き起こされる人間の深い哀しみについて、それをじっと見守られるのが神だ。決して見捨てないのが神だ。そして哀しむ私たちの傍らに留まり、一緒に泣かれるのが神だ。あなたは、その神を信じていますか。」と、神父様は逆に私に問われました。私は黙って泣いていました。でも「共におられる神」について、彼が私に問いかけた貴重な時でした。その友人は、それからしばらくして、神のもとへ召され、今はその神父様も、天において永遠に神と共におられます。三人のうち、私一人が今なお、この世の命を生きている ― 生きることと死ぬことは、私にとって永遠の神秘です。この世で生きる時間、どんな時にも、神が私と共におられること、そのことを私が心から信じて毎日を生きる決意があるか、彼が私に問いかけたその問いを、この書は思い出させてくれます。

一月,二月は入試のシーズン。ここノートルダム女学院から志望大学へ果敢に受験していく皆さんと、この女学院へ緊張した面持ちで受験に来て下さる小中学生の皆さんに対して、私は同じ気持ちです。一人ひとりに、神が共にいてくださいます。安心してご自身を委ねてください。そして知ってください。必ず、あなたにとって最善を取り計らってくださる神様が、いつもあなたと共におられるということを。


2012年12月18日火曜日

クリスマス − 最も小さな人々に告げ知らされた出来事





クリスマスが近づいています。現在、学校の正面玄関には、小さなクリブセット(馬小屋の模型)と、クリスマス・ツリーが置かれています。そう言えば、私が子どものころ、家の近くの教会では、本物に近いような馬小屋が設けられ、人の実寸のマリア様やヨセフ様、そして羊飼いたちが飼い葉桶を囲むように佇んでおられて、そばを通るたびに胸がときめいたものでした。そして飼い葉桶の赤ちゃんは、24日クリスマス・イヴの深夜にお生まれになるので、その時まで飼い葉桶は空っぽのままだったのです。

そんな昔の思い出があるなか、本校のこのクリブセットの小さな赤ちゃんは、あまりにもかわいく、生徒たちに早く見てもらいたくて、24日を待たずして小さな飼い葉桶の中に大切に置くことにしました。はやばや、クリスマスの到来です。
飼い葉桶の赤ちゃんは、まぎれもなく「私たちの救い主」であるイエス様です。もう月が満ちるというのに、泊まるところもないマリアの初産、その出来事を最初に知ったのは、極貧の中、寒さで震えながら夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちでした。

クリスマスの意味を考える時、「赤ちゃん」という存在でこの世界に来られたイエスと、その知らせを最初に聴いた羊飼いという存在、この二つは大切なポイントです。

まず、救い主のこの世界での登場の方法です。彼は、流星と共に現れたカッコいいスーパースターではなく、だれかのケアを絶え間なく必要とする「赤ちゃん」という姿でこの世に来られたのです。助けを必要とする弱い存在として、愛情と信頼を、その存在そのもので誘い(いざない)ます。赤ちゃんを囲む人々は自ずと優しく、心ほどかれていく―人々からそのような力を引き出す存在である救い主なのです。

次に、「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった!(ルカによる福音書2章11節)」と、主のみ使いに宣言された「あなたがた」は、極寒の荒野で、だれにも相手にされず、羊の群れの中に紛れていたような無名の人々でした。その彼らにとって、本日お生まれになった救い主は、「自分たちの」ために来られたと知るのです。「さあ、ベツレヘムへ言って、主が知らせてくださったその出来事を見て来よう(ルカ2:15)」と、羊の群れをその場に置いて、彼らをベツレヘムへと急がせたその緊急性は、主の使いがかれらの「そばに立ち」「主の栄光が彼らを覆い照らした(ルカ:2:9)」、つまり、初めて自分たちの存在に、光が照らされたという彼らの感動が伝わってきます。この世を動かしているように見える権力、経済力、名声とは全く無縁の場所-馬小屋、飼い葉桶、荒野、それらの場所で、2000年前、キリスト・イエスによる救いは始まったのです。

イエスご自身が、助けを必要とする存在としてこの世に来られ、まず最初に連帯した人々は、このような存在、すなわち、助けを必要としている最も小さく弱い人々であったということ、このことをクリスマス前の待降節に思い巡らしています。

2012年7月11日水曜日

生かし合って生きている (2)

