2012年12月18日火曜日

クリスマス − 最も小さな人々に告げ知らされた出来事





クリスマスが近づいています。現在、学校の正面玄関には、小さなクリブセット(馬小屋の模型)と、クリスマス・ツリーが置かれています。そう言えば、私が子どものころ、家の近くの教会では、本物に近いような馬小屋が設けられ、人の実寸のマリア様やヨセフ様、そして羊飼いたちが飼い葉桶を囲むように佇んでおられて、そばを通るたびに胸がときめいたものでした。そして飼い葉桶の赤ちゃんは、24日クリスマス・イヴの深夜にお生まれになるので、その時まで飼い葉桶は空っぽのままだったのです。

そんな昔の思い出があるなか、本校のこのクリブセットの小さな赤ちゃんは、あまりにもかわいく、生徒たちに早く見てもらいたくて、24日を待たずして小さな飼い葉桶の中に大切に置くことにしました。はやばや、クリスマスの到来です。
飼い葉桶の赤ちゃんは、まぎれもなく「私たちの救い主」であるイエス様です。もう月が満ちるというのに、泊まるところもないマリアの初産、その出来事を最初に知ったのは、極貧の中、寒さで震えながら夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちでした。

クリスマスの意味を考える時、「赤ちゃん」という存在でこの世界に来られたイエスと、その知らせを最初に聴いた羊飼いという存在、この二つは大切なポイントです。

まず、救い主のこの世界での登場の方法です。彼は、流星と共に現れたカッコいいスーパースターではなく、だれかのケアを絶え間なく必要とする「赤ちゃん」という姿でこの世に来られたのです。助けを必要とする弱い存在として、愛情と信頼を、その存在そのもので誘い(いざない)ます。赤ちゃんを囲む人々は自ずと優しく、心ほどかれていく―人々からそのような力を引き出す存在である救い主なのです。

次に、「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった!(ルカによる福音書2章11節)」と、主のみ使いに宣言された「あなたがた」は、極寒の荒野で、だれにも相手にされず、羊の群れの中に紛れていたような無名の人々でした。その彼らにとって、本日お生まれになった救い主は、「自分たちの」ために来られたと知るのです。「さあ、ベツレヘムへ言って、主が知らせてくださったその出来事を見て来よう(ルカ2:15)」と、羊の群れをその場に置いて、彼らをベツレヘムへと急がせたその緊急性は、主の使いがかれらの「そばに立ち」「主の栄光が彼らを覆い照らした(ルカ:2:9)」、つまり、初めて自分たちの存在に、光が照らされたという彼らの感動が伝わってきます。この世を動かしているように見える権力、経済力、名声とは全く無縁の場所-馬小屋、飼い葉桶、荒野、それらの場所で、2000年前、キリスト・イエスによる救いは始まったのです。

イエスご自身が、助けを必要とする存在としてこの世に来られ、まず最初に連帯した人々は、このような存在、すなわち、助けを必要としている最も小さく弱い人々であったということ、このことをクリスマス前の待降節に思い巡らしています。

2012年10月16日火曜日

本校創立60周年記念式典が開催されました




先日10月12日には、本校創立60周年記念式典がびわ湖ホールで開催されました。式典と音楽の集いの2部構成でしたが、本校高校1,2年全員と卒業生たち300人近くの人々によって歌い上げられた「マニフィカト」大合唱と、オーケストラクラブによる「大学祝典序曲」は60年の創立記念行事に相応しい格調高いものであったと誇りに思っています。

その時の様子を写真や動画で皆様にできるだけ早くお見せしたいと思います。今回、こちらでは、第一部の式典の方で私が話した式辞の原稿の全文を上げてほしいという要望にお応えすることにします。当日はほぼこれに従って話しました。女学院のこれまでの60年間が、変わらずに大切にしてきた本校の価値観と行動指針を三つ、挙げてお話させていただきました。そして、これからの新たな第一歩を歩み出す私たちが、どこを目指してどのように生きていくことが神様に望まれているのかということをご一緒に考えるよい機会になったと思っています。





創立60周年記念式典 式辞

 本日、私たちは、ノートルダム女学院中学校高等学校の創立60周年をお祝いするために、このびわ湖ホールに集っています。なんという特別で、素晴らしい時なのでしょう。神様のご意志で建てられ、そして成長したこの学校の60年間に思いを馳せ、そして今日からの新たな第一歩を踏み出すための決意を、神様のみ前にお捧げする、特別なこの時間を、今ここに集う皆様方と共にすることができることを、私はこの上ない喜びと感じています。

 ここにいる生徒の皆さんは、ご自身が60年の本校の歴史の最先端を生きる大切な人たちであると知って下さい。

そして、保護者の皆様、本日はご参加くださり誠にありがとうございます。この記念すべき時に、皆様の大切なお嬢様の教育をお委ね頂いたこの学校が、どのような心で生き、何をめざす学校なのかということを、本日のひとときを通して、是非感じ知って頂きたく思っております。

いつも女学院を様々な方面から支えて下さっているご来賓の皆様、本日は、ご多用のところ、女学院の特別な日のために、このように駆けつけていただきましたことを、心より感謝申し上げます。ありがとうございます。

 ノートルダム女学院中学高等学校は、ドイツにおいて、マザーテレジアゲルハルディンガーが創設されたノートルダム教育修道女会によって、1952年、京都の鹿ヶ谷の地に開学いたしました。

ノートルダム教育は、世界のどこにあっても、女性が、神の愛のうちに、他者と自己に誠をもって生きる生き方を学ぶ学校、質の高い教育を通して、また本物に触れる感動を通して、その可能性を無限に開花させようと励みます。

日本のノートルダム教育は、ドイツから広がり、アメリカ合衆国ミズリー州セントルイスのシスター方によって始まりました。鹿ヶ谷の土地に直接種が蒔かれたのです。その種は、60年の歳月を経てここまで成長して参りました。今日、1万人以上の卒業生が生まれるカトリックミッションスクールとして、その根を張り続けています。
 言葉という手段では到底表現できない60年という歳月に、私たちが受け取ったもの、そして未来へと引き継ぐべきものはあまりにも多いですが、でも、それをあえて、三つの項目で表してみることを試みたのが、この4月、私が学校長に就任した最初の入学式においてでした。

就任するに際して、私は改めて、この激動の時代、女子カトリック・ミッション校にとって決して順風ではない時にあって、ノートルダム女学院の存在の理由とその証しについて祈り、黙想しました。私が生徒として、ノートルダムで学んだものは何だったのか。マザーの娘であるアメリカ人、日本人のシスター方が命をかけて、私たち生徒に知らせたかったものは何だったのか。創立者マザーが、最も大切だと思っておられるものは何なのか。そして徐々に、私の心の内側ではっきりしてきたことが、次の3つのことがらだったのです。

女性の12歳から18歳までというかけがえのない大切な思春期に、ここで学ぶ生徒の皆さんが在学中に体得してほしいこと、その一つめは、生徒の皆さん一人ひとりは、神様に既に愛されて存在しているかけがえのない大切な人々である、ということです。この学校の様々な場面で、そのことに気づいてほしい。神様はあなた方一人一人を無限に愛されていることを。神はあなた方を愛さずにはおれない。神が愛そのものだからです。それを知ることは、皆さんお一人お一人の人生の旅路の究極の目的といっても過言ではありません。その旅路に出ることを、この学校での学びから始めてほしいと願っています。

二つめは、あなた方は一人ひとり、神様から、無限のすばらしさと可能性を与えられているということです。そして、その可能性は、他者のために開かれたものであり、だれかの幸せのために、自分の使命を生きる時、自分の存在を懸けた時、あなたの人生の完全開花が成し遂げられると知ってください。あなた自身の素晴らしさは何か、そしてどのような可能性を秘めているのか、そのことを、この女学院において、あなたご自身が見つけて下さい。そして、神様はあなたがそれを見つけ、その可能性に向かって努力を続けるその時に、優しく寄り添って必ず助けてくださいます。そのことを知ってほしいのです。

三つめは、あなたは、この世界の、あるいは宇宙の構成員であるという気づきです。神がお造りになったこの宇宙で、皆さん一人一人は、あらゆるものとつながり合って生きています。全世界の多様な人々とつながり合っていることはいうまでもなく、動植物、自然、この宇宙のあらゆる被造物、つまり神がお造りになったものと密接につながり合い、お互いに生かし合って生きています。そのことを知ってください。そして多様に存在するこれらの違いを知り、受け入れ、そして、やがては世界中のすべての被造物が共に豊かに生きていくために、努力して行動できる人に成長して頂きたいのです。

以上これらの三つのことがらは、これまでにノートルダム教育があらゆる場面で真摯に行ってきたことがらであり、そして次の時代に私たちが責任をもって受け継いでいかねばならない大切な価値観と行動指針です。これらを実際に生きることが、神様と共に責任をもって未来をつくることにつながります。

特に今現在、地球はあらゆる側面で傷つき、うめいています。自然界のあらゆる場所で、その環境にひずみが起き破壊が進んでいます。また、世界の国々が急速につながり合うように見える一方で、そのために地球社会では経済的な格差が生まれ、深刻な貧困が進み、すみに押しやられて泣きながら生きている人々が急増しています。私たちができることは何か、学ぶことは何か、変えていけることは何か、それを問い続けましょう。そして行動に移しましょう。

生徒の皆さん、神様は心から皆さんのことを愛されています。そして望んでおられます。ノートルダムで過ごす皆さんが、誠実で優しい人に育つように。そして困っている人、助けが必要な人のことを思いやれる人になれるように。人だけでなく、自然に対しても、世界の様々な不正義や、そこから生まれる必要性に対しても、敏感になれるように。そしてニーズに対して行動できる人になれるように。神様は、のぞんでおられます。だからもっと様々なことを勉強し、自分の糧にしてください。視野を拡げ、愛深く生きてください。それが神様の、そして学校長としての私の願いです。

保護者の皆様、ノートルダム女学院で、このようなご縁を頂き、そしてお出会いできたことを神様に深く感謝しています。私たちのノートルダム教育に信頼をお寄せくださっていることにも深く感謝しています。どうか、女学院を、そしてお嬢様を共に育むパートナーとして、これからもよろしくお願いいたします。

ご来賓の皆様、本日よりまた新たにノートルダム教育の実現に私たちは全力を投じます。変えてはならないものを守り、変えていくべきことについてはしなやかに、その識別の眼力を磨きながら、前に前にと進んで参ります。温かいご支援を頂ければこれ以上の喜びはありません。

特にシスター方、高いところからではありますが、いつもいつも、私たちのために温かくサポートくださり、また日々祈っていてくださり、本当にありがとうございます。これまで命を投じて行われてきたノートルダム教育を、次世代の私たちにお任せになるにあたって、お心を砕いて下さっている日々、感謝しております。信頼して、見守って下さる温かい眼差しを感じて、私は日々励まされています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

これをもちまして、私の式辞とさせて頂きます。

2012年9月18日火曜日

平和ミュージアム「火の鳥」レリーフ


 皆さんは、京都の衣笠にある国際平和ミュージアムを訪れたことがおありでしょうか?立命館大学が「平和創造の主体者をはぐくむ」という素晴らしい理念のもとに開設された平和博物館。私たち女学院には「平和を考える日」が設けられていて、中学校在学中に必ずその博物館に一度は訪れることになっています。今日は、この博物館のロビーラウンジの話をしたいと思います。私も、中学生と共に何度となくこの博物館には足を運んでいますが、たいてい展示室の方でかなりの時間をかけるので、ラウンジに座る時間があまりとれませんでした。が、今年は、そこに、先生方と共に少し座る時間がありました。

ゆったりとした天井の広い空間の、東と西の広い壁のそれぞれに、大きなレリーフが掲げられています。それが手塚治虫さんの「火の鳥」であることは、その特徴からすぐにわかりました。よく見ると、東と西の二体の「火の鳥」は、それぞれ様子が少し異なっています。

東壁面の「火の鳥」は、首から羽のあたりに暗い色彩が施されており、頭も少し下がっていて、どことなく悲しげです。











一方、西側の「火の鳥」は、明るい金色で全体が輝いていて、首を高らかに上げて翼を大きく広げています。これはどういう意味があるのだろうと知りたくなって、入口近くにある説明文を見つけたのでした。









