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2015年4月8日水曜日

ノートルダム女学院 中学校高等学校 2015年度 入学式 学校長式辞

ノートルダム女学院 中学校高等学校 入学式

栗本嘉子学校長式辞

2015年4月8日 挙行


新入生の皆さん、ノートルダム女学院中学高等学校へのご入学、誠におめでとうございます。保護者の皆様、高いところからではありますが、本日はお嬢様のご入学、誠におめでとうございます。今後、様々な場面で、保護者様のご協力を頂戴することと思いますが、その節にはどうぞよろしくお願い申し上げます。

そして、今日特別にご臨席いただいているノートルダム教育修道女会のセントラル・パシフィック管区のシスターメリーアンオーエンズ管区長様、シスターダイアンペリー評議員様を始めとするご来賓の皆様、本日は、お忙しい中本校入学式にお越しになっていただき、誠にありがとうございます。心より感謝申し上げます。

さて、改めまして、新入生の皆さん、ノートルダム女学院へようこそ。皆さんは今、一つのこの場所で、同じ制服に身を包み、私の話に耳を傾けてくださっています。私は皆さんをこのようにお迎えできて、本当にうれしいです。皆さんは、晴れて本日から、ノートルダム女学院中学高等学校という家族、ファミリーの一員です。ファミリーは、偶然寄せ集められた人々の集団ではなく、意味をもって集まった、つながりのある共同体を意味します。このファミリーでは、一人ひとりが自分を信じ、自分以外の人々のことをお互い常に思いやり、愛し合いながら、一緒に成長していきます。ここでは、自分が一人勝手に生きているのではなく、多くの人との、ひいては地球上のあらゆるものとのつながりの中で生かされていることを学びます。そして、そのつながりの根底に、命の源である神様がおられ、私たちをこの上なく大切にしてくださり、愛してくださっていることを確信します。中学生1年生は今から6年後、高校1年生は今から3年後には、18歳のノートルダム・レディーに成長し、神と他者と自己に誠実さと愛深さをもって生き、自分に与えられたミッション、すなわち使命とは何かについて、世界をビジョンにしっかりと考え、それに向かって勇敢に歩み始める女性へと成長を遂げられていること、これが、ノートルダム教育の目標であり、校長としての私の願いです。

皆さん、私は今日まで桜の花が残ってくれていたらいいなあと願っていました。でも、地球の営みの中で、木々は成長を続け、新芽が吹き出し始めています。間もなく、新緑の季節がやってきます。皆さんはお感じになりませんでしたか。この何千、何万という桜の花々が一斉に咲き始めた時、いったいどこにどのようにして、木々は、これらの花々の開花の準備をしていたのだろう。私たちが寒さに震え、木の様子をゆっくりと見上げることもなく足早に通り過ぎていったあの冬の日々に、木々の内側では、着実に花の命を育んでいたのです。3月になり、ふっくらと枝の先端が脹らみ始めると、私たちは気づきます。ああ、桜の季節がやってくる。自然界は、静かに、無言で、着実に生への営みを休むことなく繰り広げる。私は、これを「内側の力」と呼びたいのです。内側からの力は、このように迸るような勢いのあるエネルギーを、静かに、無言のうちに、しかしながら非常にダイナミックに放ちます。花々は、優しく美しく、私たちを元気づけ勇気づけ、慰めもしてくれます。そして、さらには自らを果実に変容させる力も秘めています。決して押しつけがましくなく、謙虚に一筋の気持ちで咲いている。「花はなぜ美しいか。一筋の気持ちで咲いているからだ」という詩を残したのは、私の好きな八木重吉でした。

花や木が内側の力を秘めているものの例えだとすれば、戦争や暴力、武器や軍隊は、「外側からの力」です。規則が強い力をもつこともあり、経済格差が否応なしに社会的弱者を作り出すこともあるでしょう。この内側の力と外側の力のことを、私に気づかせてくれたのは、サティシュ・クマールというインド生まれのイギリスの哲学者でした。彼は、自分の内側にはたらく力をパワー、他者への強制力となる外側の力をフォースと呼んで区別しました。しばしば外側の力は強く、怖く、弱い者を作り出す。自分の内側からの力は、可能性を引き出し、命を育みつなげ、豊かさをつくる。私は、彼がこう語るのを読んだとき、私の信じるイエス・キリストは、このような内側の力を漲るようにもつ存在だったのだと思いました。彼には、優しいパワーがあふれていた。そして信じる人の内側の力を最大に引き出し、治らない病を癒し、見えない目を治し、弱く貧しい人々に、生きる希望と勇気を与えました。イエスに触れた人々は、体験したことのない大きな愛を知り、自分に内側の力があることを信じることができたのだと思います。

私がめざしたいノートルダム教育は、神様の愛に導かれて、皆さんの内側の力を引き出すものです。引き出し、創り出し、より豊かになっていくことを助けます。一つ、大事なことは、皆さんに信じてほしいということです。皆さんご自身の一人一人の内側に、すごい力が宿っているということを、信じてほしいということなのです。その力が可能性です。その力が、厳しい冬を乗り越えて、色とりどりの花々を開かせる。見るものを慰め、癒し、勇気を与える花々を咲かせる。やがては、自分を変容させ、果実を実らせる。その果実は、弱い立場に立たされている人々の助けとなり、慰めとなり、時には栄養になるでしょう。ノートルダム教育は、あなたにそのような内側の力をもった人になってほしいと願っています。

今日から、このファミリーの一員となられた皆さんは、ここで、よい出会いをいっぱい作り、たくさん学び、いろいろな豊かな体験をして、どうか、素晴らしい花を咲かせる準備をはじめてください。神様は必ずそれを助けてくださいます。一緒に信じて歩んでまいりましょう。

神様の祝福が皆さんの上に豊かにありますように祈ります。

2015年3月20日金曜日

ノートルダム女学院中学校 2014年度卒業式 式辞

ノートルダム女学院中学校 卒業式 式辞

2015年3月20日 

学校長 栗本嘉子


卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
保護者の皆様、高いところからではありますが、本日はお嬢様の中学ご卒業、誠におめでとうございます。また、溝部名誉司教様を始めとするご来賓の皆様、本日はご多用の中、本校中学校卒業式にご参列いただき、誠にありがとうございます。

本日、皆さんは、3年間のここ女学院中学でのノートルダム教育を終えられました。今日はノートルダム教育があなたに伝えたい最も大切なことの一つを、この節目の時に共有しておきたいと思いました。

2012年4月、私が皆さんを初めてこの場にお迎えした入学式、私は壇上からこのように申し述べました。すなわち、「私たちは、単に偶然に集まっているのではない。ご縁があって、このように一人ひとりが呼ばれ、道のりを経て、ここに姉妹として集まったのです」、このようにお話ししたことを憶えています。それから3年の月日がたち、皆さんはすっかりノートルダム・ファミリーの一員として、お互いの名前を何度も呼び合い、微笑み合い、時には議論し合いながら、支え合い協力しあって、この共同体を創ってきました。そうです。皆さんは、この共同体の一員として、かけがえのない、大切な存在なのです。神様は、皆さん一人ひとりを名前で呼ばれ、憶えられている。失ったら探し出すまであきらめられません。そのことがこの学校でも実現しています。

そして、皆さんは、一人ひとりを大切に慈しみ愛してくださっている神から、大きな素晴らしい可能性を与えられている、その可能性は、いつか開花することを待っている、しかも誰かの喜びや幸せのために使われるため、開花することを待っている、そのことを信じてほしいということです。そしてご自身の可能性は、他者と連帯することで、より一層にその輝きを増し、神様に祝福されます。そのことを強く信じてほしいということです。

皆さんは、これまでの学校生活の中で、他者、すなわち、お友達と関わり合い、つながり合うことで成し遂げたさまざまな場面を思い出してください。そのことが本当だったとおわかりになるはずです。文化祭、体育祭、また、グループ・ワークで一生懸命協力し、一つの作品を仕上げ、そしてりっぱにそれらを社会に発信しました。自分のもてるそれぞれの力を結集した時、想像を超える輝きとなってそれを解き放つことができたことを忘れないでおきましょう。

人間は確かに、一人では決して強くはなく、むしろ、弱くてもろい存在です。時には、完全に無力であるかのように見えることもあります。日本中が大きな無力感、哀しみ、そして苦しみに覆われた東日本大震災から今年で4年が経過しました。今でも尚、復興は途上であり、癒えることのない悲しみに向き合っている人々が多くおられることを、私たちは知っています。猛威を奮う大自然の前に、私たちは確かにあの時、無力であり、多くの命の犠牲の前に、ただ頭を垂れることしかできなかった。そのことは事実であり、人間の力の限界を見せつけられたかのようでした。しかしながら同時に、報道は時を追って私たちに知らせました。あの時、あの瞬間に、一人の人が示した勇気ある行動、一人の人がとった生きるための選択、寄り添って励まし合い作り出した温かさ、泣く人と共に泣き、喜ぶ人と共に喜びながら、大き過ぎる試練の中で、それを乗り越えようと連帯し始め、目を見張るような力強さを示しました。