7月10日の続きです。



あるとき、あと3日で出発という時期に、私は相変わらず憂鬱な気持ちになっていた。短大での仕事も一杯残っている。そして何より子どもにつらい思いをさせてまで続ける価値がある研究なのかとすら思うほど、落ち込んでさえいた。そこで、研究室に来ていた3人の学生のうちの一人が、そんな私の心境を知っているはずもないのに、こう言ってくれたのである。「先生、子どもさんも夫もいらっしゃって、イギリスに行かれるのは大変だろうと思うけど、先生がそれでもがんばっておられるのは、私たちにはとっても励みになるんです。私もがんばらないとな~って自然に思えてくる。」
 

琴線に触れる、という言葉があるが、まさしく私はその時、私の心の秘められた場所で、この学生の言葉を受け止めた。そして心が揺さぶられ、涙が溢れそうになるのを、何気なく顔の向きを変えて押さえるのが精一杯だった。立ちすくむ自分の背中を今、優しく押してもらった気がした。強がっても仕方ないと思った私は、学生にその時本音を言った。「私ね、本当はつらいと思っていたの。あなたたちがそう言ってくれるまで、つらくてやめたいとすら実は思っていたぐらいなのよ。でも、やっぱりやめないわね。がんばるね。今日、ここに来てくれて本当にありがとう」と、その時、私は教師が学生に話すようにではなく、励ましてくれた人に向かってお礼を述べるように話した。
 

自信に満ちているような姿をみせていると思ってはいたけれど、実は、学生たちは、私の言わない部分も知ってくれている。それも全部ひっくるめて私を優しく受け止めてくれている。私が今日ここにいるのは、そのようなきらめく一瞬の出会いの積み重ねがあったからかも知れないと感じる。「みんなお互いに、生かし合って生きている」ということは、実は教師としての私が、感謝とともに学生に伝えられる最大のメッセージかも知れないと思う。

2012年7月10日火曜日

生かし合って生きている (1)


皆さまには、私のバックグラウンドをまだ紹介する機会がなかったかも知れません。学校で直接、保護者の皆様にお話する時には、折にふれて私の自己紹介をする機会がありますが、ブログではまだ一度もそのチャンスがなかったと思います。昨日、プロフィールをアップしましたので、またお時間があれば覗いてみていただければと思います。

私は2008年4月にここ母校に戻ってくるまで、聖母女学院短期大学という京都市伏見区にあるカトリックの短大に17年間奉職していました。25歳で2年間、米国に留学し、帰国して翌年から2008年まで、つまり人生の20台後半から40台の半ばまで過ごしたこの場所は、大人としての私の基底部分と、社会人としての私の多様な側面を育ててくれたと言っても過言ではありません。まさに、かけがえのない、そして愛してやまない職場です。私の人生において数々の記念すべきイベントも、この職場と共にありました。専任講師として着任して一年目に結婚し、その2年後に長男を出産、その2年後に次男を出産、それから4年後に在外研修で家族と共に渡英しました。5月中旬のブログで分かち合った、生涯の師として仰ぐアンセルモ・マタイス神父様も、この頃に学長に就任されています。

同僚にも恵まれ、研究仲間として励まし合い切磋琢磨し合いながら、共に激動の大学改革の時代を生き、将来構想、改組改変等々、あの頃にしかできない仕事を一緒に夜遅くまでやった仲間たちは、今でもかけがえのない友人たちです。

