2012年6月18日月曜日

「銀河鉄道の夜」~ さそりの祈りより


―――昔、パルドラの野原に一匹の蝎(さそり)がいて、小さな虫を殺して、それを食べていきていた。ところが、ある日のこと、いたちに見つかって食べられそうになった。蝎は懸命に逃げのびたが、井戸に落ちてしまい、どうしても上がられないで、蝎は溺れ始めた。その時、蝎は祈った。

**************

「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私が今度いたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命逃げた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしのからだを黙っていたちに呉(く)れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神様。私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。」

**************

以前、私は東北出身の「わらび座」という劇団による、ミュージカル「銀河鉄道の夜」を観る機会がありました。言葉にならない感動でしたが、中でも、この一匹の蝎が死を目前にしてこのような言葉を吐く迫真の演技に、息をのむ思いがしたことを憶えています。

この蝎は、溺れ死ぬ直前、自分のからだが真っ赤なうつくしい火になって燃えて夜の闇を照らしているのを見たのです。

ずっとずっと後になって、やがてその真っ赤に燃える火をジョバンニとカムパネルラは見つけるのですが、「ルビーよりも赤くすきとおり、リチウムよりもうつくしく酔ったようになって、その火は燃えている」、それを不思議な気持ちで眺めます。

蝎はこれまで自分が普通に食べて暮らしていた日常が、何者かによって、食べられる立場に突然の転換を迫られ、そしてやがては食べられることもなく命尽きる、というエピソードです。この「食べる」にまつわる彼の別の作品で、「注文の多い料理店」という作品があります。この作品の序文で、「これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほったほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません」とあります。彼にとって、いうまでもなく言葉は常に命であったはずです。だから蝎のこの祈りは、「透きとおった本当の食べもの」であるに違いない。私には、この蝎自身が、この祈りを通して本当の命へと変わっていく、変容していく、そして「透きとおった本当の食べ物」となっていく、そのように思えるのです。

「本当の幸い」は、ここでも、他者のために生きることによってのみ得るのだということが明らかにされています。

2012年6月15日金曜日

「銀河鉄道の夜」より~私が命を感じる言葉


宮沢賢治の作品に触れていたら、自分の世界観と非常に相通じるものがあり、実はとても熱心な仏教徒だったと知った時、なるほど、諸宗教はコアなところで分かち合い、つながっているんだと感動したものでした。彼は、37歳で亡くなる時に法華経をたくさん印刷して友人に配ってくれるよう肉親に頼んだというエピソードを後ほど聞きました。法華経の中心思想は菩薩道。たとえば、物語の中盤で登場する蠍(さそり)の祈りなどは、はっきりとそれがバックボーンであることがわかります。そしてそれは、私たちの学校が大切にしているイエスの教えとも分かち合える価値観です。

「銀河鉄道の夜」には、私が「命を感じる言葉」が散りばめられています。一部、ご紹介したいと思います。

*本文はなるべく現代仮名遣いの定本に基づいていますが、一部、こちらで読み易さを考慮し、漢字に変換している部分があります。ご了承ください。

********

「ぼくのおっかさんが、ほんとうに幸(さいわい)になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんの一番の幸(さいわい)なんだろう」(カムパネルラ)
*********

「ぼくわからない。けれども、誰だってほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくを許して下さると思う。」(カムパネルラ)
*********

「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上り下りもみんなほんとうの幸福にちかづく一あしずつですから」(灯台守)
*********

「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私が今度いたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命逃げた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしのからだを黙っていたちに呉(く)れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神様。私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。」(蠍(さそり))

**********

「カムバネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺんやいてもかまわない」
「うん。僕だってそうだ。」カムバネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体なんだろう」ジョバンニが云いました。
「僕わからない」カムバネルラがぼんやり云いました。

**********

ジョバンニにはカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいないというような気がしてしかたなかったのです。 

************

「もう駄目です。落ちてから四十五分もたちましたから。」
ジョバンニはおもわずかけよって博士の前に立って、ぼくはカムパネルラの行った方をしっていますぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのですと云おうとしましたがもうのどがつまって何とも云えませんでした。

