2012年12月18日火曜日

クリスマス − 最も小さな人々に告げ知らされた出来事





クリスマスが近づいています。現在、学校の正面玄関には、小さなクリブセット(馬小屋の模型)と、クリスマス・ツリーが置かれています。そう言えば、私が子どものころ、家の近くの教会では、本物に近いような馬小屋が設けられ、人の実寸のマリア様やヨセフ様、そして羊飼いたちが飼い葉桶を囲むように佇んでおられて、そばを通るたびに胸がときめいたものでした。そして飼い葉桶の赤ちゃんは、24日クリスマス・イヴの深夜にお生まれになるので、その時まで飼い葉桶は空っぽのままだったのです。

そんな昔の思い出があるなか、本校のこのクリブセットの小さな赤ちゃんは、あまりにもかわいく、生徒たちに早く見てもらいたくて、24日を待たずして小さな飼い葉桶の中に大切に置くことにしました。はやばや、クリスマスの到来です。
飼い葉桶の赤ちゃんは、まぎれもなく「私たちの救い主」であるイエス様です。もう月が満ちるというのに、泊まるところもないマリアの初産、その出来事を最初に知ったのは、極貧の中、寒さで震えながら夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちでした。

クリスマスの意味を考える時、「赤ちゃん」という存在でこの世界に来られたイエスと、その知らせを最初に聴いた羊飼いという存在、この二つは大切なポイントです。

まず、救い主のこの世界での登場の方法です。彼は、流星と共に現れたカッコいいスーパースターではなく、だれかのケアを絶え間なく必要とする「赤ちゃん」という姿でこの世に来られたのです。助けを必要とする弱い存在として、愛情と信頼を、その存在そのもので誘い(いざない)ます。赤ちゃんを囲む人々は自ずと優しく、心ほどかれていく―人々からそのような力を引き出す存在である救い主なのです。

次に、「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった!(ルカによる福音書2章11節)」と、主のみ使いに宣言された「あなたがた」は、極寒の荒野で、だれにも相手にされず、羊の群れの中に紛れていたような無名の人々でした。その彼らにとって、本日お生まれになった救い主は、「自分たちの」ために来られたと知るのです。「さあ、ベツレヘムへ言って、主が知らせてくださったその出来事を見て来よう(ルカ2:15)」と、羊の群れをその場に置いて、彼らをベツレヘムへと急がせたその緊急性は、主の使いがかれらの「そばに立ち」「主の栄光が彼らを覆い照らした(ルカ:2:9)」、つまり、初めて自分たちの存在に、光が照らされたという彼らの感動が伝わってきます。この世を動かしているように見える権力、経済力、名声とは全く無縁の場所-馬小屋、飼い葉桶、荒野、それらの場所で、2000年前、キリスト・イエスによる救いは始まったのです。

イエスご自身が、助けを必要とする存在としてこの世に来られ、まず最初に連帯した人々は、このような存在、すなわち、助けを必要としている最も小さく弱い人々であったということ、このことをクリスマス前の待降節に思い巡らしています。

2012年10月16日火曜日

本校創立60周年記念式典が開催されました




先日10月12日には、本校創立60周年記念式典がびわ湖ホールで開催されました。式典と音楽の集いの2部構成でしたが、本校高校1,2年全員と卒業生たち300人近くの人々によって歌い上げられた「マニフィカト」大合唱と、オーケストラクラブによる「大学祝典序曲」は60年の創立記念行事に相応しい格調高いものであったと誇りに思っています。

その時の様子を写真や動画で皆様にできるだけ早くお見せしたいと思います。今回、こちらでは、第一部の式典の方で私が話した式辞の原稿の全文を上げてほしいという要望にお応えすることにします。当日はほぼこれに従って話しました。女学院のこれまでの60年間が、変わらずに大切にしてきた本校の価値観と行動指針を三つ、挙げてお話させていただきました。そして、これからの新たな第一歩を歩み出す私たちが、どこを目指してどのように生きていくことが神様に望まれているのかということをご一緒に考えるよい機会になったと思っています。