東の鳥は戦禍による人類の未曾有の苦しみと悲しみの「過去」を語り、西の鳥は平和への希求と実現を呼びかけている「未来」である、と。手塚氏の「火の鳥」は、随分前に映画で観た記憶があります。様々な生き物たちが大自然の摂理の中で懸命に生き、その命を謳歌するストーリー、命の尊さを宇宙規模で捉えたその作品は、なるほど、この博物館の理念に叶うものであると思いました。そして、このラウンジに名前がついていて、「火の鳥:過去、現在、未来」―ああ、そうか、私たちが今いるこの空間は、「現在」なのだ。平和創造の主体者たる私たちが、過去を振り返り、未来に向かって生きようとする「今」「ここ」で、何を選択し、どう決意し、どこに向かって生きていくのか―私が現在を生きることに深い意味を与えてくれる、すばらしい空間づくりであると感動しました。

私たちは、それぞれ一人ひとりが平和を創りだすように招かれている、その当事者なのですね。「平和を創りだす」など、あまりにも壮大で、自分には関係がないと思わないでください。目の前の困っているだれかに手を差し伸べること、悲しむ人の傍らに共にいること、それこそが、あなたによって創りだされる「平和」です。ノートルダム女学院では、毎日の帰りのホームルームで中一から高三まで、あることを創立当初から行っています。それはこの火の鳥のレリーフに深く関係があるなあと思いました。「平和を求める祈り」―それは、「私を平和の道具としてお使いください」という美しくみごとな一文から始まる祈りです。「火の鳥」に触発されて、次回はこの「平和の祈り」について、分かち合いたいと思います。

神様の平和が皆様と共にあるように、今日も祈っています。


2012年9月13日木曜日

ノートルダムの香り漂う2学期へ


長らくご無沙汰いたしました。皆様お元気でこの夏をお過ごしでしたか。私もお陰様で多忙の中にも神の恵みを感じる日々でもありました。第2学期も無事に始まり、瞬く間に2週間が過ぎ去ろうとしています。
 2学期は、ノートルダムのノートルダムらしさが、さらに醸し出される学期。私たち自身を育ててくれる、そして、それを私たちが誇りとしている様々な活動がキャンパス一杯に広がる輝かしい時です。一つひとつ、できる限りご案内して参りたいと思っております。ご期待ください。
 今回はその予告編にしたいと思っています。
まずは何と言っても9月22日から24日に繰り広げられる「文化祭」。今年のテーマは「信頼~Trust」です。信頼と聞けば、私がまず思い起こすことばは「つながり」です。ですから、文化祭のパンフレットに挨拶を書いてくださいと言われた時、私はサブタイトルに「『私』と『あなた』のつながりから生まれるもの」という表現を選びました。つながりから生まれるものは無限の広がりです。どんな広がりを見せてくれる文化祭になるのでしょう。今から楽しみです。
 その後に来るのが10月6日の体育祭。思いっきり頑張ってくれることでしょう。応援席から皆さんの勇姿を見せて頂くことを今から楽しみにしています。頑張れ!
 さて、いよいよ、10月12日、本校創立記念日の到来です。今年の創立記念日は少し特別です。1952年に鹿ケ谷にこの学校が創設されて、今年でちょうど60年を迎えるからです。そうです。ダイアモンド・ジュビリー(Diamond Jubilee)と呼ぶ記念すべき年になります。びわ湖ホールで特別なお祝いをして、お客様もたくさんお招きして全校あげてこの60年の歩みに想いを馳せて、神様に感謝を捧げる一日としましょう。
 11月3日は、恒例の英語コンテスト・暗唱大会の主催校として、近畿地区の小中学生たちをお招きします。本校の講堂が、様々な制服を着た他校の生徒で一杯になり、緊張感漂う特別な空間になる日。ドキドキします。
 校庭の紅葉が色づく前に、今学期の誕生日ミサがあり、高校3年生の指輪贈呈式、そして11月の追悼祈りの会の頃には、彩り鮮やかな紅葉が私たちの目を楽しませてくれるでしょう。そして、いよいよ待降節を迎え、クリスマスです。ボランティアスクールについては是非ご紹介したいです。まだまだ、ここに書ききれない活動が目白押しですが、どれ一つをとっても、ノートルダム教育の香りが漂うものばかりなのです。
 予告編と言いながら、やはり長くなってしまいました。また今学期もこのブログ上で、どうぞよろしくおつき合いください。
 

2012年7月14日土曜日

世界のノートルダム・スピリット

昨日は、ノートルダム教育修道女会(School Sisters of Notre Dame  以下SSND)のサマープログラムの一環として、海外からのシスター方が5名、本校をご訪問され、先生方や生徒たちと交流されました。4名は米国各地から、1名はアフリカはナイジェリアからお越しになりました。5名のシスター方は、どこに生きていても、ノートルダムがキリスト・イエスの教えた生き方を貫く共同体であることを、私たちに伝えてくださっている、私はそのように感じます。

シスターポーリッサはマンケートで識字教育に携わっておられますし、シスターシンディーは現在ミルウォーキーで高齢者に関わるお仕事に、シスターテレサはメリーランドの本校の姉妹大学であるノートルダム大学でフランス語をご担当、シスタージョンはミルウォーキーの、同じく本校の姉妹大学であるマウントメリー大学の副学長です。そして、アフリカはナイジェリアからのシスターメイベルは、あちらのノートルダム女学院高校の校長先生でいらっしゃいます。ノートルダムの豊かな広がりを感じます。

朝8時15分の本校の職員朝礼でご挨拶を頂いた後、午前中本校生徒が期末考査最終日でテストに取り組む間、本校の敷地内にあるお茶室で裏千家茶道を楽しまれ、その後、修道院として6年前までシスター方の居住されていた歴史的建造物である「和中庵」をご見学。皆さん既に非常によく事前学習されていて、この建物が大正末期、1926年に建立されていることも、その中のお一人はご存じなのには驚きました。シスター方は、日本の伝統的な建造物の黒光りする廊下を静かに歩きながら、同じスピリットで生きた日本の姉妹会員たちへの、往時の暮らしに想いを馳せておられるご様子でした。ランチまでに少々時間があるので、徒歩10分のところにある法然院にお連れしました。本堂近くの方丈では、たまたま珍しく現代美術の展覧会が開催されており、この機会に私自身も普段は機会がなかった空間に入らせて頂くことができ、あの空間が放つ凛とした静寂さにシスター方と共に「京都」を感じ、感動しました。

午後は生徒たちによる交流の集い。風呂敷の使い方のプレゼンテーション、また、この春に東北にボランティアに行った3人の生徒たちによるレポート等、力作続きの歓迎で、シスターたちからお褒めの言葉を頂きました。グループごとにシスターお一人ずつ入っていただき質問大会もしましたが、ナイジェリアのシスターメイベルのグループでは、いつの間にか皆が踊りだすなど、全員がかなりの盛り上がりを見せてくれました。




その後、聖堂を訪問し、講堂で行われている剣道クラブの見学へ。さすが、日本のマーシャル・アーツの代表、威勢のよい雄叫びと熟達した竹刀捌きは、見る人の心を捉えたと確信します。



私にとってこの日は、ノートルダムが世界に共有するスピリットの広がりの豊かさを感じる一日となりました。生徒たちの若い日々に、世界を感じ、学び、体験することが非常に大切なことは言うまでもありません。でも、最も大切なものは、語学力でも知識でもなく、神から授けられた命を有限の存在として生きるための、生涯を貫く価値観です。これをきちんと携えて生きることは、すべてを凌駕して自分が世界のどこに生きても、人として尊ぶべきものを心から尊び、きちんと向き合って対話し、そこから生まれる共感を育み、自分の心とからだを使って行動していくことにつながります。これが、ノートルダム教育がゴールにしている大切なミッションです。今日、私たちが出会ったシスター方は、そのことを私に再認識させてくださいました。私たちの日々のノートルダム教育は、世界に通用する価値観を育む教育なのです。

最後になりましたが、本日お出会いした5名のシスター方への感謝と、これからのお一人おひとりの使徒職に、神様の祝福が豊かにありますように心から祈っています。





2012年7月11日水曜日

生かし合って生きている (2)

7月10日の続きです。



あるとき、あと3日で出発という時期に、私は相変わらず憂鬱な気持ちになっていた。短大での仕事も一杯残っている。そして何より子どもにつらい思いをさせてまで続ける価値がある研究なのかとすら思うほど、落ち込んでさえいた。そこで、研究室に来ていた3人の学生のうちの一人が、そんな私の心境を知っているはずもないのに、こう言ってくれたのである。「先生、子どもさんも夫もいらっしゃって、イギリスに行かれるのは大変だろうと思うけど、先生がそれでもがんばっておられるのは、私たちにはとっても励みになるんです。私もがんばらないとな~って自然に思えてくる。」
 

琴線に触れる、という言葉があるが、まさしく私はその時、私の心の秘められた場所で、この学生の言葉を受け止めた。そして心が揺さぶられ、涙が溢れそうになるのを、何気なく顔の向きを変えて押さえるのが精一杯だった。立ちすくむ自分の背中を今、優しく押してもらった気がした。強がっても仕方ないと思った私は、学生にその時本音を言った。「私ね、本当はつらいと思っていたの。あなたたちがそう言ってくれるまで、つらくてやめたいとすら実は思っていたぐらいなのよ。でも、やっぱりやめないわね。がんばるね。今日、ここに来てくれて本当にありがとう」と、その時、私は教師が学生に話すようにではなく、励ましてくれた人に向かってお礼を述べるように話した。
 

自信に満ちているような姿をみせていると思ってはいたけれど、実は、学生たちは、私の言わない部分も知ってくれている。それも全部ひっくるめて私を優しく受け止めてくれている。私が今日ここにいるのは、そのようなきらめく一瞬の出会いの積み重ねがあったからかも知れないと感じる。「みんなお互いに、生かし合って生きている」ということは、実は教師としての私が、感謝とともに学生に伝えられる最大のメッセージかも知れないと思う。

2012年7月10日火曜日

生かし合って生きている (1)


皆さまには、私のバックグラウンドをまだ紹介する機会がなかったかも知れません。学校で直接、保護者の皆様にお話する時には、折にふれて私の自己紹介をする機会がありますが、ブログではまだ一度もそのチャンスがなかったと思います。昨日、プロフィールをアップしましたので、またお時間があれば覗いてみていただければと思います。

私は2008年4月にここ母校に戻ってくるまで、聖母女学院短期大学という京都市伏見区にあるカトリックの短大に17年間奉職していました。25歳で2年間、米国に留学し、帰国して翌年から2008年まで、つまり人生の20台後半から40台の半ばまで過ごしたこの場所は、大人としての私の基底部分と、社会人としての私の多様な側面を育ててくれたと言っても過言ではありません。まさに、かけがえのない、そして愛してやまない職場です。私の人生において数々の記念すべきイベントも、この職場と共にありました。専任講師として着任して一年目に結婚し、その2年後に長男を出産、その2年後に次男を出産、それから4年後に在外研修で家族と共に渡英しました。5月中旬のブログで分かち合った、生涯の師として仰ぐアンセルモ・マタイス神父様も、この頃に学長に就任されています。

同僚にも恵まれ、研究仲間として励まし合い切磋琢磨し合いながら、共に激動の大学改革の時代を生き、将来構想、改組改変等々、あの頃にしかできない仕事を一緒に夜遅くまでやった仲間たちは、今でもかけがえのない友人たちです。