****************************************

みんなの幸いを探しに行くと決意するジョバンニは、実は孤独な存在です。どこまでもどこまでも一緒に行こうと約束する親友カムパネルラを喪い、母の病気の治癒も父の帰還もいつになるか、彼の孤独感と深く関わります。この世で私たちがこだわり続ける愛は、実は悲しいほど脆い。みんな「ひとり」と知るがゆえに「つながり」を慈しみ、共にいられる場所に帰還したい。ジョバンニは実は私たち一人ひとりの孤独の叫び、そして本当の幸いを約束する永遠への希求。どこかで、私たちも一人のジョバンニなのですね。「やっぱり私はひとりだ」と悟ることは、その意味で大切なことなのかもしれません。銀河鉄道を降り、本当の幸いを探しに、この不確実な世界で、ジョバンニは病気の母親の待つ家に帰るのです。ふりだしに戻るようで、実は一つの次元を超えた彼を再発見するようです。

前述した蠍(さそり)の祈りについて、もっと時間をかけて考えてみたくなりました。
次回をお楽しみに。





この続きはまた。

2012年6月13日水曜日

みんなのほんたうのさいはひをさがしに行く~「銀河鉄道の夜」


今日、図書室での朝HRに顔を出していると、ある一人の中学生が「銀河鉄道の夜」を手にもちながら、「先生、私が一番好きな本なんです」と話しかけてくれました。思わず即座に「私もなのよ。大好きな本が同じなのね」とこたえました。その生徒は小学校の頃にこの本に巡り会い、幾度となく読んでいるのだとのことでした。本当に嬉しく思いました。きっと、あの本の中に込められているスペシャルなメッセージをしっかりとつかんでくれているに違いないと思うからです。

それにしても不思議な物語です、宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」。時空間が縦横無尽に移動し、夢と現実が交差する中で、「本当の幸い(さいはひ)」とは何かを探し求めるジョバンニ。彼の周辺で登場する、あるいは使われる多くのモチーフ―家族、旅、鉄道、切符、親友カムパネルラ、自分のいのち、他者の幸福―は、私たちに、「本当の幸い」を探す旅は実は2人ではなく「ひとり」、自分の命を失って変容する祈り、生と死の二つの次元の転換と超越、そして伴う崇高さを存分に感じさせてくれます。どこか懐かしい、いたるところで逆説的、そしてとてつもなく根源的です。

読後、自分を、何か非常に大きくて優しくて美しいものに、すべて残らず明け渡してしまいたい!と言って大声で泣きたくなるのは私だけでしょうか。

「銀河鉄道の夜」について、数回かけて分かち合いたいことがあります。それぐらいすばらしいのです。図書室でのHRであの生徒に出会えて本当によかった。
続きはまた次回に。

2012年6月11日月曜日

家庭教育講座へのご参加ありがとうございました。


本日はご多用中、家庭教育講座へ多数ご参加いただきましてどうも有難うございました。日頃から私が考えていること、気づいていることがらについて共有して頂けるチャンスがあったことを大変嬉しく思います。

本日、一番最後に申し上げたことは、以下の内容です。本日、お越しになれなかった方々のご要望にもお応えして、一部を抜粋いたします。

*****

「英国と日本の母親の言葉かけを詳しく見ていくと、かなりの共通点もあり、それゆえに浮きぼりにされる相違点も顕著となった。例えば、子どもに話しかける英国の母親たちは例外なく、子どもを ‘YOU’と呼ぶ。そして母親は自分を ‘I’と呼んでいた。日本人である私からみて、この「あなた」と「私」は常に正面を向き合い、交渉し、ゴールを目指しているように見えた。どんなに小さな子どもに対しても,母親たちのそのスタンスは変わらなかったことを、私のビデオカメラのファインダーは確実に捉えている。私は決してどちらの国の母親ことばのあり方の優劣を述べるつもりはない。それはむしろ誤りである。私が認識したのは、比較対照の結果に表れてきた相違点であった。日本人の母親たちが巧みにそして細やかに 行っている「くろご」的援助や、英国人母親たちの微妙な力関係の調整は、ほとんど気づいているようで実は気づいていないお互いのコミュニケーションスタイルである。それは各自がどこまでも自由にことばを選び、使いこなしているように感じながらも、各自の母語が制約することばのきまりや法則に従って、あるいは、生まれて属している特定のコミュニティーがある限り、そこに根づく文化の枠組みの中で、アイデアや信念を伝える以外に方法がない、我々の社会文化的な制約、限界があるという認識が重要なのである。
我々が自分たちのコミュニケーションスタイルを意識すること、そして同時に異文化のそれを認識することは、おそらく、このグローバル社会を生き抜く上で、必要な英知となると信じている。他者との共生には、他者への理解が根源的に重要であることは言うまでもない。そこにはことばの担う役割が大きいことは自明の前提であろう。だからこそ、コミュニケーションスタイルは、単に表層的なものではなく、生まれ育ったコミュニティーの成員の証しとして、すなわち、各自が保持するアイデンティティとして認識し合うことの大切さを、しばしば私は感じている。」