あの頃に書いたエッセーの一つを、ご紹介します。少し長いので2回に分けます。




忘れられない一瞬というものがある。研究室で、普通に学生と会話しているはずのその時間が、生涯においてかけがえのない、きらめく時間となることが多々ある。その内の一つを分かち合いたいと思う。
 教師とは、常に学生に何かを与える存在であるはずだ。常に存在そのもので彼女らを力づけたいし、糧となる言葉を与えたい。励ましとなる何かを受け取ってほしい。日々授業で、研究室で、学内外で、そんな「教師」でありたいと思っているのは私だけではないはずだ。そんな私は、学生たちの視点では常に、自信に満ちているようにみえ、強い意志をもち、逆境にも屈せず、明るく前向きに生きている栗本先生と信じられている。おそらくそれは、パーフォーマンスではなく、本当の私の一部であるかもしれないが、無論、私のすべてではない。
 ここ数年、イギリスの母子関係をテーマにして研究を続けている都合上、年に少なくとも一度は渡英することを余儀なくされる。渡英前の慌ただしさは、向こうでの研究の為の事前準備が、短大での業務のただ中に入り込んでくることから始まる。自宅の扉から滞在先の扉までおよそ24時間かけて到着したイギリス国内では、限られた時間にいかに効率よく仕事をこなすか、そのタイムテーブルとの戦いでもある。からだの疲れなどカウントしている間もない。そして24時間かけ帰国、時差ボケと共に残務処理に忙殺されながら、短大での日常の再開。ここまでなら、まだ自分のことだけなので何とかなる。どんなに苦しくとも、自分の研究生活なので文句もない。しかし何よりもつらいのは、この生活に家族を巻き込むということ。このテーマで研究を続けて7年が経つが、子どもがまだ小さかった頃は、たとえ一週間でも、私が出張することを、彼らは言うまでもなく嫌がった。早朝、戸口で泣きながら見送ってくれる子どもたちの姿を、振り返って見ようとすればもう行けなくなると知っていた。
 そんな一連の英国出張に伴うストレスフルな心境は、もちろん非常に個人的なことなので、学生たちに話したことはなかった。
この続きは明日に。

2012年6月26日火曜日

凛とする詩


今日は、私の大好きな八木重吉の詩を二編お届けします。
これらの詩は、別々の作品ですが、偶然同じタイトルなのです。
さて、それは何でしょう。

***

きれいな気持ちでいよう
花のような気持ちでいよう
報いをもとめまい
いちばんうつくしくなっていよう

***

人と人のあいだを
美しくみよう
わたしと人とのあいだをうつくしくみよう
疲れてはならない

***


この二編の詩を味わう時、私の心が凛とします。
私の心の内側に美しくないものがあるなら、
それらを完全に浄化してくださいと祈りたくなります。
そしてそのためなら、
私はあらゆるものを捨ててしまっても構わないと思います。


先ほどの問いの答え、この二編の詩に共通のタイトルは
「ねがい」でした。

私もこれを願っていきたいと思います。


2012年6月18日月曜日

「銀河鉄道の夜」~ さそりの祈りより


―――昔、パルドラの野原に一匹の蝎(さそり)がいて、小さな虫を殺して、それを食べていきていた。ところが、ある日のこと、いたちに見つかって食べられそうになった。蝎は懸命に逃げのびたが、井戸に落ちてしまい、どうしても上がられないで、蝎は溺れ始めた。その時、蝎は祈った。

**************

「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私が今度いたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命逃げた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしのからだを黙っていたちに呉(く)れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神様。私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。」

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以前、私は東北出身の「わらび座」という劇団による、ミュージカル「銀河鉄道の夜」を観る機会がありました。言葉にならない感動でしたが、中でも、この一匹の蝎が死を目前にしてこのような言葉を吐く迫真の演技に、息をのむ思いがしたことを憶えています。

この蝎は、溺れ死ぬ直前、自分のからだが真っ赤なうつくしい火になって燃えて夜の闇を照らしているのを見たのです。

ずっとずっと後になって、やがてその真っ赤に燃える火をジョバンニとカムパネルラは見つけるのですが、「ルビーよりも赤くすきとおり、リチウムよりもうつくしく酔ったようになって、その火は燃えている」、それを不思議な気持ちで眺めます。

蝎はこれまで自分が普通に食べて暮らしていた日常が、何者かによって、食べられる立場に突然の転換を迫られ、そしてやがては食べられることもなく命尽きる、というエピソードです。この「食べる」にまつわる彼の別の作品で、「注文の多い料理店」という作品があります。この作品の序文で、「これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほったほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません」とあります。彼にとって、いうまでもなく言葉は常に命であったはずです。だから蝎のこの祈りは、「透きとおった本当の食べもの」であるに違いない。私には、この蝎自身が、この祈りを通して本当の命へと変わっていく、変容していく、そして「透きとおった本当の食べ物」となっていく、そのように思えるのです。

「本当の幸い」は、ここでも、他者のために生きることによってのみ得るのだということが明らかにされています。

2012年6月15日金曜日

「銀河鉄道の夜」より~私が命を感じる言葉


宮沢賢治の作品に触れていたら、自分の世界観と非常に相通じるものがあり、実はとても熱心な仏教徒だったと知った時、なるほど、諸宗教はコアなところで分かち合い、つながっているんだと感動したものでした。彼は、37歳で亡くなる時に法華経をたくさん印刷して友人に配ってくれるよう肉親に頼んだというエピソードを後ほど聞きました。法華経の中心思想は菩薩道。たとえば、物語の中盤で登場する蠍(さそり)の祈りなどは、はっきりとそれがバックボーンであることがわかります。そしてそれは、私たちの学校が大切にしているイエスの教えとも分かち合える価値観です。