一人の高校生のストーリーを分かち合います。彼女はこの4周年の追悼式で、宮城県代表として追悼文を発表した方です。当時15歳だった彼女は、瓦礫に埋もれて動けない母親をどうしても助けられず、自分は見捨てて生き延びたのだと自責しながら、震災後、深く悩み苦しんだ人の一人でした。自分を責め、哀しみの癒えない彼女に、実に多くの方々が共感し励まし、国を超えてまでの対話を果たし、徐々に自分を受け入れられるようになり、そしてこのことで失ったものの大きさと同じぐらいの素晴らしいものを、自分はこれから得ていきたい、そして同じように苦しんでいる人々に自分の気づきを分かち合いたい、このようにお話しされていたのを聞き、私は人間とはなんと素晴らしい力をもっているのだろうと感動いたしました。苦しみをばねにして、一人きりではなく人々の連帯により、自分の存在を取り戻し、高く大きく成長できるようにどのような状況にあっても招かれているのだと感じました。

確かに私たちは、あの日以来、もろさや弱さという私たち人間の限界と共に、神の似姿として私たちに与えられている崇高さ、真実さ、気高さ、美しさ、強さ、優しさ、素晴らしいものを生みだしていく創造力も同時に与えられている。そしてそのこと故に、人間は連帯し合って決してあきらめず、希望を持って、試練を乗り越える勇気と力を頂いているのです。それは、神様が常に、あの時にも、私たちと共におられて、哀しむ私たちを慰めようとされ、一人ぼっちになってしまった人を探し出そうとされ、泣く人のそばでご一緒に泣いてくださっていたからだということを、私は強く信じています。

今日で、ノートルダム女学院中学校での三年間を終え、新たなステージにさしかかろうとする皆さん、皆さんのこれからの青春の時間は、煌めく宝石のような時間です。それは意外と短く、でも確かな土台となって、今後の皆さんの人生を支えるものです。どうか、今のこのかけがえのない十代の青春の時間を、心を尽くして魂を尽くして、神と他者と自己に誠をもって生き抜いてください。心から対話し、心から共感し、つながり合って共に生きる。すべてが失われても、最後に残るものは、そうやって培った心と心のつながりであり、それが神が最もお望みのことであるということを胸に刻んで、次の扉を開けてください。

神の祝福が皆様の上に豊かにありますように、お祈りいたしております。

2015年3月2日月曜日

ノートルダム女学院高等学校 2014年度卒業式 式辞

ノートルダム女学院高等学校
2014年度卒業式 式辞
学校長 栗本嘉子


卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。また、保護者の皆様、高いところではございますが、お嬢様のご卒業、誠におめでとうございます。六年間、三年間、ノートルダムの心に共感し、ご同伴頂き、誠にありがとうございました。パウロ大塚喜直司教様、シスターモーリン和田理事長様を始めとするご来賓の皆様、本日は、ご多用の中ご臨席賜り、心より感謝申し上げます。

さて、皆さんは第60期卒業生となられます。ノートルダムでの最初の卒業式から数えて今年が第60回になります。卒業生は1万人を優に超えました。皆さんは明日から、それぞれの社会の場、共同体の中で、ノートルダムの精神を生きておられる先輩方の仲間入りをされます。 18歳になられ、本日巣立った後は、神様によって置かれたそれぞれの場所で、ノートルダムの精神を豊かに、また創造的に生きてほしい。それが、私の最大の願いです。

ノートルダムの精神とは何だったのか。今日、巣立つ日に、今一度それを振り返り、皆で共有しておきたいと思います。いろいろな機会に、私はいろいろな表現で皆さんにお伝えしてまいりましたが、最後になる今日、これを校長からの「二つの願い」という形で、皆さんにお届けしたいと思います。

まず一つめの願いです。皆さんは、神からお一人おひとりに与えられた豊かで無限の可能性を強く信じてほしいということです。神の似姿に作られている私たち人間は、まず神から特別に愛され、慈しまれて命を与えられました。神から「生きよ」と言われ、私たちが命を受けた時、同時に一人ひとり個別に、その使命をも与えられました。ノートルダム女学院での三年間、六年間の教育は、その使命とは何かを探し求める旅路でした。あなたの素晴らしさが何であり、あなたはどのように人々や地球環境と関わり、どのような人間になっていくのか、その可能性を模索する旅路でありました。


私たちは、この地球共同体の一員として、お互いに支え合って生きています。聖書では、「一つのからだ」という言葉で、このことをわかりやすく私たちに教えます。「一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶ」と書かれている箇所を、コリント書に見つけることができます。私たちは、自分の可能性を信じて、その開花を目指しながら一生懸命生きようとする時、神に属する者として、一つのからだの一部になり、その使命を見出すのです。その時、自分に与えられた使命は、自分の利益のためではなく、他者の幸福のためにあるということ、そのために不可欠なのは、対話の心と共感の感性であるということを、ノートルダムではあらゆる機会をとおして、皆さんに伝えてきました。どうか、これからも、無限の愛を注がれる神から頂かれたご自身の可能性の開花を信じ、世界でたった一つしかないご自身の賜物を見つけ、それを使って、他者の幸福のために生き抜いてください。

そして二つめの願いです。どうか、ノートルダムで学ばれた皆さんは、自ら行動し、神様の平和のつくり手になってください。「平和を求める祈り」を、毎日ともに祈ってきた皆さんは、「平和」の意味が、単に戦争の対義語としてではなく、私たち個人の選択から成るものであることをよくご存じです。その平和は、他者や世界に開かれたものであり、創造的に勇気をもって正しい方向を選択し、行動することであるということ、必要とされている人、必要とされている場所に自らを差し出すために、「出向いていく」ための心の平和であるということを、皆さんはノートルダム教育の中でしっかりと学ばれました。

教皇フランシスコは、そのご著書「使徒的勧告 福音の喜び」の中で次のように述べておられます。

「『出向いて行く』教会とは、門の開かれた教会です。隅に追いやられている人のもとへと出向いて行くことは、やみくもに世界を駆けずり回ることではありません。足をとめる、他者に目を注ぎ、耳を傾けるために心配事を脇に置く、道端に倒れたままにされた人に寄り添うために急用を断念する。(中略)私は出て行ったことで(中略)傷を負い、汚れた教会のほうが好きです。閉じこもり、自分の安全地帯にしがみつく気楽さゆえに病んだ教会よりも好きです」


昨年の待降節の雨の午後、校門前のマリア像のそばに皆で建てた白い四角柱、シャローム・ピース・ポール。そこには、赤い文字で、“Peace in our homes and communities” と書かれています。「私たちの家庭に、共同体に、平和があるように」という意味を込めて。シャロームという名が表すとおり、私たち一人ひとりが、神、他者、そして生きとし生けるすべてのものとの関係を、しっかりと神様が望まれるとおりに保っていること、そのために行動する、それを、自分の近くから始め、やがては地球共同体の平和に貢献するという決意。その象徴でした。学校の登下校時、このピースポールの前を通過するたびに、自分の心を調べ、平和のないところにそれを自ら作り出すことができる人になる約束を皆さんと共有しました。
私たちの生きる現代社会は、簡単に解決することができない難しい問題が山積しています。グローバル化する世界にあって、テロの恐怖、資源の枯渇とその奪い合い、富の不平等、貧富やそれに伴う教育機会の格差、地球環境の悪化など、一言でいえば、私たち被造物の命の存続に対する脅威に押しつぶされそうです。一人の力ではどうしようもないように見える、圧倒的な負のスパイラルです。これに、いったいどのように、立ち向かっていけばよいのでしょう。

人間がおごり高ぶることをやめ、自分たちの限界を受け入れ、憎しみや復讐の気持ちを和らげ、愛と許しの心でお互いを尊び、対話を深め、ともに命の方向に向かうことは、この負のスパイラルに対して、平和のスパイラルを生み出すことになります。そして、今こそ、私たち女性がまず、神がくださった命の尊さ、育む喜び、命がつながっていくことへの希望を確信し、その喜びと希望を生きながら、それを次の世代に伝えていく役割を担っているように、私には思えてなりません。

卒業生の皆さん、このように私がこの壇上から皆さんに向かってお話しすることも、もうこれが最後になります。申し述べた校長の二つの願いをどうか心に刻んで、世界の海原に向かって勇気をもって漕ぎ出してください。神様は必ず、あなた方と共におられ、どのような困難があっても、それを乗り越える強さをあなたがたに与えられるでしょう。しばらくは、母校を忘れてしまうほどに、一人ひとりが置かれた場所でご自身の賜物を見出しながら精一杯働き、神の平和の作り手として生きてください。