あの頃に書いたエッセーの一つを、ご紹介します。少し長いので2回に分けます。




忘れられない一瞬というものがある。研究室で、普通に学生と会話しているはずのその時間が、生涯においてかけがえのない、きらめく時間となることが多々ある。その内の一つを分かち合いたいと思う。
 教師とは、常に学生に何かを与える存在であるはずだ。常に存在そのもので彼女らを力づけたいし、糧となる言葉を与えたい。励ましとなる何かを受け取ってほしい。日々授業で、研究室で、学内外で、そんな「教師」でありたいと思っているのは私だけではないはずだ。そんな私は、学生たちの視点では常に、自信に満ちているようにみえ、強い意志をもち、逆境にも屈せず、明るく前向きに生きている栗本先生と信じられている。おそらくそれは、パーフォーマンスではなく、本当の私の一部であるかもしれないが、無論、私のすべてではない。
 ここ数年、イギリスの母子関係をテーマにして研究を続けている都合上、年に少なくとも一度は渡英することを余儀なくされる。渡英前の慌ただしさは、向こうでの研究の為の事前準備が、短大での業務のただ中に入り込んでくることから始まる。自宅の扉から滞在先の扉までおよそ24時間かけて到着したイギリス国内では、限られた時間にいかに効率よく仕事をこなすか、そのタイムテーブルとの戦いでもある。からだの疲れなどカウントしている間もない。そして24時間かけ帰国、時差ボケと共に残務処理に忙殺されながら、短大での日常の再開。ここまでなら、まだ自分のことだけなので何とかなる。どんなに苦しくとも、自分の研究生活なので文句もない。しかし何よりもつらいのは、この生活に家族を巻き込むということ。このテーマで研究を続けて7年が経つが、子どもがまだ小さかった頃は、たとえ一週間でも、私が出張することを、彼らは言うまでもなく嫌がった。早朝、戸口で泣きながら見送ってくれる子どもたちの姿を、振り返って見ようとすればもう行けなくなると知っていた。
 そんな一連の英国出張に伴うストレスフルな心境は、もちろん非常に個人的なことなので、学生たちに話したことはなかった。
この続きは明日に。

2012年7月7日土曜日

いのちと向き合うということ(2)


7月6日の続きです。バスに母娘が乗っていたところ、2人のご婦人が正面に座られた。

しばらくしたら、その2人のご婦人は、手話で会話を始められたのです。目の前でそういう光景が展開され、A子さんがそれを見ていることに気づかれたお母様は、「耳の不自由な方々が、一生懸命会話しておられるのよ、ジロジロ見てはいけません」とおっしゃったそうです。お母様は、正面のお二人を気遣って、思わずそうおっしゃったのでしょう。そうしたら、A子さんがそれを受けてこう言ったそうです。「ジロジロ見てたんじゃないよ。じっと見てたの。私も手話を習えるかなと思って」と。お母様はハッとなさったそうです。この子の「じっと見ていた」という表現に、お母様は、通り一遍のことを言っている自分に気づかれた。「じっとみていた」そこに込められている思い、それは相手への肯定的な関心であり、「共感」であり「共に生きる」ことに対する欲求であったと。そして、そのお母様は井上先生にこう言われました。「子どもは私をつきぬけていきました」。

私たちは障がいをもっておられる方について、こどもたちに様々なことを知ってほしい、考えてほしいと願っています。そしていろいろな取り組みを行ってもいます。でも、この子どもは既に、「共に生きる」ことがどのようなことなのかを知っている。どうしたら私も、耳の不自由な人と一緒に話すことができるのだろうかと一生懸命問いかけながら、「じっと」見ていたのです。私はこの子どものこの生き方に感動します。「ジロジロ見る」と異なり、「じっとみる」は、温かさを感じるまなざしです。その人に向き合う、その人に寄り添う、その人とつながろうとする。その人の真の隣人になっていこうとうする決意の表現です。A子さんがきっと何気なく使ったそのことばは、実に多くのことを含む愛の表現だった。そのお母様が井上先生に分かち合ってくださったことに感謝します。そして井上先生が私たちにこのことを分かち合ってくださったことに深く感謝します。

私たちは、大人の一方的な「こうあるべき」という理念を信じて伝えがちです。でも、子どもたちは、それぞれの迸る感性で、もしかしたら、私たちを「つきぬけて」、真実をつかみ取る心をすでに授かっている存在なのかもしれません。大人は、その発芽をただ大切に見守ることに失敗してはならないのでしょう。それが、「いのちと向き合う」ことを穏やかに育てる教育なのかも知れません。

2012年7月6日金曜日

いのちと向き合うということ


先週は、全国カトリック学校 校長教頭の集まりが京都でありました。北は北海道北見から、南は鹿児島まで、全国カトリック小中高で合わせて80校以上の校長たちが一堂に会しました。テーマは「いのちと向き合うカトリック学校」、特に昨年3.11以降の東北の子どもたちの様子がとても気になっていたので、そのあたりも直接いろいろお話が聞けたらと希望していたら、会場前では模造紙20枚にわたって、被災地の子どもたちが震災前後から今日までの振り返りを書いたものが展示されていました。東北の子どもたちの肉筆から伝わる思い、家族や友人への心を直接目にすることができ、非常に貴重な機会でした。

集まりでは、カトリック学校の様々な方面の取り組みや、教育観の分かち合いが行われました。その中で、今日から明日にかけて、ご本人のお許しを得て、京都聖嬰会の前施設長でいらっしゃった井上新二先生のお話の一部を分かち合いたいと思います。先生の非常にやわらかな物腰と温かいお声に運ばれたメッセージには、「いのち」に向き合って生きるとは何なのかについて、深い示唆が含まれていました。

井上先生が、まだ公立小学校にお勤めだった頃の印象的なエピソードです。それはあるお母様が先生に分かち合われたお話だそうですが、そのお母様と娘のA子さんがある日、市バスに乗っておられました。そうしたら、2人組のご婦人がバスに乗ってこられました。そして母娘のちょうど前にお座りになりました。

この続きは明日に。

2012年7月3日火曜日

時間の神秘について


長らく一週間も空けてしまい、申し訳ありません。7月に入り、鹿ケ谷を包む緑が雨に美しく磨かれています。一枚一枚の葉が、眩しい新緑の頃から幾分成長し、しっかりとした深い緑へと変容しつつあります。この葉たちは、盛夏の厳しい頃、私たちのために優しい木陰をつくってくれる頼もしい存在になってくれることでしょう。私たちと共に歩む自然は、自らの存在でもって、すべてのことに時があることを示してくれています。

学校は来週から期末テストを迎えます。現在は、職員室前の談話コーナーのスペースに、時間を惜しんで先生に質問にくる生徒たちの列、いつまでも時を忘れるように生徒たちに寄り添う先生方、そのような光景が完全下校時刻まで続きます。夕暮れが訪れ、談話コーナーの窓辺が赤みがかったオレンジ色に染まる頃、生徒たちは時計を見ながら「ああ、もうこんな時間!」とつぶやきながら、「ありがとうございました!」と帰っていきます。

みんな時間との戦い。もしかしたら教師である我々も。机の上に積み上げられた書類、目を通しておかねばならない会議録、読むと約束した書類、書くと約束した原稿、会うべき人、出るべき会議、行くべき集まり等々。

「時間」について考えたいと思いました。みんな一様に与えられてはいるものの、それについてきちんと説明を求められれば、とたんにわからなくなる。人生に深く関わる大きな概念なのに、あたかも何気なく通り過ぎる風のようにかわしてしまうもの。今を生きながら、その今はすぐに過去になり、未来を見すえているつもりが、その未来も瞬く間に今をくぐりぬけて過去になろうとする。私にとって、時間とは、「生」「死」、このような次元と等しいほど、とてつもない神秘です。

ミヒャエル・エンデが、「モモ」という作品の中で、このようなことを書いている下りがあります。彼も時間を神秘と呼んだと知りました。

「大きいけれど、ごく日常的な神秘がある。すべての人がそれにかかわり、それを知っている。しかし、ほんのわずかな人々だけがそれについて考えている。この神秘こそ時間。
時間をはかるためにカレンダーや時計があるが、それには大した意味がない。だれもが知っていることだが、その時間に体験したことの内容次第で、たった一時間が永遠のように思えることがあるし、一瞬のように思えることもある。時間は人生だから。そして、人生は心の中に宿っているのだ。」

結局、時間とは自分自身である、といっても過言ではないかもしれません。一瞬一瞬の積み重ねが私の人生をつくる。今この瞬間が、私の生きざまをつくっている。その一瞬に、どう生きるか、その一瞬の出会いに何を求めるか、その一瞬の微笑みをだれに投げるか、その一瞬に何をするか。その一瞬の選び、人生はその連続です。

時を忘れて生徒に寄り添う先生たちは、山積みになっている仕事を職員室の机に置きっ放しで、生徒の完全下校まで生徒たちと共にいることを選んだ人々。人生を生徒に寄り添うと選んでいる人々。この学校はこれらの方々の人生の選択によって、今日まできたのだと思います。尊い時間の積み重ねが、この学校そのものなのです。

2012年6月26日火曜日

凛とする詩


今日は、私の大好きな八木重吉の詩を二編お届けします。
これらの詩は、別々の作品ですが、偶然同じタイトルなのです。
さて、それは何でしょう。

***

きれいな気持ちでいよう
花のような気持ちでいよう
報いをもとめまい
いちばんうつくしくなっていよう

***

人と人のあいだを
美しくみよう
わたしと人とのあいだをうつくしくみよう
疲れてはならない

***


この二編の詩を味わう時、私の心が凛とします。
私の心の内側に美しくないものがあるなら、
それらを完全に浄化してくださいと祈りたくなります。
そしてそのためなら、
私はあらゆるものを捨ててしまっても構わないと思います。


先ほどの問いの答え、この二編の詩に共通のタイトルは
「ねがい」でした。

私もこれを願っていきたいと思います。


2012年6月23日土曜日

お誕生日おめでとう。あなたはこの世の光です。


今日土曜日の午後は、学期に一度の誕生日ミサの日でした。4月から7月までにお誕生を迎える人たちのために、ミサを通して祈り、神父様から祝福を受け、皆でささやかなパーティーでお祝いするという素敵な行事。お祝いされる人たちも、お祝いする人たちも、今日は朝からちょっと特別でした。マリア会と、宗教福祉部の生徒の皆さんや係の先生方はミサやパーティーの準備で忙しく働いて下さいました。そして、皆で心を合わせてすばらしい午後にすることができました。コーラスクラブの皆さん、ミサ後の素敵な歌のプレゼントに感動して涙がでました。多くの皆さんに支えられた行事。感謝です。

「誕生日ミサ」― これは本校独自の行事です。ずっと前もって、宗教福祉部の生徒と先生方が、毎回毎回検討してベストを考え、参加する皆にとって最も神様を感じ、お友達と共に楽しい、そして心に残る集いはどんな集いだろうと計画を練って準備して募集する、このような細やかなアレンジメントが溢れている誕生日ミサは、全国でもノートルダムだけだと自負したいと思います。

ノートルダムの「誕生日ミサ」は、本校が大切にしたい生き方、伝えたいメッセージが溢れています。3つにまとめてみます。まず、自分の、そしてお友達の命について考えます。だれでも、自分が生まれてきた意味がわかっていて、それをキチンと説明できる人はいません。生まれてきた意味は、神様だけがご存じだからです。ただ、私たち一人ひとりは、その神秘をすでに頂いていることだけ、それだけははっきりしています。だれしも、神様が「命あれ」とお望みになられなければ、その命は生まれてこなかった。あなたも、あなたのお隣のお友達も、神様に望まれて生まれてきた大切な、大切な存在なんだと知ってほしいのです。

2つめは、生まれてきた命は、神様のもとに帰っていくその瞬間まで、成長に招かれている、その事実を知ってほしい。「よりよく生きようとすること」、成長とはこれにつきます。何がよりよいのか、どう生きるのか、このことを日々、ノートルダムで学んでいます。そのすべてがコンパクトにまとめられている祈りを、私たちは終礼で唱えています。「平和を求める祈り」、これです。今日はミサの中で、自分の頂いている可能性、あるいは、頂いている「使命」について、よりよく生きることについて、神様と一緒に静かに考えることができましたね。

3つめは、今日の「誕生日ミサ」は、皆であずかりました。パーティーも、皆が一緒にいたから楽しかったのですね。フルーツ・バスケット、盛り上がりましたね。私も3回ぐらいオニになってしまいました。そうです。私たちは一人ではない、共にいるのだ、ということを思い出してほしかったのです。このノートルダムに、皆ご縁を頂いて、このように「共にいる」。それは何てすばらしいこと。そのすばらしさを知れば、もっともっと、その輪を広げてください。一人残らず、寂しい人がいないように、つながっていてください。