「銀河鉄道の夜」には、私が「命を感じる言葉」が散りばめられています。一部、ご紹介したいと思います。

*本文はなるべく現代仮名遣いの定本に基づいていますが、一部、こちらで読み易さを考慮し、漢字に変換している部分があります。ご了承ください。

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「ぼくのおっかさんが、ほんとうに幸(さいわい)になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんの一番の幸(さいわい)なんだろう」(カムパネルラ)
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「ぼくわからない。けれども、誰だってほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくを許して下さると思う。」(カムパネルラ)
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「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上り下りもみんなほんとうの幸福にちかづく一あしずつですから」(灯台守)
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「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私が今度いたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命逃げた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしのからだを黙っていたちに呉(く)れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神様。私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。」(蠍(さそり))

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「カムバネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺんやいてもかまわない」
「うん。僕だってそうだ。」カムバネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体なんだろう」ジョバンニが云いました。
「僕わからない」カムバネルラがぼんやり云いました。

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ジョバンニにはカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいないというような気がしてしかたなかったのです。 

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「もう駄目です。落ちてから四十五分もたちましたから。」
ジョバンニはおもわずかけよって博士の前に立って、ぼくはカムパネルラの行った方をしっていますぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのですと云おうとしましたがもうのどがつまって何とも云えませんでした。

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みんなの幸いを探しに行くと決意するジョバンニは、実は孤独な存在です。どこまでもどこまでも一緒に行こうと約束する親友カムパネルラを喪い、母の病気の治癒も父の帰還もいつになるか、彼の孤独感と深く関わります。この世で私たちがこだわり続ける愛は、実は悲しいほど脆い。みんな「ひとり」と知るがゆえに「つながり」を慈しみ、共にいられる場所に帰還したい。ジョバンニは実は私たち一人ひとりの孤独の叫び、そして本当の幸いを約束する永遠への希求。どこかで、私たちも一人のジョバンニなのですね。「やっぱり私はひとりだ」と悟ることは、その意味で大切なことなのかもしれません。銀河鉄道を降り、本当の幸いを探しに、この不確実な世界で、ジョバンニは病気の母親の待つ家に帰るのです。ふりだしに戻るようで、実は一つの次元を超えた彼を再発見するようです。

前述した蠍(さそり)の祈りについて、もっと時間をかけて考えてみたくなりました。
次回をお楽しみに。





この続きはまた。

2012年6月13日水曜日

みんなのほんたうのさいはひをさがしに行く~「銀河鉄道の夜」


今日、図書室での朝HRに顔を出していると、ある一人の中学生が「銀河鉄道の夜」を手にもちながら、「先生、私が一番好きな本なんです」と話しかけてくれました。思わず即座に「私もなのよ。大好きな本が同じなのね」とこたえました。その生徒は小学校の頃にこの本に巡り会い、幾度となく読んでいるのだとのことでした。本当に嬉しく思いました。きっと、あの本の中に込められているスペシャルなメッセージをしっかりとつかんでくれているに違いないと思うからです。

それにしても不思議な物語です、宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」。時空間が縦横無尽に移動し、夢と現実が交差する中で、「本当の幸い(さいはひ)」とは何かを探し求めるジョバンニ。彼の周辺で登場する、あるいは使われる多くのモチーフ―家族、旅、鉄道、切符、親友カムパネルラ、自分のいのち、他者の幸福―は、私たちに、「本当の幸い」を探す旅は実は2人ではなく「ひとり」、自分の命を失って変容する祈り、生と死の二つの次元の転換と超越、そして伴う崇高さを存分に感じさせてくれます。どこか懐かしい、いたるところで逆説的、そしてとてつもなく根源的です。

読後、自分を、何か非常に大きくて優しくて美しいものに、すべて残らず明け渡してしまいたい!と言って大声で泣きたくなるのは私だけでしょうか。

「銀河鉄道の夜」について、数回かけて分かち合いたいことがあります。それぐらいすばらしいのです。図書室でのHRであの生徒に出会えて本当によかった。
続きはまた次回に。