神様が皆さんの前途を豊かに祝福してくださいますように祈ります。





2014年10月11日土曜日

ノートルダム女学院中学高等学校 創立62周年記念式典 式辞


 

私たちは今ここに、ノートルダム女学院中学高等学校創立62周年を共にお祝いするために集まっております。
本日は、このように多くのシスター方、またご来賓の皆様に見守られながら、この喜びの時に共に与ることができますことを、神様と皆様に心より感謝申し上げます。いつもノートルダム教育の実現のために、心からの祈りとお導きを頂き、誠にありがとうございます。
保護者の皆様、本日はようこそお越しくださいました。私どもを信頼して、大切なお嬢様をお委ねになって頂いた保護者様の、その信頼に支えられて、私どももまた今新たな一歩を踏み出そうとしています。今日、ノートルダムの大切な心を皆様と分かち合うことができましたら、これ以上の喜びはありません。
生徒の皆さん、創立62周年の記念を、皆様とここでこのようにお祝いすることができて、私は本当に嬉しく思っています。皆さんは、63年めを生きる本校の、最先端を担う人々です。

さて、創立記念日は、私たちの足元を見つめ直す日、どのような土の上に私たちが立ち、その土はどのように耕されて今日あるのか、そのことを思い起こし、そして、その土の上でこれまで、様々な偉大な神様の業が行われたことにたいして、心を躍らせ喜びあう時でもあります。そして、さらに、創立記念日は、新たに、私たちがどの方向に向かって歩み出せばよいのかを確認し、決心する日でもあります。
今日のこの日に、私は生徒の皆さんに是非伝えたいメッセージがあります。これをよく聞いて、理解するだけではなく、このように生きたいと決意ができ、そして、そのように生きる努力をするあなた方は、必ず、今日のこの創立記念日が、あらたな出発となるはずです。この私の式辞と、後に続くミサとシンポジウムは、その意味で、皆さんに、決意と感謝を促し、ノートルダム生としての行動指針を与えるでしょう。与えられるメッセージを心の耳で聴き、受け取ってください。今日を貫く大きなテーマがあります。「来て、見なさい」。これは、ヨハネによる福音書一章からの引用です。
今日、あなた方は、イエスと出会います。あなたは、イエス様がとても偉大、とても素晴らしい、畏れ多い、私などが近づけるような、そんなお方ではないと思いこんでいる。でも、同時に、イエス様に少しでも近づいてみたい、あの優しい、温かい、深い眼差しで見つめられたい。私の手に、肩に、触れて頂きたい。何か、関わりをもちたい、近づきたい。だから、弟子たちのようにあなたはイエスに問いかけてみる。まずはイエス様が住んでおられる場所を。イエス様が食べたり、休まれたりする場所を、そこから出かけて人々の中に入っていかれる、そのベースの場所を。「主よ、どこにお泊まりですか?」と。
イエスはこちらをじっとみて、そしてお応えになりました。「来て、見なさい。」
学校でお昼休みの終わりに毎日かかる曲は、この場面が曲になったものですね。With Christ というタイトルです。今日のミサの最後にもご一緒に歌えることが嬉しいです。歌詞はこうです。「来てみなさい、私が生きるところに、来て交われば、私もそこにいる。Come and see, 恐れないで、光もとめ、手を伸ばして、Go with me、歩き出そう。愛することを始めるために。」
この歌は、皆さんにこう歩んでいってほしいという私の願いを、実に分かりやすく伝えています。
「来て見なさい。」これは素晴らしいinvitation です。これに勝る出会いへの誘いはなく、体験もありません。こんなに情報が溢れる世の中にあって、実際に自分の足で行くという行為は特別です。イエス様からみれば、来なさい、ということですが、あなた方からみれば「行ってみる」、「見てみる」そして、「交わってみる」。そこには恐れがあってはならない、光は「希望」です。希望を求めて、みずからの手を伸ばす。希望のないところ、いわば絶望の中にあっても、手を伸ばして希望を得る。皆さん一人ひとりが、神様の希望を映し出す人になっていく。それは、「平和の祈り」で皆さんが毎日唱えている「闇に光を、絶望のあるところに希望をもたらす者にしてください」という祈りそのものです。そして、Go with me、イエスと共に行こうと、イエス様が誘ってくださっている。行って何をするでしょう?愛することを始めるのです。
「愛することを始める。」これこそが、ノートルダム教育そのものです。それが、62年前に本校ができた理由であり、ミッションそのものであり、私たちのゴールでもありました。「愛することを始める。」181年前、ドイツで最初のノートルダムを創設された我々の母、マザーテレジアゲルハルディンガーも、「愛すること」を始めようと、決意された方です。私は常にあなた方に言っています。愛することは、易しい、楽しい、おもしろい、そればかりではない、愛することは、時には辛い、難しい、面倒くさいこと。でも、ノートルダムは皆さんに教えます。どんな困難があろうとも、愛することを始め、愛することを貫き通す。愛することは、決意です。コミットメントと言います。イエスは言われました。「友のために命を捨てる、これよりも大きな愛はない。」愛することは、そこまでに至るとイエスは言われています。好き嫌いではなく、決意なのです。
では、愛すべき「友」とはだれか?どこにいるのか?ここからが、クライマックスです。皆さんは、多くの人々との関わりの中で生きている。皆さんの保護者、皆さんの兄弟姉妹、親戚の方々、こういった血縁関係以外にも、皆さんは実に多くの人々に支えられ、様々なことを分かち合いながら、お互いを大切にし合いながら、今を生きているということができます。今後、この学校を卒業したら、益々、出会いは多様化することでしょう。それらの出会いを一つひとつ大切にしてください。それは皆さんの糧となり、宝となるものです。そこで、皆さんに一つ、新しい扉をお示ししましょう。知ってほしいことなのです。

私たちはかつてのどんな時代にもあり得なかったことを毎日体験しています。私たち自身のこと、他者のこと、この社会のこと、この地球のこと、それらについて、以前よりももっと正確に幅広く知ることが可能になっています。私たちは簡単にすばやく、私たちのこの地球上どこでも行くことができる。また、地球の裏側に住む友人にも、即座にメッセージを送り合える。溢れるように提供されるあらゆるジャンルの情報は、上手く取捨選択するすべを知れば、私たちの手の中に、正確に、素早く、充分という量を携えてやってきてくれる時代です。世界がフラットになり、国境線、通貨、言語、食文化、生活習慣など、その国を国として成り立たせるためのすべての境界線が溶け始めています。世界が小さく縮んでしまったかのような、私たちが万能の翼をもらって、すべてにアクセスできるような期待をもつ時代です。時は、グローバル時代なのです。

しかし、一見素晴らしい、めざましい、世界が一つになったように見えるかもしれないこの地球で、私たちは自分たちで落とし穴を作ってしまっている。その中に多くの人々がすでに、落ち込んでしまっていて、這い上がることができないでいる落とし穴です。すなわち、世界市場では、深刻な格差が拡がっています。アメリカ、ヨーロッパ、日本は、エチオピアやハイチ、ネパールよりも100倍以上豊かだと言われている。先進国は、過去100年で発展してきましたが、途上国はどうでしょう。インドや中国が急速に発展している、でもその行動を取れない国々があります。グローバル化のひずみの陰で、周辺に押しやられている人々について、私たちはどう考えればいいのでしょう。なぜ、このような格差が拡大する一方なのでしょう。弱い者ではなく、強い者が心地よく便利に生活する地球社会。みんな強い者になりたがって、弱い者が置いてきぼりになってしまっている。どういった価値観が、どのような経済構造が、それを生み出すのでしょう。それをまず学び、考えることが、愛することを始めるための第一歩かもしれません。

日本国内を見てみましょう。皆さんと同じ年くらいの若い世代であっても、その中の意外に多くの人々が、皆さんの暮らしと同じような豊かな暮らしをすることができていません。日本社会は豊かですが、この社会がさらに豊かになり、一般的な水準が上がっていけばいくほど、その水準から落ちこぼれてしまっている子どもたちが、実に6人に1人の割合でいるということが、厚労省の調査でわかっています。まさに、自分たちで自分たち自身のことを守ることができないほど貧しかったり、非力であったりする。私たちは、それについて、どう考えるべきでしょう。ここでも、弱い者ではなく、強い者中心の考え方で、ますます便利に、益々豊かになっていく現実があります。

ノートルダム教育を受ける私たちが、愛することを始めるということは、実に、このようなことに向き合っていく、自分たちに関わることとして捉えることができる、という共感の心を自分の中に育てて行くことであると思います。弱い人々を中心にして、彼らを忘れない、彼らの幸せのために、自分ができることを見つけ、行動する。そしてそれを続ける。