創立60周年記念式典 式辞

 本日、私たちは、ノートルダム女学院中学校高等学校の創立60周年をお祝いするために、このびわ湖ホールに集っています。なんという特別で、素晴らしい時なのでしょう。神様のご意志で建てられ、そして成長したこの学校の60年間に思いを馳せ、そして今日からの新たな第一歩を踏み出すための決意を、神様のみ前にお捧げする、特別なこの時間を、今ここに集う皆様方と共にすることができることを、私はこの上ない喜びと感じています。

 ここにいる生徒の皆さんは、ご自身が60年の本校の歴史の最先端を生きる大切な人たちであると知って下さい。

そして、保護者の皆様、本日はご参加くださり誠にありがとうございます。この記念すべき時に、皆様の大切なお嬢様の教育をお委ね頂いたこの学校が、どのような心で生き、何をめざす学校なのかということを、本日のひとときを通して、是非感じ知って頂きたく思っております。

いつも女学院を様々な方面から支えて下さっているご来賓の皆様、本日は、ご多用のところ、女学院の特別な日のために、このように駆けつけていただきましたことを、心より感謝申し上げます。ありがとうございます。

 ノートルダム女学院中学高等学校は、ドイツにおいて、マザーテレジアゲルハルディンガーが創設されたノートルダム教育修道女会によって、1952年、京都の鹿ヶ谷の地に開学いたしました。

ノートルダム教育は、世界のどこにあっても、女性が、神の愛のうちに、他者と自己に誠をもって生きる生き方を学ぶ学校、質の高い教育を通して、また本物に触れる感動を通して、その可能性を無限に開花させようと励みます。

日本のノートルダム教育は、ドイツから広がり、アメリカ合衆国ミズリー州セントルイスのシスター方によって始まりました。鹿ヶ谷の土地に直接種が蒔かれたのです。その種は、60年の歳月を経てここまで成長して参りました。今日、1万人以上の卒業生が生まれるカトリックミッションスクールとして、その根を張り続けています。
 言葉という手段では到底表現できない60年という歳月に、私たちが受け取ったもの、そして未来へと引き継ぐべきものはあまりにも多いですが、でも、それをあえて、三つの項目で表してみることを試みたのが、この4月、私が学校長に就任した最初の入学式においてでした。

就任するに際して、私は改めて、この激動の時代、女子カトリック・ミッション校にとって決して順風ではない時にあって、ノートルダム女学院の存在の理由とその証しについて祈り、黙想しました。私が生徒として、ノートルダムで学んだものは何だったのか。マザーの娘であるアメリカ人、日本人のシスター方が命をかけて、私たち生徒に知らせたかったものは何だったのか。創立者マザーが、最も大切だと思っておられるものは何なのか。そして徐々に、私の心の内側ではっきりしてきたことが、次の3つのことがらだったのです。

女性の12歳から18歳までというかけがえのない大切な思春期に、ここで学ぶ生徒の皆さんが在学中に体得してほしいこと、その一つめは、生徒の皆さん一人ひとりは、神様に既に愛されて存在しているかけがえのない大切な人々である、ということです。この学校の様々な場面で、そのことに気づいてほしい。神様はあなた方一人一人を無限に愛されていることを。神はあなた方を愛さずにはおれない。神が愛そのものだからです。それを知ることは、皆さんお一人お一人の人生の旅路の究極の目的といっても過言ではありません。その旅路に出ることを、この学校での学びから始めてほしいと願っています。

二つめは、あなた方は一人ひとり、神様から、無限のすばらしさと可能性を与えられているということです。そして、その可能性は、他者のために開かれたものであり、だれかの幸せのために、自分の使命を生きる時、自分の存在を懸けた時、あなたの人生の完全開花が成し遂げられると知ってください。あなた自身の素晴らしさは何か、そしてどのような可能性を秘めているのか、そのことを、この女学院において、あなたご自身が見つけて下さい。そして、神様はあなたがそれを見つけ、その可能性に向かって努力を続けるその時に、優しく寄り添って必ず助けてくださいます。そのことを知ってほしいのです。