*****


本日のトークの基礎となった研究内容の一部を、2008年「教育のプリズム:ノートルダム教育」に寄稿しております。詳細は以下をダウンロードしてください。

「日本と英国の母親たちのことば―子どもに何をどう話すか?」ダウンロード(6.7MB)

2012年6月8日金曜日

今日はスポーツ・デー:プラスのストロークをありがとう!


今日は午前中が中学、午後からは高校と、ドッジボール、バドミントン、卓球、バレーボールの試合が、校内3か所に散らばって実施されています。私はひたすら応援、応援、応援。皆の頑張る姿を見て、そして皆の歓声をたくさんたくさん聞かせてもらって、エネ・チャージをさせてもらっています。


中学生のドッジボール、近くで見ていて懐かしいなと思う気持ちが少しあるけれど、でも今ではもう、飛んで来るボールがただただ怖かったです。バレーのサーブはとっても難しいのに、皆上手いですね。見ていて惚れ惚れします。そして、なんと素晴らしいチームワークでしょう。試合中、思わず涙が出るような瞬間がありました。バドミントン、非常にカッコいい!何と早いラケット捌き! 卓球は英語ではtable tennis と言いますが、あの小さな卓球台に縦横無尽に駆け抜ける小さな丸いピン球が、なんだかスローモーションのように止まって見えたりするのは私の眼の錯覚でしょうか?
プレーヤーの皆さんは普段は制服姿ですが、今日のあなたがたは一人ひとり、コートのヒロインでした。素敵でしたよ。憧れます。




今日、私にとって、何が最ものエネ・チャージだったか、お教えしましょう。皆の応援の言葉だったのですよ。それが全部、「プラスのストローク」だったことです。



「大丈夫だよ」「よくやった!」「~ちゃん、上手よ」「その調子その調子!」「へっちゃら!次、がんばろ!」「いいよ、大丈夫」「やったね!」「ありがとう!」「~ちゃんにはできる」「できると信じよう」「信じれば大丈夫」「やった~!」「すばらしい!」「カッコいい!」などなど、みんなのそばで、たくさんたくさん、聞かせてもらった。それらはすべて、だれかを勇気づける言葉、だれかの失敗を帳消しにする言葉、だれかを愛で満たす言葉、次はがんばろうと思える言葉、友達でよかったと思える言葉、私も優しくなれると信じられる言葉、そんな言葉たちで溢れていた今日のグラウンド、今日の体育館、今日の講堂でした。私は今、愛に満たされた気持ちです。ありがとう、みんな。

2012年6月6日水曜日

英国の母親たちの言葉を追いかけて(その3)


英国の子どもたちに見た「存在の対等性」について、彼らが発する言葉から切り込んでいきたいと考えました。なぜならば、言葉が一人の人間の成り立ち、存在に占める割合はあまりにも大きく、その人が何を話すか、どのように話すかは、その人そのものを如実に表します。そしてパーソナリティーにも深く関わっています。それは個人を超えた一つの文化に置き換えても同様のことは言えます。すなわち、言語が先か文化が先かは議論がなされるところですが、言語が文化を形作り、文化が言語を生み出すということは、地球上あらゆる社会文化の中で言うことができます。

