2014年10月11日土曜日

ノートルダム女学院中学高等学校 創立62周年記念式典 式辞


 

私たちは今ここに、ノートルダム女学院中学高等学校創立62周年を共にお祝いするために集まっております。
本日は、このように多くのシスター方、またご来賓の皆様に見守られながら、この喜びの時に共に与ることができますことを、神様と皆様に心より感謝申し上げます。いつもノートルダム教育の実現のために、心からの祈りとお導きを頂き、誠にありがとうございます。
保護者の皆様、本日はようこそお越しくださいました。私どもを信頼して、大切なお嬢様をお委ねになって頂いた保護者様の、その信頼に支えられて、私どももまた今新たな一歩を踏み出そうとしています。今日、ノートルダムの大切な心を皆様と分かち合うことができましたら、これ以上の喜びはありません。
生徒の皆さん、創立62周年の記念を、皆様とここでこのようにお祝いすることができて、私は本当に嬉しく思っています。皆さんは、63年めを生きる本校の、最先端を担う人々です。

さて、創立記念日は、私たちの足元を見つめ直す日、どのような土の上に私たちが立ち、その土はどのように耕されて今日あるのか、そのことを思い起こし、そして、その土の上でこれまで、様々な偉大な神様の業が行われたことにたいして、心を躍らせ喜びあう時でもあります。そして、さらに、創立記念日は、新たに、私たちがどの方向に向かって歩み出せばよいのかを確認し、決心する日でもあります。
今日のこの日に、私は生徒の皆さんに是非伝えたいメッセージがあります。これをよく聞いて、理解するだけではなく、このように生きたいと決意ができ、そして、そのように生きる努力をするあなた方は、必ず、今日のこの創立記念日が、あらたな出発となるはずです。この私の式辞と、後に続くミサとシンポジウムは、その意味で、皆さんに、決意と感謝を促し、ノートルダム生としての行動指針を与えるでしょう。与えられるメッセージを心の耳で聴き、受け取ってください。今日を貫く大きなテーマがあります。「来て、見なさい」。これは、ヨハネによる福音書一章からの引用です。
今日、あなた方は、イエスと出会います。あなたは、イエス様がとても偉大、とても素晴らしい、畏れ多い、私などが近づけるような、そんなお方ではないと思いこんでいる。でも、同時に、イエス様に少しでも近づいてみたい、あの優しい、温かい、深い眼差しで見つめられたい。私の手に、肩に、触れて頂きたい。何か、関わりをもちたい、近づきたい。だから、弟子たちのようにあなたはイエスに問いかけてみる。まずはイエス様が住んでおられる場所を。イエス様が食べたり、休まれたりする場所を、そこから出かけて人々の中に入っていかれる、そのベースの場所を。「主よ、どこにお泊まりですか?」と。
イエスはこちらをじっとみて、そしてお応えになりました。「来て、見なさい。」
学校でお昼休みの終わりに毎日かかる曲は、この場面が曲になったものですね。With Christ というタイトルです。今日のミサの最後にもご一緒に歌えることが嬉しいです。歌詞はこうです。「来てみなさい、私が生きるところに、来て交われば、私もそこにいる。Come and see, 恐れないで、光もとめ、手を伸ばして、Go with me、歩き出そう。愛することを始めるために。」
この歌は、皆さんにこう歩んでいってほしいという私の願いを、実に分かりやすく伝えています。
「来て見なさい。」これは素晴らしいinvitation です。これに勝る出会いへの誘いはなく、体験もありません。こんなに情報が溢れる世の中にあって、実際に自分の足で行くという行為は特別です。イエス様からみれば、来なさい、ということですが、あなた方からみれば「行ってみる」、「見てみる」そして、「交わってみる」。そこには恐れがあってはならない、光は「希望」です。希望を求めて、みずからの手を伸ばす。希望のないところ、いわば絶望の中にあっても、手を伸ばして希望を得る。皆さん一人ひとりが、神様の希望を映し出す人になっていく。それは、「平和の祈り」で皆さんが毎日唱えている「闇に光を、絶望のあるところに希望をもたらす者にしてください」という祈りそのものです。そして、Go with me、イエスと共に行こうと、イエス様が誘ってくださっている。行って何をするでしょう?愛することを始めるのです。
「愛することを始める。」これこそが、ノートルダム教育そのものです。それが、62年前に本校ができた理由であり、ミッションそのものであり、私たちのゴールでもありました。「愛することを始める。」181年前、ドイツで最初のノートルダムを創設された我々の母、マザーテレジアゲルハルディンガーも、「愛すること」を始めようと、決意された方です。私は常にあなた方に言っています。愛することは、易しい、楽しい、おもしろい、そればかりではない、愛することは、時には辛い、難しい、面倒くさいこと。でも、ノートルダムは皆さんに教えます。どんな困難があろうとも、愛することを始め、愛することを貫き通す。愛することは、決意です。コミットメントと言います。イエスは言われました。「友のために命を捨てる、これよりも大きな愛はない。」愛することは、そこまでに至るとイエスは言われています。好き嫌いではなく、決意なのです。
では、愛すべき「友」とはだれか?どこにいるのか?ここからが、クライマックスです。皆さんは、多くの人々との関わりの中で生きている。皆さんの保護者、皆さんの兄弟姉妹、親戚の方々、こういった血縁関係以外にも、皆さんは実に多くの人々に支えられ、様々なことを分かち合いながら、お互いを大切にし合いながら、今を生きているということができます。今後、この学校を卒業したら、益々、出会いは多様化することでしょう。それらの出会いを一つひとつ大切にしてください。それは皆さんの糧となり、宝となるものです。そこで、皆さんに一つ、新しい扉をお示ししましょう。知ってほしいことなのです。