三つめは、あなたは、この世界の、あるいは宇宙の構成員であるという気づきです。神がお造りになったこの宇宙で、皆さん一人一人は、あらゆるものとつながり合って生きています。全世界の多様な人々とつながり合っていることはいうまでもなく、動植物、自然、この宇宙のあらゆる被造物、つまり神がお造りになったものと密接につながり合い、お互いに生かし合って生きています。そのことを知ってください。そして多様に存在するこれらの違いを知り、受け入れ、そして、やがては世界中のすべての被造物が共に豊かに生きていくために、努力して行動できる人に成長して頂きたいのです。

以上これらの三つのことがらは、これまでにノートルダム教育があらゆる場面で真摯に行ってきたことがらであり、そして次の時代に私たちが責任をもって受け継いでいかねばならない大切な価値観と行動指針です。これらを実際に生きることが、神様と共に責任をもって未来をつくることにつながります。

特に今現在、地球はあらゆる側面で傷つき、うめいています。自然界のあらゆる場所で、その環境にひずみが起き破壊が進んでいます。また、世界の国々が急速につながり合うように見える一方で、そのために地球社会では経済的な格差が生まれ、深刻な貧困が進み、すみに押しやられて泣きながら生きている人々が急増しています。私たちができることは何か、学ぶことは何か、変えていけることは何か、それを問い続けましょう。そして行動に移しましょう。

生徒の皆さん、神様は心から皆さんのことを愛されています。そして望んでおられます。ノートルダムで過ごす皆さんが、誠実で優しい人に育つように。そして困っている人、助けが必要な人のことを思いやれる人になれるように。人だけでなく、自然に対しても、世界の様々な不正義や、そこから生まれる必要性に対しても、敏感になれるように。そしてニーズに対して行動できる人になれるように。神様は、のぞんでおられます。だからもっと様々なことを勉強し、自分の糧にしてください。視野を拡げ、愛深く生きてください。それが神様の、そして学校長としての私の願いです。

保護者の皆様、ノートルダム女学院で、このようなご縁を頂き、そしてお出会いできたことを神様に深く感謝しています。私たちのノートルダム教育に信頼をお寄せくださっていることにも深く感謝しています。どうか、女学院を、そしてお嬢様を共に育むパートナーとして、これからもよろしくお願いいたします。

ご来賓の皆様、本日よりまた新たにノートルダム教育の実現に私たちは全力を投じます。変えてはならないものを守り、変えていくべきことについてはしなやかに、その識別の眼力を磨きながら、前に前にと進んで参ります。温かいご支援を頂ければこれ以上の喜びはありません。

特にシスター方、高いところからではありますが、いつもいつも、私たちのために温かくサポートくださり、また日々祈っていてくださり、本当にありがとうございます。これまで命を投じて行われてきたノートルダム教育を、次世代の私たちにお任せになるにあたって、お心を砕いて下さっている日々、感謝しております。信頼して、見守って下さる温かい眼差しを感じて、私は日々励まされています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

これをもちまして、私の式辞とさせて頂きます。

2012年9月18日火曜日

平和ミュージアム「火の鳥」レリーフ


 皆さんは、京都の衣笠にある国際平和ミュージアムを訪れたことがおありでしょうか?立命館大学が「平和創造の主体者をはぐくむ」という素晴らしい理念のもとに開設された平和博物館。私たち女学院には「平和を考える日」が設けられていて、中学校在学中に必ずその博物館に一度は訪れることになっています。今日は、この博物館のロビーラウンジの話をしたいと思います。私も、中学生と共に何度となくこの博物館には足を運んでいますが、たいてい展示室の方でかなりの時間をかけるので、ラウンジに座る時間があまりとれませんでした。が、今年は、そこに、先生方と共に少し座る時間がありました。

ゆったりとした天井の広い空間の、東と西の広い壁のそれぞれに、大きなレリーフが掲げられています。それが手塚治虫さんの「火の鳥」であることは、その特徴からすぐにわかりました。よく見ると、東と西の二体の「火の鳥」は、それぞれ様子が少し異なっています。

東壁面の「火の鳥」は、首から羽のあたりに暗い色彩が施されており、頭も少し下がっていて、どことなく悲しげです。











一方、西側の「火の鳥」は、明るい金色で全体が輝いていて、首を高らかに上げて翼を大きく広げています。これはどういう意味があるのだろうと知りたくなって、入口近くにある説明文を見つけたのでした。