今日は、ミサの後で、私たちの第3部があります。これは、一人の女性の生き方が軸になっています。辻村直さんという東ティモールの国際公務員の方の生き方。彼女は、もう17年以上も東ティモールで、自分のすべてを現地の人々の生活のために捧げつくしておられる方です。今日、登壇してくれる3人の皆さんの先輩たちは、その彼女に影響を受け、自分たちも現場に行ってみようと決意できた方々です。その彼女にだれかが尋ねました。辻村さん、一体いつまで、あなたは東ティモールで働き続けるのですか?そしたら、彼女はこう答えました。私の仕事が終わりになる時は、ここでの私の存在がゼロになる時ですと。必要とされなくなる程彼らが充分満たされる時、私の存在はゼロになる。そうすれば、私の仕事は終わりです。
彼女のこのことばは、これからの私たちの行動指針になる言葉だと思いますから、私の話の最後をこの言葉で締めくくりたいと思います。皆さんは、このグローバル社会にあって、自分の使命を生きて行かれる上で、自分の存在をゼロにするまで、その使命を生きて下さい。それが、本当の意味で「愛する」ことだと思います。そして皆さんお一人おひとりが、そのように愛する人になってくださること、それが校長としての私の願いです。

これをもちまして、式辞といたします。

2014年2月28日金曜日

2013年度卒業式 式辞

卒業生の皆さん、本日はおめでとうございます。保護者の皆様、高いところからではありますが、お嬢様のご卒業、誠におめでとうございます。本日のお喜びの日を、ここでこのように共にできることを、心より幸せに思っております。パウロ大塚司教様、シスターモーリン和田理事長様を始めとするご来賓の皆様、本日をこのように共にしていただくことは、私たちの大きな喜びでございます。誠にありがとうございます。

 卒業生の皆さん、このように私がこの壇上から皆さんに向かってお話しすることも、もう、これが最後になります。クラスメートと肩を並べてこのように立ち、同じ空気を吸いながら、この場に共に存在する、この日この時はもう二度と巡り来ない。私たちの生きる命は、その一回性に満ちたものです。普段はそのことに思いを馳せることがなかなかできない私たちですが、でも皆さんは、今日の時が近づくにつれ、そのことを意識し始めました。このホームルームで、この廊下で、この場所で、この友たちと当たり前のようにして時を過ごし、他愛のないことで笑い合える時間がもう、確実に終わりに近づいている、そう思うにつれて、その時間が愛おしく、その友を愛おしく、自分自身を愛おしく感じる気持ちが募ったことでしょう。一回限りで過ぎ去るすべての一瞬、その有限の時間と空間の中にあって、あなた方は、このノートルダムの学び舎で、神様があなた方一人ひとりに下さったかけがえのない真理に気づきました。その真理とは、この世のものがすべて過ぎ去っていく中で、決して過ぎ去らない、終わらない、朽ち果てないものがあるという気づきです。皆さんが今日、未来への扉を開かれる前に、最後に、そのことを振り返りましょう。いったいノートルダムは皆さんに何を伝えてきたのか。
 ノートルダム女学院はあなたに、この世界であなたは決して一人ではなく、多くの人々の愛の中でつながり合って生きているのだということを、あらゆる機会を通して知らせてきました。あなたをこよなく愛し、喜びとご苦労の中で大切にお育てになった保護者の方々、何気ない日常の中で、楽しかったことや辛かったことを共にしたかけがえのない友人たち、そして、どんな時もあなたを励まし勇気づけることを忘れなかった先生方職員の方々、それらの出会いの中で、ノートルダムは、あなたに伝えました。これらの温かく優しい眼ざし、あなたのつぶやきを聴こうとする耳、あなたが大事なのだと叫ぶ声、一緒に走ろうとつなぐ手、一緒に休むために下ろす腰、まるごとあなたを抱きしめる腕、あなたが弱い時に背負って歩む脚、それらはすべて、愛そのものである神からのものであったことを。神が私たちを先に愛され、神が私たちに生きてほしいと願いながら、命と愛、知恵と勇気を与え、素晴らしい出会いの数々を育まれ、私たちは一人残らず、その神のもとで、愛する人へと成長していくように招かれたのだということ、そのことを、知ってほしいと願い、伝え続けてきました。
 さらにノートルダムは、あなたに、世界を見るビジョンを持ち、ものごとを選択する基準を育て、その時その場で最もよいものを自分で選び取って前に進むこと、それができることが真の自由なのだということを教えました。そしてその自由を、自分の利益のためではなく、神と他者の幸いのために使うこと以外に、真の幸福はあり得ないということも、あなたに告げ知らせました。日々の学びは、真の幸福を得ることをゴールとする旅路、神から与えられた一人一人異なる賜物を見出す旅路であり、見つけた賜物をフル活用しながら、この地上で与えられた命をどうぞ精一杯生きてほしいという願いを、私はあなたに抱き続けました。
 私の大好きな文章を、今日皆さんに分かち合います。フランス人のイエズス会司祭で、古生物学者でもあったテイヤール・ド・シャルダンの考え方を、わかりやすく表している文章として、私は今日、あなた方と共有することが大変ふさわしいと感じました。神と宇宙と人類についての彼の考え方に、私は大学時代に出会い、深く感動しました。神学と科学との和解を可能にした人の中で、最も影響力のあった者とも言われました。

「私たちは全人類の初めから、世の終わりまで生きとし生けるものが関わる一つの織物を裏側から織っているようなものだ。裏から織っているので、自分に与えられた個所がどんな模様かははっきりとはわからない。けれども、全人類の終わりが来た時に、全人類が関わった一つの織物は、私たちに表を現わして掲げられる。そのときには、自分の織った個所が明らかにわかる。全人類が織り成す織物が見事な芸術品になるかどうかは、あなたにかかっている。あなたが‘自分なんて’と言いながら自分の受け持った個所をいいかげんに織ると、織物の質が変わっていく。あなたが自分の織物を裏側からみているとき、自分の使命が何だかわからないかもしれない。しかし、今ここで自分を大切にしながら与えられた能力を生かして、他の人とのよい関わりに焦点を合わせ、調和と一致をめざして働く時、それは見事な質の織物となる」


 最後に、私は皆さんに願いたいと思います。あなたは神の愛の中で生まれ、あなたの青春の日々は神の愛の中に豊かにありました。これからは、あなたは、愛する人としてどうか、あなたの賜物を生かしながら、出会うすべての人々にとって、光であり、希望となってください。この世界には、孤独な人、苦しんでいる人、弱い立場に押しやられて泣いている人々がたくさんいます。あなたのすぐ近くにも、そして遠く海の向こうにも、彼らは、あなたが来るのを待っています。まなざしをしっかり神に向けて進む時、神はそれらの人々の存在を、あなたに知らせてくださることでしょう。どうか、それらの人々の隣人となり、彼らを愛し抜き、彼らにとって光となり、希望となってください。ノートルダムで教育を受けたあなたには、それがおできになると私は信頼を持っています。
さあ、私が話すべきことはすべて話しました。これが最後です。でもこれは始まりです。聖母マリアの色のガウンを身にまとい、新しい扉を開けて、未知の世界にそれぞれ飛び立ってください。今からしばらくは、後ろを振り返らないで、前進あるのみです。では、行ってらっしゃい。
 神様の祝福が皆さんの上に豊かにありますように心からお祈りいたします。

2013年3月22日金曜日

ノートルダム女学院中学校 卒業式 学校長式辞


卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
保護者の皆様、高いところからではありますが、本日はお嬢様の中学ご卒業、誠におめでとうございます。また、溝部名誉司教様、シスター和田理事長様を始めとするご来賓の皆様、本日はご多用の中、本校中学校卒業式にご参列いただき、誠にありがとうございます。

本日、皆さんは、3年間のノートルダム教育を終えられました。今年度2012年度は、ノートルダムにとっては、創立60周年の節目を迎えた大切な年でした。60年というと、皆さんの想像もつかない長い年月かもしれません。でも、この60年間、変わらずにノートルダムがいつの時代にも伝え続けてきたことは、やがて、ノートルダム女学院中学校の深い知恵の源となりました。卒業に際して、皆さんにもう一度それらを伝えます。ここにいる皆さんの大半は、さらなる3年間をノートルダムで過ごされますが、中には、ノートルダムを今日、出発するという方々もおられます。その方々も含めて、皆さんのかけがえのないここでの3年間の学びを、どうか、一生の糧にしていただきたいと思います。