一方、この世界において、「母親たち」とはどんな存在でしょうか。生まれた子どもたちが、だれよりも最初に大きく影響を受ける存在であるといって過言ではありません。生物学的にも、社会的にも、人は多様な角度から形成されながら、一人のパーソナリティーをもった人格へと成長していくわけですが、そのプロセスで、母親の存在、あるいは、母親に代わる存在は必要不可欠です。したがって、どのような社会文化の枠組みで成長したとしても、最も影響力が大きい母親(あるいは母親に代わる保護者)の言語というものは、その個人独自の限定版であると同時に、世界で普遍的であるという言い方ができます。

ところで、英国での一年間、息子たちを地元の公立小学校に通わせたことで、私は人との出会いについて、期待以上の大きな恵みを頂くことができました。レディング大学博士課程で研究をスタートした私に与えられた研究仲間は、今でも貴重な友人となっていますが、それに加えて、私たちの住まい半径1km以内に、よく似た年齢の子どもたちをもった英国の母親たちの友人を多く得ることができたことは貴重な体験でした。このことは、私にとって、日本と英国の文化差を乗り越えたユニバーサルな「母親」というもの、そして、文化という枠組みのプロトタイプとしての「母親」、その両者について時間をかけて考えるきっかけを生み出すことになったのです。

英国滞在中、私は母親と子どもの関わりを多く見てきました。どのような言葉をどのような状況でかけるのか、それを注意深く見ていくうちに、日本の母親たちと普遍的な共通点があると同時に、英国独自のものがあることに気づき始めました。その気づきの多くは、実際の生活の場面を通して得たものでした。二つの国の母親たちは、どんな言葉かけを行いながら一つの問題をクリアしていくのか。いよいよ、この中身については、来週11日の家庭教育講座の中で、英国と日本で収集した実際の研究データを用いてご紹介していきます。
どうぞ お楽しみに。

2012年6月2日土曜日

英国の母親たちの言葉を追いかけて(その2)


英国の子どもたちと話していて、私が何よりも目を見張るように驚いた点は、だれに話すのにも、相手が大人であろうと子どもであろうと、「自分」と「あなた」の「対等な関係」の上で成り立つ「かかわる力」でした。自分を一個人として、その存在を存在させている、大げさな言い方をすれば、そのような感じ。それも、オクスフォードの町の、state schoolと呼ばれる地域の子どもたちで構成されている、ごくありふれた地元の公立小学校にいる、おそらくはごく平均的な子どもたちの言語表現だったのです。たとえば、小学校の校庭で私を見かけると、子どものほうからファースト・ネームで’Hi, Yoshiko!’と親しく声をかけてくれる。ファーストネームで呼びかける、これは英語文化圏ではごくごく当たり前ですが、やはり、6歳の子どものほうから、朝一番ににこやかに手を振りながら、このように爽やかに  呼びかけられると、日本文化の中で育った私はうれしいような、驚くような、そんな感じです。そして、私の息子たちと楽しそうに遊ぶ傍ら、ふと近くにやってきて、「この台所はとってもいいにおいがするね、ヨシコ。何かを焼くにおいじゃないかな? 今日はいったい何を夕食にしようとしているの?」としっかりとそのように問われれば、面食らってしまうのは、おそらくその界隈では私だけでしょう。そして感動もしたのです。この「対等性」はいったいどこから来るものでしょうか?

たった6歳でこれほど堂々と大人に向き合って、自分のことばで豊かに自己表現ができる子どもたちは、一体どういう教育を受けてきているのだろう? それを素直に知りたいと思ったのです。私はどうしても知らなければならないと感じ、このキーを「母親」という社会的存在に探ってみることにした。母親が、おそらくはキーパーソンではないか? なぜならば、ごく少数の民族を除いて、一般的には、子どもという存在は、生まれてから最初に接触する大人が母親(あるいはそれに代わる保護者)であり、彼らの社会化が進む段階でもっとも多くのことばかけを受けるのも、母親からだからです。 英国の子どもたちは、いったいどのような「ことばかけ」を母親からされているのだろうか。その対照として日本人の子どもたちはどうなのだろう。母親たちは、いったいこどもに何をどのような言い方で子どもたちに話しかけているのだろうか。限りなく興味がわいてきました。