2012年5月24日木曜日

You are Never Alone:あなたは決して一人ぼっちではないからね

5月24日


私が校長に就任した時、私が愛してやまない一人の恩師から、あるものをプレゼントされました。それは美しい色で模様が描かれている、掌(てのひら)サイズの平たい石でした。石の裏に、”You are never alone”と丁寧なカリグラフィーが施されています。その石の添え書きにはこう書かれていました。



Rock of Ages
Designed to carry with you as a reminder on joyous days, as well as on challenging days, that you are never alone
 God’s peace

「喜びの日々にも、乗り越えなければならない苦難の日々にも、あなたが決して一人ぼっちではないということを思い出すように、この石は特別に彩られています。いつも携えてください、神様の平和があなたと共にありますように」


この石をプレゼントして下さった私の恩師は、どんなことがあってもあなたは孤独ではない、神様が共にいてくださることを忘れないでください、と言われました。前途に不安もあった私は、どれほど励まされたことでしょう。

「石にはね、積み重ねられた時間の営みがそのままそこに現れている、そんなふうに思うのよ。神様の特別な時間の流れを感じるの」と彼女はその石を手にとってそう言われました。確かに、道端の石は、実はこの地上における神のみ業の片鱗を感じさせてくれる最も身近なものの一つと言えるかもしれません。この石のアーティストは、神様の被造物であるこの素材をこんなふうに使うことに気づかれている、深い心の持ち主だと思いました。

その石には、深みのある暖色で施された十字架が描かれ、それに重なるように大きな星が描かれています。そして、描かれた星の角に一つずつ金色のドットが施され、星の内側にも周りにも金色のドットが散りばめられています。よく見ると、そのドットは、細い線で結び合わされているのです。掌に納まるほどの石の上に、なんと繊細なのでしょう。

この金色で散りばめられているドットも、大きな星を内外取り囲むようにしてきらめいている小さな星のように、私には思えます。大きな星を背景にして、小さな星々が安らかに遊んでいる、そんな風景を思い起こします。そして、その星たちが細いラインで結ばれている。それはまるで、この世界中の被造物が、大きな愛のもとでつながり合っていることを思い出させてくれます。人間はもとより、生きとし生けるもの、すべての命たちは、宇宙を司る神のもとで結び合わさり、つながっている、そのことを思い出させてくれます。

280年ぶりに見ることが許された先日の壮大な天体ショーを歓声と共に見上げたあの日あの時に想ったこと、それは、宇宙の中で太陽や月、星々を配置されるのは神様、人々の出会いも別れも、生まれるも死ぬも、人にはコントロールできないすべてを司られるのは、神様。その根底にあるのは愛。人間は、この神秘の前に、なんと小さく無力な存在なのだろうということでした。でも、さらに思ったこと、それは、あの時に一緒に天を見上げた人たちは、なんというご縁で巡り合ったたち、一生会わなくても何の不思議もない人たちが、一緒にノートルダムという園に集い、一緒に同じものを見上げて、歓声をあげている。そう思うと、その場にいた人たちすべてを抱きしめたくなるぐらい、一人ひとりが愛しく、また大切に感じました。私にとって、被造物である一人ひとり、共に生かされていることを喜び合いたくなる瞬間だったのです。神様の思いにふれる瞬間だったと言いかえることができるかもしれません。今、石を眺めながら、あの日のことをゆっくりと思い起こしています。

一人ひとり、一つひとつの被造物を、愛され、慈しまれ、そしてこの愛に応えて育ってほしい、芽生えてほしい、茂ってほしい、伸びてほしい、咲いてほしい、実ってほしい。笑って、泣いて、怒って、許して、愛してほしい。そして、孤独な人、助けの必要な人の友になってほしい。その人をどこまでも大切にしてほしい。その友のために命をかけても構わないと思えるほどにその人を愛してほしい。宇宙が、その愛で満たされてほしい。この石を掌に握っていると、だんだん私の体温が石に伝わり、温もりを感じてくる。そうすれば、神様の、一人ひとりに向けられたパーソナルで熱い想いが伝わってくるようです。

私は、ノートルダムの学びの場にいる生徒たち一人ひとりに、この神さまのパーソナルな想いを伝えたい。一つひとつの学びの根源は、この想いを知ることにあるからです。授かる知恵は、この想いを深く知ることに結びついているからです。すべての学びは、愛につながっている。自分をだれかのために、何かのために、善のために、愛のために、恐れずに明け渡すことのできる人になるように、それが学びの究極の目的です。