それが誕生日ミサの大切なメッセージです。
今日のミサの表紙になっていたことば―「お誕生日おめでとう。あなたはこの世の光です」
この世の光となって生きてください。

7月生まれの私も、今日、バースデーガールでした。たくさんお祝いしてもらって、嬉しかったです。





2012年6月21日木曜日

森と土と “リアスの海辺”


東北の太平洋岸が巨大津波に覆われた震災の日、二万人近い方の命と、有形無形の財産はそっくり喪われました。その場に残された方々のその後の暮らしについて、京都に住む私たちが共感するにはあまりにも次元を超えていると感じるしかありませんでした。それでも、現地の様子を時ごとに伝えるメディアは、戸惑う私たちに、絶望しかないところにも希望がある、闇しかないと思ったところに光が見いだせる、そのことを知らせ続けています。

最近、三陸リアス式海岸の気仙沼湾で、カキやホタテの養殖をお仕事とされている方の記事を読む機会がありました。畠山さんとおっしゃいます。震災後、津波の被害が甚大であった太平洋岸に住む人々の今の暮らしは、いったいどうなのか気にかかっていたので、「リアスの海辺から」という記事に、すぐに目が留まりました。リアス式海岸という言葉は小学校の社会の授業で習って知っていましたが、波が静かである故に、筏を使用した養殖業が発達したということを習った記憶があるぐらいでした。

畠山さんによれば、美味しいカキやホタテを育てるには、湾に注ぐ川の上流の森が大切だということなのです。彼はそれに気づき、もう25年も前に広葉樹の森づくりを始められました。毎年、森の広葉樹の葉が落ち腐葉土が形成され、その豊かな養分が川から海に供給され、ホタテの餌となる植物プランクトンが増える、このような循環を今回初めて知り、わくわくする思いがしました。そのあたりのことをもっと学校で教えてほしかったなあと思いました。そうしたら理科と社会は私の中でつながったのに…、などと自分勝手に思ったりしています。

震災直後の大津波で、海は一瞬にして死んでしまったかのように、生物がすべて姿を消してしまうのですが、驚いたことに、一か月もするとたちまち、餌になるプランクトンが増え始めたのです。食物連鎖が再生し始めた ― つまり、森林の腐葉土から溶け出てくる養分が豊かに海に流れ込む、その結果、プランクトンが増え始める、この循環が、このリアスの海辺ではあの後、間もなく始まっていたのだと知り、とても感動しました。畠山さんがおっしゃいます。津波によって壊れたのは人間が造ったものだけ、川と森はそのままだったと。そして、今、浜ではもう、ホタテの水揚げが始まっているようです。

どんな逆境に見えることにも淡々と優しく、自然の営みはその豊かな循環を繰り返し、命を生み出している―そのことを知ることは、この地球上で、ホタテもカキも、森も、海も、私たち生きとし生けるもの皆が一緒に生きていくために、人間である私たちが今、進むべき道、行うべき選択を、責任をもって行うことです。それはすべての命が共に生きる道であり、再生への道、未来に向かう道です。今を生きる私たちが、その道を間違えることなくきちんと選びとって進みたいと改めて思います。

Reference:
畠山重篤 「リアスの海辺から」あけぼの 2012. 7. pp. 10-11. 聖パウロ女子修道会



2012年6月18日月曜日

「銀河鉄道の夜」~ さそりの祈りより


―――昔、パルドラの野原に一匹の蝎(さそり)がいて、小さな虫を殺して、それを食べていきていた。ところが、ある日のこと、いたちに見つかって食べられそうになった。蝎は懸命に逃げのびたが、井戸に落ちてしまい、どうしても上がられないで、蝎は溺れ始めた。その時、蝎は祈った。

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「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私が今度いたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命逃げた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしのからだを黙っていたちに呉(く)れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神様。私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。」

**************

以前、私は東北出身の「わらび座」という劇団による、ミュージカル「銀河鉄道の夜」を観る機会がありました。言葉にならない感動でしたが、中でも、この一匹の蝎が死を目前にしてこのような言葉を吐く迫真の演技に、息をのむ思いがしたことを憶えています。

この蝎は、溺れ死ぬ直前、自分のからだが真っ赤なうつくしい火になって燃えて夜の闇を照らしているのを見たのです。

ずっとずっと後になって、やがてその真っ赤に燃える火をジョバンニとカムパネルラは見つけるのですが、「ルビーよりも赤くすきとおり、リチウムよりもうつくしく酔ったようになって、その火は燃えている」、それを不思議な気持ちで眺めます。

蝎はこれまで自分が普通に食べて暮らしていた日常が、何者かによって、食べられる立場に突然の転換を迫られ、そしてやがては食べられることもなく命尽きる、というエピソードです。この「食べる」にまつわる彼の別の作品で、「注文の多い料理店」という作品があります。この作品の序文で、「これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほったほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません」とあります。彼にとって、いうまでもなく言葉は常に命であったはずです。だから蝎のこの祈りは、「透きとおった本当の食べもの」であるに違いない。私には、この蝎自身が、この祈りを通して本当の命へと変わっていく、変容していく、そして「透きとおった本当の食べ物」となっていく、そのように思えるのです。

「本当の幸い」は、ここでも、他者のために生きることによってのみ得るのだということが明らかにされています。

2012年6月15日金曜日

「銀河鉄道の夜」より~私が命を感じる言葉


宮沢賢治の作品に触れていたら、自分の世界観と非常に相通じるものがあり、実はとても熱心な仏教徒だったと知った時、なるほど、諸宗教はコアなところで分かち合い、つながっているんだと感動したものでした。彼は、37歳で亡くなる時に法華経をたくさん印刷して友人に配ってくれるよう肉親に頼んだというエピソードを後ほど聞きました。法華経の中心思想は菩薩道。たとえば、物語の中盤で登場する蠍(さそり)の祈りなどは、はっきりとそれがバックボーンであることがわかります。そしてそれは、私たちの学校が大切にしているイエスの教えとも分かち合える価値観です。

「銀河鉄道の夜」には、私が「命を感じる言葉」が散りばめられています。一部、ご紹介したいと思います。

*本文はなるべく現代仮名遣いの定本に基づいていますが、一部、こちらで読み易さを考慮し、漢字に変換している部分があります。ご了承ください。

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「ぼくのおっかさんが、ほんとうに幸(さいわい)になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんの一番の幸(さいわい)なんだろう」(カムパネルラ)
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「ぼくわからない。けれども、誰だってほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくを許して下さると思う。」(カムパネルラ)
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「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上り下りもみんなほんとうの幸福にちかづく一あしずつですから」(灯台守)
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「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私が今度いたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命逃げた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしのからだを黙っていたちに呉(く)れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神様。私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。」(蠍(さそり))

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「カムバネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺんやいてもかまわない」
「うん。僕だってそうだ。」カムバネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体なんだろう」ジョバンニが云いました。
「僕わからない」カムバネルラがぼんやり云いました。

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ジョバンニにはカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいないというような気がしてしかたなかったのです。 

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「もう駄目です。落ちてから四十五分もたちましたから。」
ジョバンニはおもわずかけよって博士の前に立って、ぼくはカムパネルラの行った方をしっていますぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのですと云おうとしましたがもうのどがつまって何とも云えませんでした。

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みんなの幸いを探しに行くと決意するジョバンニは、実は孤独な存在です。どこまでもどこまでも一緒に行こうと約束する親友カムパネルラを喪い、母の病気の治癒も父の帰還もいつになるか、彼の孤独感と深く関わります。この世で私たちがこだわり続ける愛は、実は悲しいほど脆い。みんな「ひとり」と知るがゆえに「つながり」を慈しみ、共にいられる場所に帰還したい。ジョバンニは実は私たち一人ひとりの孤独の叫び、そして本当の幸いを約束する永遠への希求。どこかで、私たちも一人のジョバンニなのですね。「やっぱり私はひとりだ」と悟ることは、その意味で大切なことなのかもしれません。銀河鉄道を降り、本当の幸いを探しに、この不確実な世界で、ジョバンニは病気の母親の待つ家に帰るのです。ふりだしに戻るようで、実は一つの次元を超えた彼を再発見するようです。

前述した蠍(さそり)の祈りについて、もっと時間をかけて考えてみたくなりました。
次回をお楽しみに。





この続きはまた。

2012年6月13日水曜日

みんなのほんたうのさいはひをさがしに行く~「銀河鉄道の夜」


今日、図書室での朝HRに顔を出していると、ある一人の中学生が「銀河鉄道の夜」を手にもちながら、「先生、私が一番好きな本なんです」と話しかけてくれました。思わず即座に「私もなのよ。大好きな本が同じなのね」とこたえました。その生徒は小学校の頃にこの本に巡り会い、幾度となく読んでいるのだとのことでした。本当に嬉しく思いました。きっと、あの本の中に込められているスペシャルなメッセージをしっかりとつかんでくれているに違いないと思うからです。

それにしても不思議な物語です、宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」。時空間が縦横無尽に移動し、夢と現実が交差する中で、「本当の幸い(さいはひ)」とは何かを探し求めるジョバンニ。彼の周辺で登場する、あるいは使われる多くのモチーフ―家族、旅、鉄道、切符、親友カムパネルラ、自分のいのち、他者の幸福―は、私たちに、「本当の幸い」を探す旅は実は2人ではなく「ひとり」、自分の命を失って変容する祈り、生と死の二つの次元の転換と超越、そして伴う崇高さを存分に感じさせてくれます。どこか懐かしい、いたるところで逆説的、そしてとてつもなく根源的です。

読後、自分を、何か非常に大きくて優しくて美しいものに、すべて残らず明け渡してしまいたい!と言って大声で泣きたくなるのは私だけでしょうか。

「銀河鉄道の夜」について、数回かけて分かち合いたいことがあります。それぐらいすばらしいのです。図書室でのHRであの生徒に出会えて本当によかった。
続きはまた次回に。

2012年6月11日月曜日

家庭教育講座へのご参加ありがとうございました。


本日はご多用中、家庭教育講座へ多数ご参加いただきましてどうも有難うございました。日頃から私が考えていること、気づいていることがらについて共有して頂けるチャンスがあったことを大変嬉しく思います。

本日、一番最後に申し上げたことは、以下の内容です。本日、お越しになれなかった方々のご要望にもお応えして、一部を抜粋いたします。

*****

「英国と日本の母親の言葉かけを詳しく見ていくと、かなりの共通点もあり、それゆえに浮きぼりにされる相違点も顕著となった。例えば、子どもに話しかける英国の母親たちは例外なく、子どもを ‘YOU’と呼ぶ。そして母親は自分を ‘I’と呼んでいた。日本人である私からみて、この「あなた」と「私」は常に正面を向き合い、交渉し、ゴールを目指しているように見えた。どんなに小さな子どもに対しても,母親たちのそのスタンスは変わらなかったことを、私のビデオカメラのファインダーは確実に捉えている。私は決してどちらの国の母親ことばのあり方の優劣を述べるつもりはない。それはむしろ誤りである。私が認識したのは、比較対照の結果に表れてきた相違点であった。日本人の母親たちが巧みにそして細やかに 行っている「くろご」的援助や、英国人母親たちの微妙な力関係の調整は、ほとんど気づいているようで実は気づいていないお互いのコミュニケーションスタイルである。それは各自がどこまでも自由にことばを選び、使いこなしているように感じながらも、各自の母語が制約することばのきまりや法則に従って、あるいは、生まれて属している特定のコミュニティーがある限り、そこに根づく文化の枠組みの中で、アイデアや信念を伝える以外に方法がない、我々の社会文化的な制約、限界があるという認識が重要なのである。
我々が自分たちのコミュニケーションスタイルを意識すること、そして同時に異文化のそれを認識することは、おそらく、このグローバル社会を生き抜く上で、必要な英知となると信じている。他者との共生には、他者への理解が根源的に重要であることは言うまでもない。そこにはことばの担う役割が大きいことは自明の前提であろう。だからこそ、コミュニケーションスタイルは、単に表層的なものではなく、生まれ育ったコミュニティーの成員の証しとして、すなわち、各自が保持するアイデンティティとして認識し合うことの大切さを、しばしば私は感じている。」


*****


本日のトークの基礎となった研究内容の一部を、2008年「教育のプリズム:ノートルダム教育」に寄稿しております。詳細は以下をダウンロードしてください。

「日本と英国の母親たちのことば―子どもに何をどう話すか?」ダウンロード(6.7MB)

2012年6月8日金曜日

今日はスポーツ・デー:プラスのストロークをありがとう!