この世界は、そしてこの宇宙は、すべてを超える大きな愛そのものである神によって創造されたと、ノートルダムはあなたに知らせてきました。愛によって創られないものは、命として存在することは決してありません。星も、海も、山も、草木も、花も、空の鳥も、地の動物たちも、そして、私たち自身も、生きとし生けるすべての命は、大きな愛によって創られ、だからこそ互いに連鎖し、つながり合って育まれ、成長し、そして、この世界での使命を得て、それを果たし、そしてやがては愛に帰っていく。かつて、朝礼の時間だったかに、あなたの命は、お父様、お母様、その方々のご両親、そのご両親と、さかのぼって一体何人の人々の存在によって可能になったのかという話をしたかと思いますが、それはそれはおびただしい人々が、あなたの命の存在のために深く関わり、その中の一人でも違っていたら、今のあなたは存在しませんでした。一つの命の誕生に、どれだけの人々の人生と、出会いと、生きざまが関わっているか、その気が遠くなるような、でも、真実の愛の連綿たるつながりこそが、神の愛の呼吸であり、神の愛の時間であり、神の愛の証しです。ですから一つの命はこんなに尊く、その存在はあまりにも重いのです。あなた方はお一人おひとり、ここノートルダムで、そのことをしっかりと学んでおられます。

あなた方の命は、この世に望まれて存在し始め、まだ15年ほどしかたっていません。ですから、ご自身に何ができるのか、ご自身の可能性はどこにあり、どこで花開くのか、それを今、皆さんは模索しています。一人ひとりは、神から使命を受け、それを果たし、神のもとに戻る、あなた方は、どうか神に聴いてください。「私に何を望まれていますか。私はあなたから頂いた命を、だれかのために、何かのために、どのように使えばいいのですか」と。どうかそれを、神との対話の中で心静かに聴いてください。それこそが、祈りです。神様は、あなたがそれを真摯に尋ねる時、必ず耳を傾けて聴いてくださり、そしてあなたに応えられるでしょう。神が直接、そのみ声でもってお応えになることもあるかも知れませんが、様々な人との出会い、言葉との出会い、出来事との出会い、それらの出会いを通して、神はあなたに語りかけられます。神は、あなたのために特別に用意されている時をお選びになり、その時でしか成し得ない出会いを与えてくださいます。どうぞ、その「時」に敏感に、そして与えられた「出会い」を神からのギフトとして豊かに受け止め、あなたの糧とし、成長を続けてください。

2年前の3月、日本中を、大きな哀しみと苦しみと、そしてそれを乗り越える強さへと導いた、東日本大震災。その時以来、人々は本当の対話の大切さに気づき始めたと言われています。そして本音で語り合うようになった。表面的、上面だけの会話や、その場限りのやりとりだけでやり過ごすには、人生はあまりにも不確実で、不確定である。また会える、また話せると思っていても、もう二度と会えないかも知れない。ありがとうと言いたい、ゆるしてほしいと語りかけたい、そう願っても、もう二度とそのチャンスは与えられないかも知れない。やりたいこと、やるべきこと、言いたいこと、言うべきことを先延ばしにして時間をやり過ごすには、それぞれに与えられた持ち時間はあまりにも短く、この世は不確実です。でも、人間の心と心のつながりは、そのような不確実な時間と空間の中で、愛に満ちた絆を探し求める存在なのだと、あの日以来、私たちは知り始めています。今、与えられているこの時に、本音で語り合い、心から対話し共感し合うこと、行うべきことを躊躇せず行うことが、どれだけ大切でかけがえのないことであるか、そのことをようやく、理解し始めた。これは、私たちに与えられた新たなる知恵であり、苦しみを越えて到達した真理でもありました。

今日で、ノートルダム女学院中学校での三年間を終え、新たなステージにさしかかろうとする皆さん、皆さんのこれからの青春の時間は、煌めく宝石のような時間です。それは意外に短く、でも想像しているよりははるかに、堅固な土台となって、今後の皆さんの人生を支えるものです。どうか、今のこのかけがえのない十代の青春の時間を、心を尽くして魂をつくして、神と他者と自己に誠をもって生き抜いてください。心から対話し、心から共感し、つながり合って共に生きる。すべてが失われても、最後に残るものは、そうやって培った心と心のつながりであり、神が最もお望みのことであるということを胸に刻んで、次の扉を開けてください。

神の祝福が皆様の上に豊かにありますように、お祈りいたしております。




2013年3月1日金曜日

2月28日、第58回卒業式を挙行いたしました。


創立60周年を機に、2012年度より、本校のルーツである米国の姉妹校に合わせて、キャップ&ガウンを身にまとって、139名の生徒たちは、それぞれの夢を胸に、この学び舎を巣立っていきました。
当日の学校長式辞を、以下に掲載いたします。





皆さん、ご卒業おめでとうございます。今日の皆さんは、マリアン・ブルーのガウンに身を包み、眩しく輝いて見えます。保護者の皆様、高いところからではありますが、お嬢様のご卒業、誠におめでとうございます。本日のお喜びの日を、ここでこのように共にできることを、心より幸せに思っております。パウロ大塚司教様、シスターモーリン和田理事長様を始めとするご来賓の皆様、本日をこのように共にしていただくことは、私たちの大きな喜びでございます。誠にありがとうございます。

卒業生の皆さん、このように私がこの壇上から皆さんに向かってお話しすることも、もう、これが最後になります。ノートルダム女学院での大切な時間は、この139名の方々に同じように与えられ、それは同じように過ぎ去っていくように見えますが、実はその中身は、一人一人に特別に用意され、時機を得て計らわれ、与えられたものです。すなわち、この時間のすべては、神様からのあなた方一人ひとりへのかけがえのないギフトでした。まわりの人々や出来事、事物に、尊敬をもって対話的に関わり、その関わりの中で培われた共感力と行動力をもって、あなた方はまもなく、それぞれに用意された次の扉を開き、次のステップへ進んでいかれます。そこには未知の世界が広がっており、皆さんは、それぞれの人生を、より独自に、創造的に生きることに招かれています。その扉のノブに、今手をかけようとするあなた方お一人おひとりの背中に向かって、私はその後ろに立ち、大切なことを最後に知らせます。それは、あなた方が卒業しようとしているノートルダム女学院が全身全霊であなた方に知らせたかったことです。

ノートルダム女学院は、あなたに、この世界であなたは決して孤独ではない、ということを、あらゆる機会を通して知らせてきました。あなたをこよなく愛し、喜びとご苦労の中で大切にお育てになったご両親の心、何気ない日常の中で、楽しかったことや辛かったことを共にしたかけがえのない友人たちの心、そして、どんな時もあなたを励まし勇気づけることを忘れなかった教職員の方々の心、あなたは、これらの沢山の心にふれあい、一番大切なことに気づいたはずです。それは、ここノートルダムであなたは、すべてを包み、そしてすべてを超える神の愛の中におられたということです。そして、それを知ったあなたは、これからも、神の守りがあなたを離れないことをも知っているはずです。あなたが神の愛の中で生まれ、あなたの青春の日々が神の愛の中にあったように、これからも、あなたは、愛されて生きる人としてどうか、あなたが出会うすべての人々にとって、光であり、希望であってください。この世界には、孤独な人、苦しんでいる人、弱い立場に押しやられて泣いている人々がたくさんいます。あなたのすぐ近くにも、そして遠く海の向こうにも。まなざしをしっかり神に向けて進む時、神はそれらの人々の存在をあなたに知らせてくださることでしょう。どうか、それらの人々の隣人となり、彼らを愛し抜き、彼らにとって光となり、希望となってください。ノートルダムで教育を受けたあなたには、それがおできになると私は信頼を持っています。

ノートルダムで学び始めたばかりのあなたは、まだ幼く、自分にいったい何ができるのかを知りませんでした。でも、在学中に、沢山の課題に向き合い、それを解決しようと悩み、考え、困難に打ち勝ってこられました。それらをくぐり抜けられたあなたは、今、一人ひとり、美しく輝く18歳の姿を、私たちに見せてくださっています。自信をもって、扉を開けてください。扉の向こうの世界で、あなたはノートルダムで開花し始めた可能性をもって、神に派遣された場所で、ついに一輪の美しい花になります。その花は、一輪一輪、神から与えられた使命を持っています。どこでどのように咲くか、それは神のみがご存知でしょう。一人ひとりに与えられた使命はその人固有のもの。その使命を果たすために、大いに愛し、愛し抜き、時には戦い、時には休らい、それらの日々に神は常に絶えず、あなたと共にいてくださる、そのことを信じ、全力であなたの生命を燃やしてください。それが、私の、あなたがたお一人おひとりへの、切なる願いです。