私たちはかつてのどんな時代にもあり得なかったことを毎日体験しています。私たち自身のこと、他者のこと、この社会のこと、この地球のこと、それらについて、以前よりももっと正確に幅広く知ることが可能になっています。私たちは簡単にすばやく、私たちのこの地球上どこでも行くことができる。また、地球の裏側に住む友人にも、即座にメッセージを送り合える。溢れるように提供されるあらゆるジャンルの情報は、上手く取捨選択するすべを知れば、私たちの手の中に、正確に、素早く、充分という量を携えてやってきてくれる時代です。世界がフラットになり、国境線、通貨、言語、食文化、生活習慣など、その国を国として成り立たせるためのすべての境界線が溶け始めています。世界が小さく縮んでしまったかのような、私たちが万能の翼をもらって、すべてにアクセスできるような期待をもつ時代です。時は、グローバル時代なのです。

しかし、一見素晴らしい、めざましい、世界が一つになったように見えるかもしれないこの地球で、私たちは自分たちで落とし穴を作ってしまっている。その中に多くの人々がすでに、落ち込んでしまっていて、這い上がることができないでいる落とし穴です。すなわち、世界市場では、深刻な格差が拡がっています。アメリカ、ヨーロッパ、日本は、エチオピアやハイチ、ネパールよりも100倍以上豊かだと言われている。先進国は、過去100年で発展してきましたが、途上国はどうでしょう。インドや中国が急速に発展している、でもその行動を取れない国々があります。グローバル化のひずみの陰で、周辺に押しやられている人々について、私たちはどう考えればいいのでしょう。なぜ、このような格差が拡大する一方なのでしょう。弱い者ではなく、強い者が心地よく便利に生活する地球社会。みんな強い者になりたがって、弱い者が置いてきぼりになってしまっている。どういった価値観が、どのような経済構造が、それを生み出すのでしょう。それをまず学び、考えることが、愛することを始めるための第一歩かもしれません。

日本国内を見てみましょう。皆さんと同じ年くらいの若い世代であっても、その中の意外に多くの人々が、皆さんの暮らしと同じような豊かな暮らしをすることができていません。日本社会は豊かですが、この社会がさらに豊かになり、一般的な水準が上がっていけばいくほど、その水準から落ちこぼれてしまっている子どもたちが、実に6人に1人の割合でいるということが、厚労省の調査でわかっています。まさに、自分たちで自分たち自身のことを守ることができないほど貧しかったり、非力であったりする。私たちは、それについて、どう考えるべきでしょう。ここでも、弱い者ではなく、強い者中心の考え方で、ますます便利に、益々豊かになっていく現実があります。

ノートルダム教育を受ける私たちが、愛することを始めるということは、実に、このようなことに向き合っていく、自分たちに関わることとして捉えることができる、という共感の心を自分の中に育てて行くことであると思います。弱い人々を中心にして、彼らを忘れない、彼らの幸せのために、自分ができることを見つけ、行動する。そしてそれを続ける。

今日は、ミサの後で、私たちの第3部があります。これは、一人の女性の生き方が軸になっています。辻村直さんという東ティモールの国際公務員の方の生き方。彼女は、もう17年以上も東ティモールで、自分のすべてを現地の人々の生活のために捧げつくしておられる方です。今日、登壇してくれる3人の皆さんの先輩たちは、その彼女に影響を受け、自分たちも現場に行ってみようと決意できた方々です。その彼女にだれかが尋ねました。辻村さん、一体いつまで、あなたは東ティモールで働き続けるのですか?そしたら、彼女はこう答えました。私の仕事が終わりになる時は、ここでの私の存在がゼロになる時ですと。必要とされなくなる程彼らが充分満たされる時、私の存在はゼロになる。そうすれば、私の仕事は終わりです。
彼女のこのことばは、これからの私たちの行動指針になる言葉だと思いますから、私の話の最後をこの言葉で締めくくりたいと思います。皆さんは、このグローバル社会にあって、自分の使命を生きて行かれる上で、自分の存在をゼロにするまで、その使命を生きて下さい。それが、本当の意味で「愛する」ことだと思います。そして皆さんお一人おひとりが、そのように愛する人になってくださること、それが校長としての私の願いです。

これをもちまして、式辞といたします。