今日は午前中が中学、午後からは高校と、ドッジボール、バドミントン、卓球、バレーボールの試合が、校内3か所に散らばって実施されています。私はひたすら応援、応援、応援。皆の頑張る姿を見て、そして皆の歓声をたくさんたくさん聞かせてもらって、エネ・チャージをさせてもらっています。


中学生のドッジボール、近くで見ていて懐かしいなと思う気持ちが少しあるけれど、でも今ではもう、飛んで来るボールがただただ怖かったです。バレーのサーブはとっても難しいのに、皆上手いですね。見ていて惚れ惚れします。そして、なんと素晴らしいチームワークでしょう。試合中、思わず涙が出るような瞬間がありました。バドミントン、非常にカッコいい!何と早いラケット捌き! 卓球は英語ではtable tennis と言いますが、あの小さな卓球台に縦横無尽に駆け抜ける小さな丸いピン球が、なんだかスローモーションのように止まって見えたりするのは私の眼の錯覚でしょうか?
プレーヤーの皆さんは普段は制服姿ですが、今日のあなたがたは一人ひとり、コートのヒロインでした。素敵でしたよ。憧れます。




今日、私にとって、何が最ものエネ・チャージだったか、お教えしましょう。皆の応援の言葉だったのですよ。それが全部、「プラスのストローク」だったことです。



「大丈夫だよ」「よくやった!」「~ちゃん、上手よ」「その調子その調子!」「へっちゃら!次、がんばろ!」「いいよ、大丈夫」「やったね!」「ありがとう!」「~ちゃんにはできる」「できると信じよう」「信じれば大丈夫」「やった~!」「すばらしい!」「カッコいい!」などなど、みんなのそばで、たくさんたくさん、聞かせてもらった。それらはすべて、だれかを勇気づける言葉、だれかの失敗を帳消しにする言葉、だれかを愛で満たす言葉、次はがんばろうと思える言葉、友達でよかったと思える言葉、私も優しくなれると信じられる言葉、そんな言葉たちで溢れていた今日のグラウンド、今日の体育館、今日の講堂でした。私は今、愛に満たされた気持ちです。ありがとう、みんな。

2012年6月6日水曜日

英国の母親たちの言葉を追いかけて(その3)


英国の子どもたちに見た「存在の対等性」について、彼らが発する言葉から切り込んでいきたいと考えました。なぜならば、言葉が一人の人間の成り立ち、存在に占める割合はあまりにも大きく、その人が何を話すか、どのように話すかは、その人そのものを如実に表します。そしてパーソナリティーにも深く関わっています。それは個人を超えた一つの文化に置き換えても同様のことは言えます。すなわち、言語が先か文化が先かは議論がなされるところですが、言語が文化を形作り、文化が言語を生み出すということは、地球上あらゆる社会文化の中で言うことができます。

一方、この世界において、「母親たち」とはどんな存在でしょうか。生まれた子どもたちが、だれよりも最初に大きく影響を受ける存在であるといって過言ではありません。生物学的にも、社会的にも、人は多様な角度から形成されながら、一人のパーソナリティーをもった人格へと成長していくわけですが、そのプロセスで、母親の存在、あるいは、母親に代わる存在は必要不可欠です。したがって、どのような社会文化の枠組みで成長したとしても、最も影響力が大きい母親(あるいは母親に代わる保護者)の言語というものは、その個人独自の限定版であると同時に、世界で普遍的であるという言い方ができます。

ところで、英国での一年間、息子たちを地元の公立小学校に通わせたことで、私は人との出会いについて、期待以上の大きな恵みを頂くことができました。レディング大学博士課程で研究をスタートした私に与えられた研究仲間は、今でも貴重な友人となっていますが、それに加えて、私たちの住まい半径1km以内に、よく似た年齢の子どもたちをもった英国の母親たちの友人を多く得ることができたことは貴重な体験でした。このことは、私にとって、日本と英国の文化差を乗り越えたユニバーサルな「母親」というもの、そして、文化という枠組みのプロトタイプとしての「母親」、その両者について時間をかけて考えるきっかけを生み出すことになったのです。

英国滞在中、私は母親と子どもの関わりを多く見てきました。どのような言葉をどのような状況でかけるのか、それを注意深く見ていくうちに、日本の母親たちと普遍的な共通点があると同時に、英国独自のものがあることに気づき始めました。その気づきの多くは、実際の生活の場面を通して得たものでした。二つの国の母親たちは、どんな言葉かけを行いながら一つの問題をクリアしていくのか。いよいよ、この中身については、来週11日の家庭教育講座の中で、英国と日本で収集した実際の研究データを用いてご紹介していきます。
どうぞ お楽しみに。

2012年6月2日土曜日

英国の母親たちの言葉を追いかけて(その2)


英国の子どもたちと話していて、私が何よりも目を見張るように驚いた点は、だれに話すのにも、相手が大人であろうと子どもであろうと、「自分」と「あなた」の「対等な関係」の上で成り立つ「かかわる力」でした。自分を一個人として、その存在を存在させている、大げさな言い方をすれば、そのような感じ。それも、オクスフォードの町の、state schoolと呼ばれる地域の子どもたちで構成されている、ごくありふれた地元の公立小学校にいる、おそらくはごく平均的な子どもたちの言語表現だったのです。たとえば、小学校の校庭で私を見かけると、子どものほうからファースト・ネームで’Hi, Yoshiko!’と親しく声をかけてくれる。ファーストネームで呼びかける、これは英語文化圏ではごくごく当たり前ですが、やはり、6歳の子どものほうから、朝一番ににこやかに手を振りながら、このように爽やかに  呼びかけられると、日本文化の中で育った私はうれしいような、驚くような、そんな感じです。そして、私の息子たちと楽しそうに遊ぶ傍ら、ふと近くにやってきて、「この台所はとってもいいにおいがするね、ヨシコ。何かを焼くにおいじゃないかな? 今日はいったい何を夕食にしようとしているの?」としっかりとそのように問われれば、面食らってしまうのは、おそらくその界隈では私だけでしょう。そして感動もしたのです。この「対等性」はいったいどこから来るものでしょうか?

たった6歳でこれほど堂々と大人に向き合って、自分のことばで豊かに自己表現ができる子どもたちは、一体どういう教育を受けてきているのだろう? それを素直に知りたいと思ったのです。私はどうしても知らなければならないと感じ、このキーを「母親」という社会的存在に探ってみることにした。母親が、おそらくはキーパーソンではないか? なぜならば、ごく少数の民族を除いて、一般的には、子どもという存在は、生まれてから最初に接触する大人が母親(あるいはそれに代わる保護者)であり、彼らの社会化が進む段階でもっとも多くのことばかけを受けるのも、母親からだからです。 英国の子どもたちは、いったいどのような「ことばかけ」を母親からされているのだろうか。その対照として日本人の子どもたちはどうなのだろう。母親たちは、いったいこどもに何をどのような言い方で子どもたちに話しかけているのだろうか。限りなく興味がわいてきました。

2012年5月31日木曜日

英国の母親たちのことばを追いかけて ~ 6月11日の家庭教育講座の準備です


6月11日に、父母の会主催の家庭教育講座が午前10時から本校であります。そこでお話する内容を、そろそろ準備しなければ、と思いながらやっと机に向かっていますが、3分も経たないうちに電話が、10分もしないうちに来客がという具合です。すなわち、校長室でものを書いたり読んだり考えたり、という一人で行う仕事の時間が確保されるのは、だいたい夜の7時以降が普段の流れです。ということは、この場所で、日が暮れるまでにしているメインの仕事は何かというと、ほとんどが人と話すことであると言っても過言ではありません。

「話す」「対話する」ことについて、30代、40代前半の頃の時間を費やして、自分なりに考えていたことがあります。ある時、不思議だと思ったことがきっかけで(何が不思議だと思ったのかは後日お話しましょう)、話し言葉の分野に興味を持ち始め、日本語の話し言葉をもっと深く知るために、英語の話し言葉と比較していろいろ調べていた時期があるのです。
思えば今とは私の日常の時間の流れ方が全く異っていました。その時期、夫と私のそれぞれの関心分野で一致した国イギリスに、1年間両者とも仕事を離れて家族で暮らす機会がありました。文化や言葉の概念などまだはっきりと持っているはずもない6歳と4歳の2人の息子にとっては、イギリスはオクスフォードの公立小学校と保育園の世界は、想像もしない生活の一大転換だったようです。これらのことについては、11日の家庭教育講座でお話することになるでしょう。なぜならば、今回の私のトークのテーマは、イギリスと日本の母親たちの子育ての在り方、特にことばの用い方に着目することになるからです。

私が非常に興味深く感じた、英国滞在中に気づいた現象は、子どもたち(私にとっては英国の地元の公立学校に通うこどもたち)の言語表現が、日本人の子どもたち(私の息子たちに代表されるごく平均的な彼ら、とお考えいただきたい)のそれと、確かに異なっているということでした。どのように異なっていたか、それは次回のブログでお話したいと思います。その違いは、ルーツを辿れば結局は、彼らにとって最も身近な母親たちのことばかけの違いがその発露になっているのではないかと思ったのです。
では、次回に。

2012年5月28日月曜日

私がエネ・チャージできる場所 ~ クリスチャン・ファミリーの集い


5月26日は、本校のクリスチャン・ファミリーの集いがあり、私も参加させていただきました。この集いは、本校に在校中のクリスチャン生徒とその家族、卒業生とその家族、また、教職員でクリスチャンの者たち、そしてこれらの人々を豊かに支えてくださるシスター方で構成される集まりです。決して大きなグループではありませんが、キリスト・イエスを仰ぎ見る者たちの絆で結ばれるノートルダム・ファミリーの集まりという言い方ができるでしょう。


土曜日に授業が開講されている現在、主たる参加者は大人たちになりますが、今回の5月の集いは、ノートルダム・ファミリーのメンバーに新たに加わった人々の歓迎の集いでもあったので、中1と高1の新入生のお母様方を新たにお迎えして、和やかなひと時をもつことができたことは、私にとって大きな喜びでした。

私の恩師でもあり、数年前まで校長であられたシスターが、ご挨拶の中で「ここは発電所のようなところ、みんなエネルギーをもらってまた新たに出ていくところ」という表現をされました。本当にその通りだと実感します。

皆で和やかにランチ・テーブルを囲みながら、一言ずつ近況の分かち合いをします。久しぶりにここに帰ってきました、と言われるOGの方々、どのようにご自身が神様と出会い、信仰に導かれたか、今、自分が、あるいはご家族が、それぞれの境遇でどのような心でそれぞれの道を歩んでおられるか、これらの分かち合いを聞いていて、いつも胸が熱くなります。そして一人ひとりに細やかに働かれる神様のみ業を讃えます。

ある新入生のお母様は、「やっとここまで、辿り着いたという感じです。娘を、この環境で学ばせたいとずっとずっと固く強く思っていて、その夢が叶ってこれほど嬉しいことはありません。ノートルダムでないとダメだと思っていましたから」と言われ、嬉しく思うと同時に、このお母様や生徒の期待に益々応えたいという気持ちで一杯になりました。そして、今と未来のノートルダム教育について責任を担っている者として、新たな気持ちで「さらに輝くノートルダムづくり」に取り組みたいと強く望みます。

幅広くまた深い知識と高い技術、それを身につけることは非常に大切なことです。しかしながら、身につけたものを、この世界の善のために使おうと努力できるためには、一貫してゆるぎない価値観と、それに裏づけられた豊かな人間性が必要なのは言うまでもありません。ノートルダム教育が大事にしていることはこのブログ上で折りにふれて話して参りましたが、中でも強調したいのは「自分は神によって愛されている大切な存在だ」ということでした。愛されて存在する被造物であるという自己認識、自己の存在を肯定する姿勢、他者を尊ぶ生き方、この価値観をノートルダムでの様々な学びの場面で体得してほしいのです。

クリスチャン・ファミリーの集いに参加させていただく度に、私は原点に戻り、私はここで何をしているのか、私はどこに向かっているのか、見失ってはならないものは何か、それらを思い起こします。その意味で、ここは私にとって、エネ・チャージできる場所なのです。心より感謝いたします。