昨年10月びわこホールにおいて、皆で盛大にお祝いしたノートルダム女学院の新しい門出は、ちょうど60年前、日本の地に勇敢に降り立った、ミッションへの最初の熱意がなければ叶わないことでした。私は、あの日、ノートルダムの初代校長シスターメリーユージニアレイカーに、私の祈りの取り次ぎを願いました。戦争に負け、物資貧しい日本、京都の東の山すその、何もない鹿ヶ谷、そこで一からすべてを始められたシスターユージニア校長は、何を思い、何を祈り、何も夢見て、この学校を建てられたのか、そのことに思いを馳せました。60年が経ち、1万人以上の卒業生を輩出するカトリック女子校に成長したその先端において、今と未来の責任を担う今日のノートルダム女学院は、もはや、過去の経験や知識に頼るだけでは生きてゆけない新しい時代に存在しています。願うことは、めまぐるしく移り変わる社会の只中で、時代を読み取るしなやかなヴィジョン、グローバル化が加速度を増す中、そのひずみに目を向け行動するための感性、しかしながら、私にとって最も大切な願いは、女学院に学ぶ一人の人格が、いつの時代においても、神の愛を信じ、その愛で自己と他者を、誠をもって大切にできる女性になることであり、ノートルダムがその学び舎であり続けることです。

今日、私はこの学年の卒業生に特別なプレゼントをさせて頂こうと思います。それはあなた方が、記念すべき、創立60年目、ダイヤモンド・ジュビリーの年に、この学び舎を巣立つ生徒たちだからです。1952年4月15日、本校最初の入学式での学校長シスターユージニア・レイカーの英語の式辞の一部です。敗戦後3年しか経たない占領下の日本で学校の設立を着手され、3年後の1952年に開学。それはポツダム宣言を受諾した日本が、自らの国家を取り戻そうとしている時と重なっています。初代校長は、米国人として、戦争でズタズタに傷ついた日本人に対して、和解と友愛の心情で対話され、誇りをもって生きるように呼びかけられました。あなた方に今日、この入学式でのスピーチをプレゼントします。

True education does not consist merely in acquiring knowledge. Fundamentally considered, education consists in the formation of character, in the development of all that is good and noble in the human being, to the end that he or she may attain her own happiness as well as the happiness of her fellow-beings.  Hence the school’s motto is VIRTUS ET SCIENTIA.  We hope you will always be true to this motto combining with knowledge a virtuous character that will make you an honor to God, to your parents, to your school, and to your country.

(和訳)
真の教育は単に、知識の獲得のみにあるのではありません。教育はその人のうちにある善なるもの尊いものを成長させながら、その人格を磨いていくことに他なりません。そしてついには、自己のみならず、他者を幸福にすることができる人間になることです。
故に、VIRTUS ET SCIENTIA 「徳と知」は、この学校のモットーなのであります。あなた方は常に、このモットーに忠実に、知識に加えて徳の高い人格をめざし、神が、そしてあなた方のご両親が、この学校が、そしてあなた方のこの国が、誇りとする人になってください。


きっとシスターユージニアも、神の国から今日、ここにいる私たちに祝福を送って下さっていることでしょう。

私が大学生の時、私に個人的に聖書を一緒に読んで下さっていたシスターユージニアは、ある時、私に、ご自身が純白の毛糸で編まれたマフラーをくださいました。私はもったいなくて、なかなか使うことができなかったことを憶えています。でも、校長になった最初の冬、今年、大切にとっておいたそれを、私の肩にかけてみました。30年以上経っても、シスターのマフラーは、眩しく白く温かく、私を包んでくれました。身にまとうものには意味があります。あなた方がマリアン・ブルーを今、身にまとっていることにも意味があります。あなた方がノートルダムで得たすべての愛に満ちたものを、このマリアの色であるガウンに託し、それを身にまとって卒業してください。振り返らずに、前に進み、恐れることなく今、未知の扉を開けてください。

神の祝福が皆さんの上にいつも豊かにありますように、お祈りいたします。

2012年12月18日火曜日

クリスマス − 最も小さな人々に告げ知らされた出来事





クリスマスが近づいています。現在、学校の正面玄関には、小さなクリブセット(馬小屋の模型)と、クリスマス・ツリーが置かれています。そう言えば、私が子どものころ、家の近くの教会では、本物に近いような馬小屋が設けられ、人の実寸のマリア様やヨセフ様、そして羊飼いたちが飼い葉桶を囲むように佇んでおられて、そばを通るたびに胸がときめいたものでした。そして飼い葉桶の赤ちゃんは、24日クリスマス・イヴの深夜にお生まれになるので、その時まで飼い葉桶は空っぽのままだったのです。

そんな昔の思い出があるなか、本校のこのクリブセットの小さな赤ちゃんは、あまりにもかわいく、生徒たちに早く見てもらいたくて、24日を待たずして小さな飼い葉桶の中に大切に置くことにしました。はやばや、クリスマスの到来です。
飼い葉桶の赤ちゃんは、まぎれもなく「私たちの救い主」であるイエス様です。もう月が満ちるというのに、泊まるところもないマリアの初産、その出来事を最初に知ったのは、極貧の中、寒さで震えながら夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちでした。

クリスマスの意味を考える時、「赤ちゃん」という存在でこの世界に来られたイエスと、その知らせを最初に聴いた羊飼いという存在、この二つは大切なポイントです。

まず、救い主のこの世界での登場の方法です。彼は、流星と共に現れたカッコいいスーパースターではなく、だれかのケアを絶え間なく必要とする「赤ちゃん」という姿でこの世に来られたのです。助けを必要とする弱い存在として、愛情と信頼を、その存在そのもので誘い(いざない)ます。赤ちゃんを囲む人々は自ずと優しく、心ほどかれていく―人々からそのような力を引き出す存在である救い主なのです。

次に、「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった!(ルカによる福音書2章11節)」と、主のみ使いに宣言された「あなたがた」は、極寒の荒野で、だれにも相手にされず、羊の群れの中に紛れていたような無名の人々でした。その彼らにとって、本日お生まれになった救い主は、「自分たちの」ために来られたと知るのです。「さあ、ベツレヘムへ言って、主が知らせてくださったその出来事を見て来よう(ルカ2:15)」と、羊の群れをその場に置いて、彼らをベツレヘムへと急がせたその緊急性は、主の使いがかれらの「そばに立ち」「主の栄光が彼らを覆い照らした(ルカ:2:9)」、つまり、初めて自分たちの存在に、光が照らされたという彼らの感動が伝わってきます。この世を動かしているように見える権力、経済力、名声とは全く無縁の場所-馬小屋、飼い葉桶、荒野、それらの場所で、2000年前、キリスト・イエスによる救いは始まったのです。

イエスご自身が、助けを必要とする存在としてこの世に来られ、まず最初に連帯した人々は、このような存在、すなわち、助けを必要としている最も小さく弱い人々であったということ、このことをクリスマス前の待降節に思い巡らしています。

2012年9月18日火曜日

平和ミュージアム「火の鳥」レリーフ


 皆さんは、京都の衣笠にある国際平和ミュージアムを訪れたことがおありでしょうか?立命館大学が「平和創造の主体者をはぐくむ」という素晴らしい理念のもとに開設された平和博物館。私たち女学院には「平和を考える日」が設けられていて、中学校在学中に必ずその博物館に一度は訪れることになっています。今日は、この博物館のロビーラウンジの話をしたいと思います。私も、中学生と共に何度となくこの博物館には足を運んでいますが、たいてい展示室の方でかなりの時間をかけるので、ラウンジに座る時間があまりとれませんでした。が、今年は、そこに、先生方と共に少し座る時間がありました。

ゆったりとした天井の広い空間の、東と西の広い壁のそれぞれに、大きなレリーフが掲げられています。それが手塚治虫さんの「火の鳥」であることは、その特徴からすぐにわかりました。よく見ると、東と西の二体の「火の鳥」は、それぞれ様子が少し異なっています。

東壁面の「火の鳥」は、首から羽のあたりに暗い色彩が施されており、頭も少し下がっていて、どことなく悲しげです。











一方、西側の「火の鳥」は、明るい金色で全体が輝いていて、首を高らかに上げて翼を大きく広げています。これはどういう意味があるのだろうと知りたくなって、入口近くにある説明文を見つけたのでした。









東の鳥は戦禍による人類の未曾有の苦しみと悲しみの「過去」を語り、西の鳥は平和への希求と実現を呼びかけている「未来」である、と。手塚氏の「火の鳥」は、随分前に映画で観た記憶があります。様々な生き物たちが大自然の摂理の中で懸命に生き、その命を謳歌するストーリー、命の尊さを宇宙規模で捉えたその作品は、なるほど、この博物館の理念に叶うものであると思いました。そして、このラウンジに名前がついていて、「火の鳥:過去、現在、未来」―ああ、そうか、私たちが今いるこの空間は、「現在」なのだ。平和創造の主体者たる私たちが、過去を振り返り、未来に向かって生きようとする「今」「ここ」で、何を選択し、どう決意し、どこに向かって生きていくのか―私が現在を生きることに深い意味を与えてくれる、すばらしい空間づくりであると感動しました。