「あなたは決して一人ぼっちではないからね」というこの石のメッセージは、私に与えられていると同時に、この石を握る私に、もっともっと愛深くあるように教えてくれます。


2012年5月18日金曜日

愛するということ-マタイス師が残したもの

5月17日


お久しぶりです。ちょっと長らくお待たせしてしまいました。申し訳ありません。この1週間も非常に盛りだくさんの校内での様々な取り組みや対外行事があり、飛ぶように時間が過ぎていく日々でしたが、私には生涯忘れることができないことが起こり、そのことを深く味わった一週間でもありました。

5月11日、私が敬愛してやまない一人のイエズス会の神父様が天に召されました。キリスト教では、「死」は決して忌み嫌うものではありません。むしろ、神様のみもとに近づき、そこで体の苦しみや限界、内外束縛していたすべてのものから解放され、魂が本当の安息を享受する時と捉えます。そしてその安息は、終わりのないもの、すなわち永遠につづく安らぎなのです。ですから、すべての人にいつか与えられている「死にゆくこと」は、決して起こってはならない悲しいことではなく、この世での生のフィナーレであると同時に、神のみもとでの新たな命のプロローグなのです。

しかし、この世に残された者は、その人ともう二度と、この世で会うことができない、その別離が悲しくないはずがありません。私の信仰が、彼の永遠の安息を確信していたとしても、実際に、彼と過ごした日々、語り合った時間、飲んだり食べたり笑い合ったりしたひと時が宝物のように大切であればあるほど、その宝物をしっかりと胸に抱きながら、だれをもはばからずに泣きたくなるのです。そして私はひどく泣きました。

日々京都を離れることが許されない時間の連続でしたが、5月15日の通夜の儀に、東京都内四谷のイグナチオ教会に駆けつけることが許されました。午後7時半の式にギリギリ間に合う時間に列車にのり、京都に11時半過ぎに着く最終便で帰ってくるというスケジュールを話していた当日の朝、夫が言いました。「本当にそんなタイト・スケジュールで行くの?マタイス神父さんはそこにはもういないんだよ。」そして、私は答えました。「神父様がいないことはわかってる。もう上智のキャンパスにもどこにもおられないんだということはよくわかってる。でも自分のために行かなければならないの。」神父様がここに生きておられた証しを、彼の命のフィナーレを、彼を愛してやまない人々が一緒に集って感じることができる最後の日なのだとしたら、私は万難を排して行くことしか考えられませんでした。夫は、「その人がどのように人を愛する人だったのかということは、結局その人が亡くなる時にわかるんだね。残された人々によってわかるんだね」と感慨深げに言いました。その通りだと思います。彼は「愛する人」でした。豊かに、時には愚かすぎるほどに。彼ほど深く、細やかに、一人ひとりときっちりとかかわりをもち、それを長く大切にでき、そしてどんどん広がり、人と人の輪を愛でつなげ、豊かな分かち合いを至るところで持っていた人はめずらしい。一人ひとり、あまりにも細やかに大切にされたものだから、おもしろいことに、彼に愛された人のその多くは、結局自分が一番愛されていると思っていたことでしょう。私もそのうちの一人です。

あの晩、イグナチオ教会に入ったとたん、私は彼の棺の前に駆け寄りました。その時に棺によりすがって泣いていた人たちは皆、私のように愛された者たちでした。私のように愛された人は私だけでは当然なかったのだと知ることは、彼の豊かな愛深さをますます敬愛に満ちたものにしてくれました。そして、私もそのように人を愛する人にならなければいけない、マタイス師の弟子ならば、そうありたいと心から思いました。きっとあの日そこに集まった人々の多くが、そのように思ったに違いありません。最後の時に、人にそのように思わせる彼は、生涯優れた宣教師だったと言えます。

生前、彼はよくこう言いました。人の幸せを願わずして、自らの幸福はないんだよと。他者を幸福にしてこそ、自らが幸福になれるんだ。 彼の死に際して、締めくくりに彼が与えたメッセージは、一人一人をしっかり愛することが、本当に生きることなのだということでした。彼と歩き、彼と語り、彼と笑い、彼と食事したすべての時に、私を含めた多くの方々が得た安心感、信頼、くつろぎ、解放感、そして何よりも楽しかったあの一瞬一瞬がきらめいているからです。彼が示した弱者の思い、貧しい人たちとの連帯の生き方、これらにゆるぎない価値のきらめきを見たからです。このきらめきこそは、聖書の中のイエス、弟子たちがイエスと共に過ごした時間を彷彿とさせます。弟子たちの、師イエスと共に生きた時間は、彼らの一人ひとりの後々の生涯を、確実に決定づけたのですから。