このブログを読んでくださっている方で、一度、集まりに出てみようと思われれば、どうぞご一報ください。


2012年5月24日木曜日

You are Never Alone:あなたは決して一人ぼっちではないからね

5月24日


私が校長に就任した時、私が愛してやまない一人の恩師から、あるものをプレゼントされました。それは美しい色で模様が描かれている、掌(てのひら)サイズの平たい石でした。石の裏に、”You are never alone”と丁寧なカリグラフィーが施されています。その石の添え書きにはこう書かれていました。



Rock of Ages
Designed to carry with you as a reminder on joyous days, as well as on challenging days, that you are never alone
 God’s peace

「喜びの日々にも、乗り越えなければならない苦難の日々にも、あなたが決して一人ぼっちではないということを思い出すように、この石は特別に彩られています。いつも携えてください、神様の平和があなたと共にありますように」


この石をプレゼントして下さった私の恩師は、どんなことがあってもあなたは孤独ではない、神様が共にいてくださることを忘れないでください、と言われました。前途に不安もあった私は、どれほど励まされたことでしょう。

「石にはね、積み重ねられた時間の営みがそのままそこに現れている、そんなふうに思うのよ。神様の特別な時間の流れを感じるの」と彼女はその石を手にとってそう言われました。確かに、道端の石は、実はこの地上における神のみ業の片鱗を感じさせてくれる最も身近なものの一つと言えるかもしれません。この石のアーティストは、神様の被造物であるこの素材をこんなふうに使うことに気づかれている、深い心の持ち主だと思いました。

その石には、深みのある暖色で施された十字架が描かれ、それに重なるように大きな星が描かれています。そして、描かれた星の角に一つずつ金色のドットが施され、星の内側にも周りにも金色のドットが散りばめられています。よく見ると、そのドットは、細い線で結び合わされているのです。掌に納まるほどの石の上に、なんと繊細なのでしょう。

この金色で散りばめられているドットも、大きな星を内外取り囲むようにしてきらめいている小さな星のように、私には思えます。大きな星を背景にして、小さな星々が安らかに遊んでいる、そんな風景を思い起こします。そして、その星たちが細いラインで結ばれている。それはまるで、この世界中の被造物が、大きな愛のもとでつながり合っていることを思い出させてくれます。人間はもとより、生きとし生けるもの、すべての命たちは、宇宙を司る神のもとで結び合わさり、つながっている、そのことを思い出させてくれます。

280年ぶりに見ることが許された先日の壮大な天体ショーを歓声と共に見上げたあの日あの時に想ったこと、それは、宇宙の中で太陽や月、星々を配置されるのは神様、人々の出会いも別れも、生まれるも死ぬも、人にはコントロールできないすべてを司られるのは、神様。その根底にあるのは愛。人間は、この神秘の前に、なんと小さく無力な存在なのだろうということでした。でも、さらに思ったこと、それは、あの時に一緒に天を見上げた人たちは、なんというご縁で巡り合ったたち、一生会わなくても何の不思議もない人たちが、一緒にノートルダムという園に集い、一緒に同じものを見上げて、歓声をあげている。そう思うと、その場にいた人たちすべてを抱きしめたくなるぐらい、一人ひとりが愛しく、また大切に感じました。私にとって、被造物である一人ひとり、共に生かされていることを喜び合いたくなる瞬間だったのです。神様の思いにふれる瞬間だったと言いかえることができるかもしれません。今、石を眺めながら、あの日のことをゆっくりと思い起こしています。

一人ひとり、一つひとつの被造物を、愛され、慈しまれ、そしてこの愛に応えて育ってほしい、芽生えてほしい、茂ってほしい、伸びてほしい、咲いてほしい、実ってほしい。笑って、泣いて、怒って、許して、愛してほしい。そして、孤独な人、助けの必要な人の友になってほしい。その人をどこまでも大切にしてほしい。その友のために命をかけても構わないと思えるほどにその人を愛してほしい。宇宙が、その愛で満たされてほしい。この石を掌に握っていると、だんだん私の体温が石に伝わり、温もりを感じてくる。そうすれば、神様の、一人ひとりに向けられたパーソナルで熱い想いが伝わってくるようです。

私は、ノートルダムの学びの場にいる生徒たち一人ひとりに、この神さまのパーソナルな想いを伝えたい。一つひとつの学びの根源は、この想いを知ることにあるからです。授かる知恵は、この想いを深く知ることに結びついているからです。すべての学びは、愛につながっている。自分をだれかのために、何かのために、善のために、愛のために、恐れずに明け渡すことのできる人になるように、それが学びの究極の目的です。

「あなたは決して一人ぼっちではないからね」というこの石のメッセージは、私に与えられていると同時に、この石を握る私に、もっともっと愛深くあるように教えてくれます。


2012年5月21日月曜日

金環日食の朝に想う

5月21日


今日は特別な朝です。早朝からニコニコしながら坂道を上がってくる生徒たちを迎えます
「先生、楽しみ!」「突然雲が出てきたらどうしよう!」「きっと大丈夫。こんなに晴れてるもの」「先生、金色のリング、見れますか~?」「ホント、見られたら素敵ねえ」 
生徒たちとの早朝7時前の校庭での会話です。

日食を見たい人たちは今日、グラウンドに午前7時15分に集合です。理科の先生方が用意してくださった観察用メガネを片手に、半ば興奮気味で次々と生徒たちが到着します。

生徒たちが日食メガネを使用して空を仰いでいます。
グラウンド上空では、観察用メガネごしに、美しい三日月のように見える重なりが、時を追うごとにくっきりと影絵のように大きくなってきます。観察用メガネを、前もって家で購入して持参してきている人たちもいます。メガネの種類によって、見える三日月型の太陽の色が微妙に異なり、みんなで交換し合って様々なバリエーションを楽しみました。赤く見えたり、蛍光色に見えたり、真っ白にみえたり。



これ、わかりますか?
木漏れ日の影がすべて三日月になっている珍しい一枚。
ピンホール現象がこのように大自然の中で実現。
この京都の地で、太陽と月の最も顕著な重なりがリング状になると予想される午前7時30分までには、本校グラウンドに既に120名ぐらいの生徒たちと教職員が集まりました。「世紀の出来事やなあ!」「もう次は280年後なんやって!」「へ~、もう私たち全部いいひんってことや~」生徒たちが会話しています。確かに、次の金環日食は、2030年6月1日に北海道で見られるらしいですが、それは18年後のことです。でも、計算上、京都において今日のようなことが起こるのは、今から280年後、すなわち、西暦2292年ということです。つまり、ここに集っている人たちすべてのライフタイムでは、今この時、この場で、これが最初で最後ということは確実です。



理科の先生による撮影。
三脚なしで、よくここまで!感謝
そう思えば、今、ここに、集っている私たちは深いご縁があってここに呼び寄せられた―そう思いませんか?私にメガネを貸してくれたH先生も、私の右隣りで歓声を上げている高校生も、私の左隣りにいるA先生も、後ろで笑っている中学生たちも、みんなみんな、この日、この時、この場で、こうして一緒に太陽と月を眺めていることは、奇跡に近い「ご縁」の成せる業、別の言い方をすれば、神様しか生み出せない出会いと言えます。2012年5月21日、午前7時30分―この巡り合わせで神様がこのように配置された太陽と月と私たちの結びつきの神秘に、こうやって一緒に与ったことを、いつまでも心に刻んでおきたいと思います。

私たちはどんな時にも、一瞬ごとに、私たちにはコントロールできない神様の業に与っています。それはすべて、神様の深い愛に裏打ちされています。出会いや別れや、すべての出来事や思いの連鎖は、ある種の秩序という人もいるでしょう。また、偶然と呼ぶ人もいるでしょう。でも、私は、神様の愛の計らいと言い切りたい。今日皆で味わったダイナミックな天体ショーは、何ごともないような日常をも、実は神秘の連続なのだということを教えてくれました。


そう言えば、校長室の棚に、美しい石が一つ置いてあります。掌サイズの小さな石ですが、次回のブログは、これについて是非お話したいです。今日の出来事と深く結び合わせて、分かち合いたいことがあるからです。お楽しみに。


2012年5月18日金曜日

愛するということ-マタイス師が残したもの

5月17日


お久しぶりです。ちょっと長らくお待たせしてしまいました。申し訳ありません。この1週間も非常に盛りだくさんの校内での様々な取り組みや対外行事があり、飛ぶように時間が過ぎていく日々でしたが、私には生涯忘れることができないことが起こり、そのことを深く味わった一週間でもありました。

5月11日、私が敬愛してやまない一人のイエズス会の神父様が天に召されました。キリスト教では、「死」は決して忌み嫌うものではありません。むしろ、神様のみもとに近づき、そこで体の苦しみや限界、内外束縛していたすべてのものから解放され、魂が本当の安息を享受する時と捉えます。そしてその安息は、終わりのないもの、すなわち永遠につづく安らぎなのです。ですから、すべての人にいつか与えられている「死にゆくこと」は、決して起こってはならない悲しいことではなく、この世での生のフィナーレであると同時に、神のみもとでの新たな命のプロローグなのです。

しかし、この世に残された者は、その人ともう二度と、この世で会うことができない、その別離が悲しくないはずがありません。私の信仰が、彼の永遠の安息を確信していたとしても、実際に、彼と過ごした日々、語り合った時間、飲んだり食べたり笑い合ったりしたひと時が宝物のように大切であればあるほど、その宝物をしっかりと胸に抱きながら、だれをもはばからずに泣きたくなるのです。そして私はひどく泣きました。

日々京都を離れることが許されない時間の連続でしたが、5月15日の通夜の儀に、東京都内四谷のイグナチオ教会に駆けつけることが許されました。午後7時半の式にギリギリ間に合う時間に列車にのり、京都に11時半過ぎに着く最終便で帰ってくるというスケジュールを話していた当日の朝、夫が言いました。「本当にそんなタイト・スケジュールで行くの?マタイス神父さんはそこにはもういないんだよ。」そして、私は答えました。「神父様がいないことはわかってる。もう上智のキャンパスにもどこにもおられないんだということはよくわかってる。でも自分のために行かなければならないの。」神父様がここに生きておられた証しを、彼の命のフィナーレを、彼を愛してやまない人々が一緒に集って感じることができる最後の日なのだとしたら、私は万難を排して行くことしか考えられませんでした。夫は、「その人がどのように人を愛する人だったのかということは、結局その人が亡くなる時にわかるんだね。残された人々によってわかるんだね」と感慨深げに言いました。その通りだと思います。彼は「愛する人」でした。豊かに、時には愚かすぎるほどに。彼ほど深く、細やかに、一人ひとりときっちりとかかわりをもち、それを長く大切にでき、そしてどんどん広がり、人と人の輪を愛でつなげ、豊かな分かち合いを至るところで持っていた人はめずらしい。一人ひとり、あまりにも細やかに大切にされたものだから、おもしろいことに、彼に愛された人のその多くは、結局自分が一番愛されていると思っていたことでしょう。私もそのうちの一人です。

あの晩、イグナチオ教会に入ったとたん、私は彼の棺の前に駆け寄りました。その時に棺によりすがって泣いていた人たちは皆、私のように愛された者たちでした。私のように愛された人は私だけでは当然なかったのだと知ることは、彼の豊かな愛深さをますます敬愛に満ちたものにしてくれました。そして、私もそのように人を愛する人にならなければいけない、マタイス師の弟子ならば、そうありたいと心から思いました。きっとあの日そこに集まった人々の多くが、そのように思ったに違いありません。最後の時に、人にそのように思わせる彼は、生涯優れた宣教師だったと言えます。

生前、彼はよくこう言いました。人の幸せを願わずして、自らの幸福はないんだよと。他者を幸福にしてこそ、自らが幸福になれるんだ。 彼の死に際して、締めくくりに彼が与えたメッセージは、一人一人をしっかり愛することが、本当に生きることなのだということでした。彼と歩き、彼と語り、彼と笑い、彼と食事したすべての時に、私を含めた多くの方々が得た安心感、信頼、くつろぎ、解放感、そして何よりも楽しかったあの一瞬一瞬がきらめいているからです。彼が示した弱者の思い、貧しい人たちとの連帯の生き方、これらにゆるぎない価値のきらめきを見たからです。このきらめきこそは、聖書の中のイエス、弟子たちがイエスと共に過ごした時間を彷彿とさせます。弟子たちの、師イエスと共に生きた時間は、彼らの一人ひとりの後々の生涯を、確実に決定づけたのですから。