私たちは、それぞれ一人ひとりが平和を創りだすように招かれている、その当事者なのですね。「平和を創りだす」など、あまりにも壮大で、自分には関係がないと思わないでください。目の前の困っているだれかに手を差し伸べること、悲しむ人の傍らに共にいること、それこそが、あなたによって創りだされる「平和」です。ノートルダム女学院では、毎日の帰りのホームルームで中一から高三まで、あることを創立当初から行っています。それはこの火の鳥のレリーフに深く関係があるなあと思いました。「平和を求める祈り」―それは、「私を平和の道具としてお使いください」という美しくみごとな一文から始まる祈りです。「火の鳥」に触発されて、次回はこの「平和の祈り」について、分かち合いたいと思います。

神様の平和が皆様と共にあるように、今日も祈っています。


2012年7月7日土曜日

いのちと向き合うということ(2)


7月6日の続きです。バスに母娘が乗っていたところ、2人のご婦人が正面に座られた。

しばらくしたら、その2人のご婦人は、手話で会話を始められたのです。目の前でそういう光景が展開され、A子さんがそれを見ていることに気づかれたお母様は、「耳の不自由な方々が、一生懸命会話しておられるのよ、ジロジロ見てはいけません」とおっしゃったそうです。お母様は、正面のお二人を気遣って、思わずそうおっしゃったのでしょう。そうしたら、A子さんがそれを受けてこう言ったそうです。「ジロジロ見てたんじゃないよ。じっと見てたの。私も手話を習えるかなと思って」と。お母様はハッとなさったそうです。この子の「じっと見ていた」という表現に、お母様は、通り一遍のことを言っている自分に気づかれた。「じっとみていた」そこに込められている思い、それは相手への肯定的な関心であり、「共感」であり「共に生きる」ことに対する欲求であったと。そして、そのお母様は井上先生にこう言われました。「子どもは私をつきぬけていきました」。

私たちは障がいをもっておられる方について、こどもたちに様々なことを知ってほしい、考えてほしいと願っています。そしていろいろな取り組みを行ってもいます。でも、この子どもは既に、「共に生きる」ことがどのようなことなのかを知っている。どうしたら私も、耳の不自由な人と一緒に話すことができるのだろうかと一生懸命問いかけながら、「じっと」見ていたのです。私はこの子どものこの生き方に感動します。「ジロジロ見る」と異なり、「じっとみる」は、温かさを感じるまなざしです。その人に向き合う、その人に寄り添う、その人とつながろうとする。その人の真の隣人になっていこうとうする決意の表現です。A子さんがきっと何気なく使ったそのことばは、実に多くのことを含む愛の表現だった。そのお母様が井上先生に分かち合ってくださったことに感謝します。そして井上先生が私たちにこのことを分かち合ってくださったことに深く感謝します。

私たちは、大人の一方的な「こうあるべき」という理念を信じて伝えがちです。でも、子どもたちは、それぞれの迸る感性で、もしかしたら、私たちを「つきぬけて」、真実をつかみ取る心をすでに授かっている存在なのかもしれません。大人は、その発芽をただ大切に見守ることに失敗してはならないのでしょう。それが、「いのちと向き合う」ことを穏やかに育てる教育なのかも知れません。

2012年7月6日金曜日

いのちと向き合うということ


先週は、全国カトリック学校 校長教頭の集まりが京都でありました。北は北海道北見から、南は鹿児島まで、全国カトリック小中高で合わせて80校以上の校長たちが一堂に会しました。テーマは「いのちと向き合うカトリック学校」、特に昨年3.11以降の東北の子どもたちの様子がとても気になっていたので、そのあたりも直接いろいろお話が聞けたらと希望していたら、会場前では模造紙20枚にわたって、被災地の子どもたちが震災前後から今日までの振り返りを書いたものが展示されていました。東北の子どもたちの肉筆から伝わる思い、家族や友人への心を直接目にすることができ、非常に貴重な機会でした。

集まりでは、カトリック学校の様々な方面の取り組みや、教育観の分かち合いが行われました。その中で、今日から明日にかけて、ご本人のお許しを得て、京都聖嬰会の前施設長でいらっしゃった井上新二先生のお話の一部を分かち合いたいと思います。先生の非常にやわらかな物腰と温かいお声に運ばれたメッセージには、「いのち」に向き合って生きるとは何なのかについて、深い示唆が含まれていました。

井上先生が、まだ公立小学校にお勤めだった頃の印象的なエピソードです。それはあるお母様が先生に分かち合われたお話だそうですが、そのお母様と娘のA子さんがある日、市バスに乗っておられました。そうしたら、2人組のご婦人がバスに乗ってこられました。そして母娘のちょうど前にお座りになりました。

この続きは明日に。

2012年7月3日火曜日

時間の神秘について


長らく一週間も空けてしまい、申し訳ありません。7月に入り、鹿ケ谷を包む緑が雨に美しく磨かれています。一枚一枚の葉が、眩しい新緑の頃から幾分成長し、しっかりとした深い緑へと変容しつつあります。この葉たちは、盛夏の厳しい頃、私たちのために優しい木陰をつくってくれる頼もしい存在になってくれることでしょう。私たちと共に歩む自然は、自らの存在でもって、すべてのことに時があることを示してくれています。

学校は来週から期末テストを迎えます。現在は、職員室前の談話コーナーのスペースに、時間を惜しんで先生に質問にくる生徒たちの列、いつまでも時を忘れるように生徒たちに寄り添う先生方、そのような光景が完全下校時刻まで続きます。夕暮れが訪れ、談話コーナーの窓辺が赤みがかったオレンジ色に染まる頃、生徒たちは時計を見ながら「ああ、もうこんな時間!」とつぶやきながら、「ありがとうございました!」と帰っていきます。

みんな時間との戦い。もしかしたら教師である我々も。机の上に積み上げられた書類、目を通しておかねばならない会議録、読むと約束した書類、書くと約束した原稿、会うべき人、出るべき会議、行くべき集まり等々。

「時間」について考えたいと思いました。みんな一様に与えられてはいるものの、それについてきちんと説明を求められれば、とたんにわからなくなる。人生に深く関わる大きな概念なのに、あたかも何気なく通り過ぎる風のようにかわしてしまうもの。今を生きながら、その今はすぐに過去になり、未来を見すえているつもりが、その未来も瞬く間に今をくぐりぬけて過去になろうとする。私にとって、時間とは、「生」「死」、このような次元と等しいほど、とてつもない神秘です。

ミヒャエル・エンデが、「モモ」という作品の中で、このようなことを書いている下りがあります。彼も時間を神秘と呼んだと知りました。

「大きいけれど、ごく日常的な神秘がある。すべての人がそれにかかわり、それを知っている。しかし、ほんのわずかな人々だけがそれについて考えている。この神秘こそ時間。
時間をはかるためにカレンダーや時計があるが、それには大した意味がない。だれもが知っていることだが、その時間に体験したことの内容次第で、たった一時間が永遠のように思えることがあるし、一瞬のように思えることもある。時間は人生だから。そして、人生は心の中に宿っているのだ。」

結局、時間とは自分自身である、といっても過言ではないかもしれません。一瞬一瞬の積み重ねが私の人生をつくる。今この瞬間が、私の生きざまをつくっている。その一瞬に、どう生きるか、その一瞬の出会いに何を求めるか、その一瞬の微笑みをだれに投げるか、その一瞬に何をするか。その一瞬の選び、人生はその連続です。

時を忘れて生徒に寄り添う先生たちは、山積みになっている仕事を職員室の机に置きっ放しで、生徒の完全下校まで生徒たちと共にいることを選んだ人々。人生を生徒に寄り添うと選んでいる人々。この学校はこれらの方々の人生の選択によって、今日まできたのだと思います。尊い時間の積み重ねが、この学校そのものなのです。

2012年6月21日木曜日

森と土と “リアスの海辺”


東北の太平洋岸が巨大津波に覆われた震災の日、二万人近い方の命と、有形無形の財産はそっくり喪われました。その場に残された方々のその後の暮らしについて、京都に住む私たちが共感するにはあまりにも次元を超えていると感じるしかありませんでした。それでも、現地の様子を時ごとに伝えるメディアは、戸惑う私たちに、絶望しかないところにも希望がある、闇しかないと思ったところに光が見いだせる、そのことを知らせ続けています。

最近、三陸リアス式海岸の気仙沼湾で、カキやホタテの養殖をお仕事とされている方の記事を読む機会がありました。畠山さんとおっしゃいます。震災後、津波の被害が甚大であった太平洋岸に住む人々の今の暮らしは、いったいどうなのか気にかかっていたので、「リアスの海辺から」という記事に、すぐに目が留まりました。リアス式海岸という言葉は小学校の社会の授業で習って知っていましたが、波が静かである故に、筏を使用した養殖業が発達したということを習った記憶があるぐらいでした。