この写真は、神父様との最後の写真になりました。今年1月、ノートルダムの仲間たちと四谷にて。皆と食事を共にすることが大好きだったから、彼らしい一枚です。最後のお仕事となった本学院の理事というお務めも、体力をリスクにかけながら誠実に尽くしてくださいました。心より感謝いたします。



マタイス・アンセルモ師の永遠の安息を祈ります。私にとって、最高のリーダー、慈しみ溢れる宣教師、透明な愛に満ちた人、そのような存在に出会わせて下さった神様に心から感謝します。

神父様、天国で待っていてね、また会う日まで。

2012年5月7日月曜日

神様と私のラブレター


5月7日



5月2日付けのガラスの天使とカードのコラボ写真は、気に入ってくださったでしょうか。校長室の窓から優しく薫る風を、あの写真から感じて下さったら嬉しいです。あの日も、そして今日も、真っ赤なハートを運ぶ天使のウインド・チャイムは、窓際で繊細で美しい音を奏でてくれています。

ゴールデンウィークの間に、お約束どおり、あの詩を訳してみました。
E. E Cummings は、この詩をどのような心情で、何を思い浮かべながら創作されたのでしょうか。それを思い巡らしています。

この詩は最近、”In Her Shoes” という米国映画にも登場しました。妹が姉の結婚式にこの詩を朗読します。間違いなく、とても親密な人と人の心の交流、大きな愛に満たされた魂の歓びが伝わってきます。

皆さんそれぞれに、このような強烈な愛のことばを捧げることのできるだれかがおられるとすれば、それはなんと素敵で素晴らしいことでしょう。しかしながら、この詩を捧げる相手など、私には到底いないと思ったとしても、実は、そう思うあなたご自身に向かって、この詩のこの言葉を毎日投げかけておられる方がいらっしゃいます。今日、そのことを皆さんにお知らせしたいと強く思いました。

その方のことを、私は「神」と呼びます。月や太陽、星を配置し、全宇宙を司り、そしてその中に生きる小さな一人ひとり、私個人という存在を慈しんで愛される。存在を根底から支え、抱き、何が起こってもそばから離れずにいてくださる。そして、いつも、この詩のことば、あるいはそれ以上のすべてを惜しげもなく与えて、与えて、私が知らなくても、気づかなくても、与え続けておられます。いつ頃からか、私はそのことに気づき始めました。神様からこのように愛されることを一度知れば、私も神様に対して、それに応えたいと心底から思う。魂が望み、理性が計算できないほどに、愛したい。私がそう愛したいと望むのは、神様が先に、このような愛を溢れるほど下さったからです。この詩は、神様からのラブレターという言い方もできるし、私からの神様へのラブレターという言い方もできます。

そう思うとCummingsは凄い詩人です。神の愛のほとばしりを人間の言葉で表現したのですから。この詩の「私」はむしろ神様を仰ぎ見る私そのものです。



私はあなたの心を大切に抱(いだ)く
私の心の中に 大切に抱(いだ)く


決して離れない
私がどこに行こうとも あなたも一緒
私が何をしたとしても想いは一つ 愛しい存在(ひと)よ


運命を恐れることはない
愛する存在(ひと)よ あなたが私の運命だから


世界などほしいとは思わない
美しいあなたは世界そのもの 真実そのもの
あなたこそは 太古より月が意味してきたすべてのもの
そして太陽が常に謳(うた)おうとするすべて


これこそは誰一人知る人のない奥深い神秘
根っこの中の根っこ
芽吹きの中の芽吹き
天空の極み
伸びやかに育つ命という名の木
それは魂の望み得る限りを超えて高く
理性の隠れ得る深みよりさらに深い