この写真は、神父様との最後の写真になりました。今年1月、ノートルダムの仲間たちと四谷にて。皆と食事を共にすることが大好きだったから、彼らしい一枚です。最後のお仕事となった本学院の理事というお務めも、体力をリスクにかけながら誠実に尽くしてくださいました。心より感謝いたします。



マタイス・アンセルモ師の永遠の安息を祈ります。私にとって、最高のリーダー、慈しみ溢れる宣教師、透明な愛に満ちた人、そのような存在に出会わせて下さった神様に心から感謝します。

神父様、天国で待っていてね、また会う日まで。

2012年5月10日木曜日

ノートルダムの「知恵」のコレクション


5月10日

知恵は輝かしく、朽ちることがない。
知恵を愛する人には進んで自分を現し、探す人には自分を示す。
求める人には自分の方から姿を見せる。
(旧約聖書「知恵の書」6章12〜13節)




今日は、4月16日付けのブログでほんの少し触れた、朝読書のためのブックレットについて、改めてご紹介してみたいと思います。今日は中学3年3クラスが図書室で朝のHRを行う日でした。今年からの新しい取り組みとして、今学校は、朝読書に生徒たちが選ぶ本の内容に着目しています。これは、10年続いている朝読書をもっとノートルダムらしくしようというと先生方全員の力の結集です。全教員が「あなたに勧めるこの一冊」を数冊ずつ推薦し、それぞれの表紙を含めたタイトルや著者等の情報を、美しくて見やすいブックレットの形にまとめ、編集し、刊行したものです。表紙を始め、内側のいたるところに登場する挿絵は、ノートルダムの生徒たちの手によるもの。すなわち、このブックレットは、現在ノートルダムに生きる人々の力の結集ということができます。


だれもが青春時代に読んでおいてほしいクラッシックなもの、あるいは、現代社会に大胆にメスを入れたもの、エッセーから童話、物語、理科や数学が面白くなるようなもの、英語で書かれたものまで、多彩な本の数々。大人も見て楽しい、ノートルダム・オリジナルなものが完成しました。全生徒、全教職員が一冊ずつ持っています。このブックレットに登場する本はすべて、2冊ずつ図書室には設置されていて、一冊は禁帯出、一冊は借りることができます。すなわち、いつでもコレクションを完成形でみることができるシステムになっています。今朝、このコーナーを観察してみると、多くはすでに禁帯出のみ、つまりだれかによって、借りられているということです。

少し手ごわい読み物に挑戦して、果敢に取り組んだ生徒には20冊、40冊、60冊読破を記念して表彰し、プレゼントが渡されます。挑戦者はどなたでしょう?健闘を祈ります。


2012年5月7日月曜日

神様と私のラブレター


5月7日



5月2日付けのガラスの天使とカードのコラボ写真は、気に入ってくださったでしょうか。校長室の窓から優しく薫る風を、あの写真から感じて下さったら嬉しいです。あの日も、そして今日も、真っ赤なハートを運ぶ天使のウインド・チャイムは、窓際で繊細で美しい音を奏でてくれています。

ゴールデンウィークの間に、お約束どおり、あの詩を訳してみました。
E. E Cummings は、この詩をどのような心情で、何を思い浮かべながら創作されたのでしょうか。それを思い巡らしています。

この詩は最近、”In Her Shoes” という米国映画にも登場しました。妹が姉の結婚式にこの詩を朗読します。間違いなく、とても親密な人と人の心の交流、大きな愛に満たされた魂の歓びが伝わってきます。

皆さんそれぞれに、このような強烈な愛のことばを捧げることのできるだれかがおられるとすれば、それはなんと素敵で素晴らしいことでしょう。しかしながら、この詩を捧げる相手など、私には到底いないと思ったとしても、実は、そう思うあなたご自身に向かって、この詩のこの言葉を毎日投げかけておられる方がいらっしゃいます。今日、そのことを皆さんにお知らせしたいと強く思いました。

その方のことを、私は「神」と呼びます。月や太陽、星を配置し、全宇宙を司り、そしてその中に生きる小さな一人ひとり、私個人という存在を慈しんで愛される。存在を根底から支え、抱き、何が起こってもそばから離れずにいてくださる。そして、いつも、この詩のことば、あるいはそれ以上のすべてを惜しげもなく与えて、与えて、私が知らなくても、気づかなくても、与え続けておられます。いつ頃からか、私はそのことに気づき始めました。神様からこのように愛されることを一度知れば、私も神様に対して、それに応えたいと心底から思う。魂が望み、理性が計算できないほどに、愛したい。私がそう愛したいと望むのは、神様が先に、このような愛を溢れるほど下さったからです。この詩は、神様からのラブレターという言い方もできるし、私からの神様へのラブレターという言い方もできます。

そう思うとCummingsは凄い詩人です。神の愛のほとばしりを人間の言葉で表現したのですから。この詩の「私」はむしろ神様を仰ぎ見る私そのものです。



私はあなたの心を大切に抱(いだ)く
私の心の中に 大切に抱(いだ)く


決して離れない
私がどこに行こうとも あなたも一緒
私が何をしたとしても想いは一つ 愛しい存在(ひと)よ


運命を恐れることはない
愛する存在(ひと)よ あなたが私の運命だから


世界などほしいとは思わない
美しいあなたは世界そのもの 真実そのもの
あなたこそは 太古より月が意味してきたすべてのもの
そして太陽が常に謳(うた)おうとするすべて


これこそは誰一人知る人のない奥深い神秘
根っこの中の根っこ
芽吹きの中の芽吹き
天空の極み
伸びやかに育つ命という名の木
それは魂の望み得る限りを超えて高く
理性の隠れ得る深みよりさらに深い


これこそはちりばめられた星の神秘


私はあなたの心を大切に抱(いだ)く
私の心の中に 大切に抱(いだ)く



I carry your heart with me
I carry it in my heart
I am never without it 
anywhere I go you go, my dear; and whatever is done
by only me is your doing, my darling
I fear no fate for you are my fate, my sweet
I want no world for beautiful you are my world, my true

and it's you are whatever a moon has always meant

and whatever a sun will always sing is you
here is the deepest secret nobody knows

here is the root of the root and the bud of the bud

and the sky of the sky of a tree called life; 
which grows higher than the soul can hope or mind can hide
and this is the wonder that's keeping the stars apart
I carry your heart 
I carry it in my heart









2012年5月2日水曜日

あなたはいつも私の心の中に

校長室の机上に、一枚の書きかけのカードがあります。一人の生徒のために書いている途中です。このカードはアメリカ人のシスターの手作りで、E.E. Cummings (Edward Estlin Cummings, 1894年 – 1962年、米国)の詩の最初の一行が引用されています。これは私が大好きな詩です。カードには、言葉と共に真っ赤な大小のハートが5つ、描かれています。

校長室の窓際に、一つのガラス細工が掛っています。今年3月に、中学2年生の長崎研修に同行した時に、大浦天主堂近くのガラス細工のお店に生徒たちと入ってみました。その時に買い求めたウインド・チャイム。ピンク色の天使が羽を広げて、両手に何かを持っています。真っ赤なハートです。

今日、真っ赤なハートでつながっているこのガラスの天使とカードを一緒にしたら、こんな素敵は写真になりました。心と心がつながっていることをよく示しています。だれかのハートをこのようにいつも大切に持ってくれている天使は、私に、大切なことを見失わないでと、絶えずメッセージを与えてくれています。書きかけのカードを書き終える時、この天使はきっと、私のハートを届けてくれるでしょう。私は生徒たちの心をいつも、私の心の中に抱きたいと思っています。私がどこにいようとも何をしていても、彼女たちの心と共にいられたら、と心から思っています。

以下はこの詩の全文です。
映画でも登場したらしいですので和訳は存在しているようですが、私なりに和訳してみようと思っています。GWの終わりまで、お待ちください。

I carry your heart with me
I carry it in my heart

I am never without it 
anywhere I go you go, my dear; and whatever is done
by only me is your doing, my darling
I fear no fate for you are my fate, my sweet
I want no world for beautiful you are my world, my true

and it's you are whatever a moon has always meant

and whatever a sun will always sing is you

here is the deepest secret nobody knows

here is the root of the root and the bud of the bud

and the sky of the sky of a tree called life; 
which grows higher than the soul can hope or mind can hide
and this is the wonder that's keeping the stars apart

I carry your heart 
I carry it in my heart



2012年4月27日金曜日

特講「みらい科」「ふしぎ科」のメッセージ


4月27日


本校独自のこの2つ授業は、この学校が大切にしている「かかわり」「連帯」「共生」といったテーマを独自の方法で豊かに表現しています。

昨日の「みらい科」の授業を覗いてみました。「わたしのせいじゃない」という絵本からつくった小さな劇をとおして、自分の「ことば」を考える授業です。自分の他者への「ことば」は、大きな力です。生きる勇気を与えることも、深い傷をつけてしまうこともできる「一言」の威力。ことば一つでプラスにもマイナスにも、そのパワーの方向性が決まってしまう、そのことに気づくことができる魅力的な授業です。

みらい科は、本校A類型の特講科目で、「自分」を豊かに知ること、「他者」とかかわって生きること、そのことに伴う喜び、痛み、困難、発見、感動、それらを丸ごと味わう授業です。かかわらずには生きていけない私たちが、自己を磨き、他者を大切にすることが、実際にはどういうことなのか、当たり前のような事実が、実は驚きと発見の連続であることを生徒たちは学びます。


一方、「ふしぎ科」はB類型の特講科目です。昨日はまさしく、私がいつも考えている「連帯」と「共生」がテーマでした。本校の立地条件、銀閣寺から南禅寺まで、南北に走っている哲学の道、そして、学校から徒歩5分で行ける法然院という素晴らしいロケーションがそのまま教材です。

たとえば、法然院に棲む生物たちについて学んだこと、それは、森に棲む生き物たち、ムササビや木々やキノコたちが、どのように共に生きようとしているのか、それを知ることは目を見張る驚きに通じます。私はキノコたちが木々に助けられて生きているのは知っていましたが、木たちがキノコ類にこれほど助けられているのだということは知りませんでした。深い感動でした。では人は、どのように住まわせてもらえばいいのだろうか。それを考えてしまいます。森とそこに棲む生き物たちとが互いに最高のバランス感覚でもって共生しているのがわかれば、人がそこで連帯して同様のバランス感覚を持たせてもらうには、もっと知らねばならないこと、考えねばならないしくみ、できる工夫がたくさんあるはずです。

「みらい科」「ふしぎ科」を受けている中学3年生は、人が世界の中で生きていくことについて、この学校にしかない方法で学んでいると言えます。そのことを学校長として誇りに思います。








2012年4月24日火曜日

教室に掲げられた聖句

4月24日

4月19日付けのブログでお約束したとおり、今日は、教室にかかっている聖句について、お話したいと思います。現在、25のホームルーム教室、15を超す特別教室の黒板の上部に、聖句がかかっています。どれ一つとして同じ言葉はありません。生徒はお友達のホームルームを訪ねると異なる聖句に出会います。そして特別教室に移動した時も同じです。

今年に入って、この聖句の装いが新たになりました。今年お祝いする60周年に因んで、ある卒業生の方が、この聖句が入る校内のすべての額縁をご寄贈してくださることになったのです。本当にありがたいことです。この学校の魂、すなち神様の息吹のほとばしりが、より鮮明に伝わってきます。特別教室の聖句は、シスターアスンタ福島先生の肉筆による聖句です。私が生徒の頃に、ずっとこの学校で書道を教えてくださっていたシスターが、修道院で心を込めて書いてくださったものを、先日頂きにいって参りました。私の感謝の気持ちが溢れています。特別な和紙だったせいか、あるいは私の気持ちが引き締まっていたせいか、シスターから託った時、ずっしりと重く感じました。