畠山さんによれば、美味しいカキやホタテを育てるには、湾に注ぐ川の上流の森が大切だということなのです。彼はそれに気づき、もう25年も前に広葉樹の森づくりを始められました。毎年、森の広葉樹の葉が落ち腐葉土が形成され、その豊かな養分が川から海に供給され、ホタテの餌となる植物プランクトンが増える、このような循環を今回初めて知り、わくわくする思いがしました。そのあたりのことをもっと学校で教えてほしかったなあと思いました。そうしたら理科と社会は私の中でつながったのに…、などと自分勝手に思ったりしています。

震災直後の大津波で、海は一瞬にして死んでしまったかのように、生物がすべて姿を消してしまうのですが、驚いたことに、一か月もするとたちまち、餌になるプランクトンが増え始めたのです。食物連鎖が再生し始めた ― つまり、森林の腐葉土から溶け出てくる養分が豊かに海に流れ込む、その結果、プランクトンが増え始める、この循環が、このリアスの海辺ではあの後、間もなく始まっていたのだと知り、とても感動しました。畠山さんがおっしゃいます。津波によって壊れたのは人間が造ったものだけ、川と森はそのままだったと。そして、今、浜ではもう、ホタテの水揚げが始まっているようです。

どんな逆境に見えることにも淡々と優しく、自然の営みはその豊かな循環を繰り返し、命を生み出している―そのことを知ることは、この地球上で、ホタテもカキも、森も、海も、私たち生きとし生けるもの皆が一緒に生きていくために、人間である私たちが今、進むべき道、行うべき選択を、責任をもって行うことです。それはすべての命が共に生きる道であり、再生への道、未来に向かう道です。今を生きる私たちが、その道を間違えることなくきちんと選びとって進みたいと改めて思います。

Reference:
畠山重篤 「リアスの海辺から」あけぼの 2012. 7. pp. 10-11. 聖パウロ女子修道会



2012年6月6日水曜日

英国の母親たちの言葉を追いかけて(その3)


英国の子どもたちに見た「存在の対等性」について、彼らが発する言葉から切り込んでいきたいと考えました。なぜならば、言葉が一人の人間の成り立ち、存在に占める割合はあまりにも大きく、その人が何を話すか、どのように話すかは、その人そのものを如実に表します。そしてパーソナリティーにも深く関わっています。それは個人を超えた一つの文化に置き換えても同様のことは言えます。すなわち、言語が先か文化が先かは議論がなされるところですが、言語が文化を形作り、文化が言語を生み出すということは、地球上あらゆる社会文化の中で言うことができます。

一方、この世界において、「母親たち」とはどんな存在でしょうか。生まれた子どもたちが、だれよりも最初に大きく影響を受ける存在であるといって過言ではありません。生物学的にも、社会的にも、人は多様な角度から形成されながら、一人のパーソナリティーをもった人格へと成長していくわけですが、そのプロセスで、母親の存在、あるいは、母親に代わる存在は必要不可欠です。したがって、どのような社会文化の枠組みで成長したとしても、最も影響力が大きい母親(あるいは母親に代わる保護者)の言語というものは、その個人独自の限定版であると同時に、世界で普遍的であるという言い方ができます。

ところで、英国での一年間、息子たちを地元の公立小学校に通わせたことで、私は人との出会いについて、期待以上の大きな恵みを頂くことができました。レディング大学博士課程で研究をスタートした私に与えられた研究仲間は、今でも貴重な友人となっていますが、それに加えて、私たちの住まい半径1km以内に、よく似た年齢の子どもたちをもった英国の母親たちの友人を多く得ることができたことは貴重な体験でした。このことは、私にとって、日本と英国の文化差を乗り越えたユニバーサルな「母親」というもの、そして、文化という枠組みのプロトタイプとしての「母親」、その両者について時間をかけて考えるきっかけを生み出すことになったのです。

英国滞在中、私は母親と子どもの関わりを多く見てきました。どのような言葉をどのような状況でかけるのか、それを注意深く見ていくうちに、日本の母親たちと普遍的な共通点があると同時に、英国独自のものがあることに気づき始めました。その気づきの多くは、実際の生活の場面を通して得たものでした。二つの国の母親たちは、どんな言葉かけを行いながら一つの問題をクリアしていくのか。いよいよ、この中身については、来週11日の家庭教育講座の中で、英国と日本で収集した実際の研究データを用いてご紹介していきます。
どうぞ お楽しみに。

2012年6月2日土曜日

英国の母親たちの言葉を追いかけて(その2)


英国の子どもたちと話していて、私が何よりも目を見張るように驚いた点は、だれに話すのにも、相手が大人であろうと子どもであろうと、「自分」と「あなた」の「対等な関係」の上で成り立つ「かかわる力」でした。自分を一個人として、その存在を存在させている、大げさな言い方をすれば、そのような感じ。それも、オクスフォードの町の、state schoolと呼ばれる地域の子どもたちで構成されている、ごくありふれた地元の公立小学校にいる、おそらくはごく平均的な子どもたちの言語表現だったのです。たとえば、小学校の校庭で私を見かけると、子どものほうからファースト・ネームで’Hi, Yoshiko!’と親しく声をかけてくれる。ファーストネームで呼びかける、これは英語文化圏ではごくごく当たり前ですが、やはり、6歳の子どものほうから、朝一番ににこやかに手を振りながら、このように爽やかに  呼びかけられると、日本文化の中で育った私はうれしいような、驚くような、そんな感じです。そして、私の息子たちと楽しそうに遊ぶ傍ら、ふと近くにやってきて、「この台所はとってもいいにおいがするね、ヨシコ。何かを焼くにおいじゃないかな? 今日はいったい何を夕食にしようとしているの?」としっかりとそのように問われれば、面食らってしまうのは、おそらくその界隈では私だけでしょう。そして感動もしたのです。この「対等性」はいったいどこから来るものでしょうか?

たった6歳でこれほど堂々と大人に向き合って、自分のことばで豊かに自己表現ができる子どもたちは、一体どういう教育を受けてきているのだろう? それを素直に知りたいと思ったのです。私はどうしても知らなければならないと感じ、このキーを「母親」という社会的存在に探ってみることにした。母親が、おそらくはキーパーソンではないか? なぜならば、ごく少数の民族を除いて、一般的には、子どもという存在は、生まれてから最初に接触する大人が母親(あるいはそれに代わる保護者)であり、彼らの社会化が進む段階でもっとも多くのことばかけを受けるのも、母親からだからです。 英国の子どもたちは、いったいどのような「ことばかけ」を母親からされているのだろうか。その対照として日本人の子どもたちはどうなのだろう。母親たちは、いったいこどもに何をどのような言い方で子どもたちに話しかけているのだろうか。限りなく興味がわいてきました。

2012年5月31日木曜日

英国の母親たちのことばを追いかけて ~ 6月11日の家庭教育講座の準備です


6月11日に、父母の会主催の家庭教育講座が午前10時から本校であります。そこでお話する内容を、そろそろ準備しなければ、と思いながらやっと机に向かっていますが、3分も経たないうちに電話が、10分もしないうちに来客がという具合です。すなわち、校長室でものを書いたり読んだり考えたり、という一人で行う仕事の時間が確保されるのは、だいたい夜の7時以降が普段の流れです。ということは、この場所で、日が暮れるまでにしているメインの仕事は何かというと、ほとんどが人と話すことであると言っても過言ではありません。

「話す」「対話する」ことについて、30代、40代前半の頃の時間を費やして、自分なりに考えていたことがあります。ある時、不思議だと思ったことがきっかけで(何が不思議だと思ったのかは後日お話しましょう)、話し言葉の分野に興味を持ち始め、日本語の話し言葉をもっと深く知るために、英語の話し言葉と比較していろいろ調べていた時期があるのです。
思えば今とは私の日常の時間の流れ方が全く異っていました。その時期、夫と私のそれぞれの関心分野で一致した国イギリスに、1年間両者とも仕事を離れて家族で暮らす機会がありました。文化や言葉の概念などまだはっきりと持っているはずもない6歳と4歳の2人の息子にとっては、イギリスはオクスフォードの公立小学校と保育園の世界は、想像もしない生活の一大転換だったようです。これらのことについては、11日の家庭教育講座でお話することになるでしょう。なぜならば、今回の私のトークのテーマは、イギリスと日本の母親たちの子育ての在り方、特にことばの用い方に着目することになるからです。

私が非常に興味深く感じた、英国滞在中に気づいた現象は、子どもたち(私にとっては英国の地元の公立学校に通うこどもたち)の言語表現が、日本人の子どもたち(私の息子たちに代表されるごく平均的な彼ら、とお考えいただきたい)のそれと、確かに異なっているということでした。どのように異なっていたか、それは次回のブログでお話したいと思います。その違いは、ルーツを辿れば結局は、彼らにとって最も身近な母親たちのことばかけの違いがその発露になっているのではないかと思ったのです。
では、次回に。