これこそはちりばめられた星の神秘


私はあなたの心を大切に抱(いだ)く
私の心の中に 大切に抱(いだ)く



I carry your heart with me
I carry it in my heart
I am never without it 
anywhere I go you go, my dear; and whatever is done
by only me is your doing, my darling
I fear no fate for you are my fate, my sweet
I want no world for beautiful you are my world, my true

and it's you are whatever a moon has always meant

and whatever a sun will always sing is you
here is the deepest secret nobody knows

here is the root of the root and the bud of the bud

and the sky of the sky of a tree called life; 
which grows higher than the soul can hope or mind can hide
and this is the wonder that's keeping the stars apart
I carry your heart 
I carry it in my heart









2012年5月2日水曜日

あなたはいつも私の心の中に

校長室の机上に、一枚の書きかけのカードがあります。一人の生徒のために書いている途中です。このカードはアメリカ人のシスターの手作りで、E.E. Cummings (Edward Estlin Cummings, 1894年 – 1962年、米国)の詩の最初の一行が引用されています。これは私が大好きな詩です。カードには、言葉と共に真っ赤な大小のハートが5つ、描かれています。

校長室の窓際に、一つのガラス細工が掛っています。今年3月に、中学2年生の長崎研修に同行した時に、大浦天主堂近くのガラス細工のお店に生徒たちと入ってみました。その時に買い求めたウインド・チャイム。ピンク色の天使が羽を広げて、両手に何かを持っています。真っ赤なハートです。

今日、真っ赤なハートでつながっているこのガラスの天使とカードを一緒にしたら、こんな素敵は写真になりました。心と心がつながっていることをよく示しています。だれかのハートをこのようにいつも大切に持ってくれている天使は、私に、大切なことを見失わないでと、絶えずメッセージを与えてくれています。書きかけのカードを書き終える時、この天使はきっと、私のハートを届けてくれるでしょう。私は生徒たちの心をいつも、私の心の中に抱きたいと思っています。私がどこにいようとも何をしていても、彼女たちの心と共にいられたら、と心から思っています。

以下はこの詩の全文です。
映画でも登場したらしいですので和訳は存在しているようですが、私なりに和訳してみようと思っています。GWの終わりまで、お待ちください。

I carry your heart with me
I carry it in my heart

I am never without it 
anywhere I go you go, my dear; and whatever is done
by only me is your doing, my darling
I fear no fate for you are my fate, my sweet
I want no world for beautiful you are my world, my true

and it's you are whatever a moon has always meant

and whatever a sun will always sing is you

here is the deepest secret nobody knows

here is the root of the root and the bud of the bud

and the sky of the sky of a tree called life; 
which grows higher than the soul can hope or mind can hide
and this is the wonder that's keeping the stars apart

I carry your heart 
I carry it in my heart



2012年4月19日木曜日

花はなぜ美しいか


4月19日


私がノートルダム女学院の生徒だった頃、いつも教室の後ろの黒板に、担任のシスターが折にふれてことばを書いて下さっていました。聖書のことば、詩人の作品、あるいは祈り。今から思えば、私の若かりし日々の魂にどんどんと栄養を送って下さっていたのです。
その中で、私が決して忘れることができない詩があります。命がみなぎっているこの春の一日に、皆様に分かち合えることを嬉しく思います。


花はなぜ美しいか 
 ひとすじの気持ちで咲いているからだ
                             八木重吉


この詩から八木重吉という詩人を知りました。29歳の若さでこの世を去られたことを後に知りました。1行か、多くても5行ぐらいまでの短い詩は、ほとんど覚えられてしまうぐらいです。彼の透明な、単純な、そして伸びやかで、とてつもなく強い神への信仰を仰ぎ見る思いがします。

この黒板での出会いをきっかけに、私は八木重吉の詩を覚えてしまうほど読みました。中でも私が愛してやまない2編をお届けします。

○小さなカードにしたためて、毎日の聖書に挟んでいる言葉はこれです。

ゆきなれた路の
 なつかしくて耐えられぬように
 わたしの祈りのみちをつくりたい 

○自分自身の生き方への永遠の憧れはこの詩が表現してくれます。

空のように きれいになれるものなら
 花のように しずかに なれるものなら
 値(あたい)なきものとして
 これも 捨てよう あれも 捨てよう

現在、ノートルダム女学院のすべてのHR教室と、特別教室の黒板には、聖書のみことばがかけられています。どれ一つ、同じ文言はありません。今度のブログで、そのうちの幾枚かの写真をお届けします。きっと、若かりし頃の私のように、いつまでも心の中にあり続ける一句を、生徒たちが自分で見つけてくれればと願っています。