新しい額と新しい書、これが今、教室の十字架の横に掲げられています。どうか、一句一句のみ言葉が、在学中の生徒たちの魂にしっかりと届き、彼女たちの生涯にわたって生き続けるものとなりますように祈ります。



 


2012年4月20日金曜日

その眩しさは神様からの恵みのしるし


4月20日

今日は、ノートルダム学院小学校の児童の皆さんをご招待しての、オープン・スクールを行いました。鹿ケ谷と北山という、お互いに離れたところにあるために日常的な出会いが多くありません。そのために、今日の午前中の半日、児童とその保護者の皆さんに日頃の女学院の雰囲気、クラブ活動や楽しい授業の数々を見ていただきました。本校の生徒の皆さんもご自身のできるところで満面の笑顔でのお手伝いを誠にありがとう。きっとノートルダム女学院の魅力が、あなた方によって、豊かに伝えられたと確信しています。

特別に卒業生も、今日は児童へのスピーチの応援に来てくれました。豊田桃子さん、松田眞子さん、新屋祐希さん。いずれもこの春に卒業したばかりのフレッシュ・パーソンたち。豊田さんは神戸大学経済学部、松田さんは畿央大学健康学部へ、新屋さんは京都大学医学部医学科へ、それぞれ進学されています。彼女たちはいずれも女学院が大好き、女学院で自己実現への道を見つけられたと確信を強くもっている人たちです。

豊田桃子さんは、希望大学への現役合格と共に、本当に多くの女学院での学校行事の数々を、イニシャティブをもって取り組み、大好きな新体操も続けられた秘訣は、女学院での一日一日が本当に充実していたからだとおっしゃいました。とにかく学校の授業をしっかり受ける。質問をしまくってその日中に解決するものは解決する姿勢を大切にしたことも。彼女の話を聞いていると改めて、女学院の素敵さが伝わってきます。できるものなら、私ももう一度、ここの生徒として生きたくなります。

松田眞子さんは、他の二人の同級生とともに、課外レッスンとして校内で続けておられた華道で、高校3年生で「花の甲子園」に出場、そして全国大会で北海道の高校に次いで準優勝になるまでのプロセスについて、自分を磨く素晴らしい体験であったことを、彼女らしい穏やかで丁寧な語り口で話してくださいました。誠におめでとう!

新屋祐希さんは、超難関といわれる京都大学医学部医学科へ現役で入れたことは、女学院での日々があったからです、と確信に満ちておっしゃいました。我が姉妹校であるアメリカのセントルイス・ノートルダム・ハイスクールに休学せず一年留学したことがきっかけで、勉学に目覚める彼女は、帰国後たった1年半以内の短時間で、やるべきこと以上をやり遂げられ、達成された実績はあまりにも大きいです。

3人の人たち、私はあなたがたを心から誇りに思っています。女学院の空気を思いっきり吸って、キラッと光るそれぞれの宝物を探し当て、それを大切に飛び立たれたあなたたち。あなたたちは、今日とても輝いていて私には眩しいくらいでした。次に会える時には、さらに眩しく感じることでしょう。この眩しさこそが、私を、そして学校を生かしてくれる神様からの恵みのしるしです。

新屋祐希さん(向かって左) 豊田桃子さん(向かって右)  松田眞子さん

*個人情報は本人の承諾を得て掲載しております。

2012年4月19日木曜日

花はなぜ美しいか


4月19日


私がノートルダム女学院の生徒だった頃、いつも教室の後ろの黒板に、担任のシスターが折にふれてことばを書いて下さっていました。聖書のことば、詩人の作品、あるいは祈り。今から思えば、私の若かりし日々の魂にどんどんと栄養を送って下さっていたのです。
その中で、私が決して忘れることができない詩があります。命がみなぎっているこの春の一日に、皆様に分かち合えることを嬉しく思います。


花はなぜ美しいか 
 ひとすじの気持ちで咲いているからだ
                             八木重吉


この詩から八木重吉という詩人を知りました。29歳の若さでこの世を去られたことを後に知りました。1行か、多くても5行ぐらいまでの短い詩は、ほとんど覚えられてしまうぐらいです。彼の透明な、単純な、そして伸びやかで、とてつもなく強い神への信仰を仰ぎ見る思いがします。

この黒板での出会いをきっかけに、私は八木重吉の詩を覚えてしまうほど読みました。中でも私が愛してやまない2編をお届けします。

○小さなカードにしたためて、毎日の聖書に挟んでいる言葉はこれです。

ゆきなれた路の
 なつかしくて耐えられぬように
 わたしの祈りのみちをつくりたい 

○自分自身の生き方への永遠の憧れはこの詩が表現してくれます。

空のように きれいになれるものなら
 花のように しずかに なれるものなら
 値(あたい)なきものとして
 これも 捨てよう あれも 捨てよう

現在、ノートルダム女学院のすべてのHR教室と、特別教室の黒板には、聖書のみことばがかけられています。どれ一つ、同じ文言はありません。今度のブログで、そのうちの幾枚かの写真をお届けします。きっと、若かりし頃の私のように、いつまでも心の中にあり続ける一句を、生徒たちが自分で見つけてくれればと願っています。

2012年4月16日月曜日

図書室にて~エドヒガンに想いをよせて

4月16日

今日から全校あげて、図書館での朝のホームルームが始まりました。今日、中学1年生1クラスからスタートです。キャロライン館3Fに位置する図書室、それは大変落ち着きのある、精神的な空間です。窓から見える元修道院の建物の佇まいが、静謐さをさらに深めてくれているのでしょうか。毎朝、1クラスずつ、図書室でホームルームを行うという取り組みは、全校生がもっともっとこの部屋を自分の空間と感じてほしいという願いが込められています。図書室を入ってすぐの木製シェルフには、先生たち全員で作成した推薦図書コレクションが今年初めてお目見えしました。100冊を超える選りすぐりの良書の数々を、生徒たちが興味深く手にとっています。また後に、このブログ上でお知らせしたいことの一つ、「あなたに勧めるこの一冊~ノートルダム朝読書の道しるべ」というブックレットと美しく連動した取り組みです。

ところで、前述した元修道院の建造物の一つである純和風建築は、「和中庵」と名づけられた大正末期の建物です。私たちは昔から通称「御殿」と呼んでいて、特別な時に招いて頂ける場所として畏敬を込めた親しみを感じていました。今日現在、私の立っている窓際と和中庵の間には、エドヒガン(江戸彼岸)と名づけられた桜の名古木が見事に満開を迎えています。手を伸ばせば届きそうな程の近さに、樹齢200年とも言われるその古木が精一杯、その繊細な枝を広げてくれています。豪華絢爛というよりは、奥ゆかしく静かに、枝々に散りばめられている桜花たち。「あなた方はレディーになりなさい」と言われた初代校長シスターメリーユージニアも、きっとこの季節に同じ花々を眺められたはず。60年後の今日、私はそのようなことを考えながら、生徒たちが知の探究に入っているこの部屋の窓のそばに佇んでいます。日々の豊かな心の栄養を本棚から、まだ窓の風景からもふんだんに与えてくれるこの図書室という特別な空間が、これからも生徒たちの優しき同伴者になってくれることを願っています。


2012年4月12日木曜日

高校3年生の黙想会~前途を御手に委ねます

4月12日


4月10.11日は高校3年生全員を対象にした黙想会でした。二日間、授業をせず神父様による「講話と黙想」を5セッション継続。魂を磨く時。中学1年生から高校2年生までは年が明けた1月の始業と共に行いますが、高校3年生だけは、進路を具体的に見据えた卒業の年にあたり、自分の生き方を見つめ直して新たに飛躍するために、魂にさらに磨きをかける時としてこの時を選んでいます。今年は名古屋から、神言会の森山勝文神父様をお招きしました。神父様は、時間と心と労力をかけ、綿密に準備してくださいました。心から感謝いたします。

今回のテーマは「ノートルダム教育のミッション・コミットメント」。ノートルダムで学ぶ私たちの具体的実践として、聖母マリアの生き方を背景とした「尊ぶ・対話する・共感する・行動する」の4つの動詞を、私たちは自分自身の日常でどのように生きればよいか、このことを深く掘り下げていきます。私も時間の許す限り、生徒たちと共にセッションに参加しましたが、あらためて、聖母マリアという一人の女性を、現代のコンテクストで仰ぎ見ることの意味の大きさを感じました。

今年から新たに、黙想会の総仕上げとして、二日めにあたる昨日の午後は、河原町教会でミサに与ることにしました。恵みの雨の下、桜満開の京都の町をスクールバスで移動。初めてこの聖堂に佇む生徒たちも多く、美しい彩りのステンドグラスを眩しそうに見上げています。ミサに先立ち、本校卒業生であり、河原町教会のオルガニストもされ、全国各地でコンサートを展開されているオルガニストの桑山彩子先生に、パイプオルガンによるメディテーションの時間を頂くことができました。聖堂に座って、静寂のうちにオルガンの音色に耳を傾けます。一人ひとり心がほどかれて自由になり、いつしか隣りに座る友人を知りながらも、神と私の静かな対話の時間に入っていきます。そのような潤う時間を創ってくださった桑山先生には感謝の言葉しかありません。生徒一人ひとりの魂にとって、贅沢にも栄養価の高い食物をふんだんに与えて頂きました。

ミサは、5つのセッションで積み上げた内容の総仕上げの時間、この新しい学年、ノートルダムでの最後の年を、自分らしく精一杯生きることができるよう、森山神父様による祝福も一人ひとりが受けました。どうぞこの新たな学年が神の祝福で満たされたものでありますように。一年後の今日はきっと、それぞれの場所で新たな夢に向かって励んでいるに違いない彼女たちの横顔を見つめながら、その前途を神様の御手に委ねました。「種を蒔き続けるのは私たち、育てるのは神様、あなたなのですから」とつぶやきながら。






2012年4月9日月曜日

あなたに知ってほしい3つのこと


4月9日

入学式から3日がたって、校門の桜がちょうど7分咲きです。なんと美しいのでしょう。新入生たちの制服も、たった3日で随分美しく着こなせるようになったと思うのは私の錯覚でしょうか。
入学式の式辞で、私は新入生に知ってほしい3つのことを彼女たちに申し上げました。

1.あなた方は、一人残らず、神様から愛されてこの世に生まれ存在しているのだということ。だから一人ひとり、大切で尊い。あなたも、あなたのお隣に座っているお友達も、後ろに座っているお友達も、みんな尊い大切な存在であることを知ってほしい。


2.あなた方は、神から一人ひとり与えられた固有で豊かな力を必ずもっていて、それを開花させるように招かれているということを知ってほしい。その力はやがて、この世界であなた方が神様が一人ひとりに担うように望まれている大切な役割、使命とは何かを見出す力となっていくのだということを知ってほしい。


3.この世界は多様な人々が一緒に生きていること、人間はもとより生きとし生ける命たちはすべて調和の中で生きている。この多様性は豊かさであり、それらのもの同士がつながり合う時、一人単独ではあり得ないすばらしい力に変容し、やがては世界を善へと導いていくということを知ってほしい。

この3つのことを、この学校で考え、祈り、深めていってほしい。ここノートルダムは、皆さんがそれらを確信するに至るまでに、あらゆる方向からサポートしたいと願っているのだから、と心を込めて話しました。

明日から本格的に授業が開始です。式中で一人ひとりに私から手渡した校章を胸に輝かせて、皆さんがどうぞよいスタートが切れるように、祈っています。




2012年4月5日木曜日

新しい年、手渡される校章


4月5日


2012年度が明けました。寒さは確実に緩みましたが、私自身の心は引き締まります。明日の入学式で、新たに迎える生徒たちに、式の中で手渡す校章が、整然と並べられています。一つひとつに目を落としながら、この校章を胸につけられる一人ひとりに思いを馳せています。どうか、彼女たちのこの学び舎での日々が、神の祝福に満ちたものであるようにと、校長室で一人、祈りを捧げています。


このブログをご覧の皆様、ノートルダム女学院中学・高等学校の校長室より、不定期に更新していきます。とうぞ時々、覗いてみてください。
新年度に、私の好きな祈りの一つをご紹介させていただきます。


主よ、
変えられないものを受け入れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける英知を我に与え給え。


God, grant me the serenity to accept the things I cannot change
Courage to change the things I can, and
Wisdom to know the difference,
ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)