東の鳥は戦禍による人類の未曾有の苦しみと悲しみの「過去」を語り、西の鳥は平和への希求と実現を呼びかけている「未来」である、と。手塚氏の「火の鳥」は、随分前に映画で観た記憶があります。様々な生き物たちが大自然の摂理の中で懸命に生き、その命を謳歌するストーリー、命の尊さを宇宙規模で捉えたその作品は、なるほど、この博物館の理念に叶うものであると思いました。そして、このラウンジに名前がついていて、「火の鳥:過去、現在、未来」―ああ、そうか、私たちが今いるこの空間は、「現在」なのだ。平和創造の主体者たる私たちが、過去を振り返り、未来に向かって生きようとする「今」「ここ」で、何を選択し、どう決意し、どこに向かって生きていくのか―私が現在を生きることに深い意味を与えてくれる、すばらしい空間づくりであると感動しました。

私たちは、それぞれ一人ひとりが平和を創りだすように招かれている、その当事者なのですね。「平和を創りだす」など、あまりにも壮大で、自分には関係がないと思わないでください。目の前の困っているだれかに手を差し伸べること、悲しむ人の傍らに共にいること、それこそが、あなたによって創りだされる「平和」です。ノートルダム女学院では、毎日の帰りのホームルームで中一から高三まで、あることを創立当初から行っています。それはこの火の鳥のレリーフに深く関係があるなあと思いました。「平和を求める祈り」―それは、「私を平和の道具としてお使いください」という美しくみごとな一文から始まる祈りです。「火の鳥」に触発されて、次回はこの「平和の祈り」について、分かち合いたいと思います。

神様の平和が皆様と共にあるように、今日も祈っています。


2012年9月13日木曜日

ノートルダムの香り漂う2学期へ


長らくご無沙汰いたしました。皆様お元気でこの夏をお過ごしでしたか。私もお陰様で多忙の中にも神の恵みを感じる日々でもありました。第2学期も無事に始まり、瞬く間に2週間が過ぎ去ろうとしています。
 2学期は、ノートルダムのノートルダムらしさが、さらに醸し出される学期。私たち自身を育ててくれる、そして、それを私たちが誇りとしている様々な活動がキャンパス一杯に広がる輝かしい時です。一つひとつ、できる限りご案内して参りたいと思っております。ご期待ください。
 今回はその予告編にしたいと思っています。
まずは何と言っても9月22日から24日に繰り広げられる「文化祭」。今年のテーマは「信頼~Trust」です。信頼と聞けば、私がまず思い起こすことばは「つながり」です。ですから、文化祭のパンフレットに挨拶を書いてくださいと言われた時、私はサブタイトルに「『私』と『あなた』のつながりから生まれるもの」という表現を選びました。つながりから生まれるものは無限の広がりです。どんな広がりを見せてくれる文化祭になるのでしょう。今から楽しみです。
 その後に来るのが10月6日の体育祭。思いっきり頑張ってくれることでしょう。応援席から皆さんの勇姿を見せて頂くことを今から楽しみにしています。頑張れ!
 さて、いよいよ、10月12日、本校創立記念日の到来です。今年の創立記念日は少し特別です。1952年に鹿ケ谷にこの学校が創設されて、今年でちょうど60年を迎えるからです。そうです。ダイアモンド・ジュビリー(Diamond Jubilee)と呼ぶ記念すべき年になります。びわ湖ホールで特別なお祝いをして、お客様もたくさんお招きして全校あげてこの60年の歩みに想いを馳せて、神様に感謝を捧げる一日としましょう。
 11月3日は、恒例の英語コンテスト・暗唱大会の主催校として、近畿地区の小中学生たちをお招きします。本校の講堂が、様々な制服を着た他校の生徒で一杯になり、緊張感漂う特別な空間になる日。ドキドキします。
 校庭の紅葉が色づく前に、今学期の誕生日ミサがあり、高校3年生の指輪贈呈式、そして11月の追悼祈りの会の頃には、彩り鮮やかな紅葉が私たちの目を楽しませてくれるでしょう。そして、いよいよ待降節を迎え、クリスマスです。ボランティアスクールについては是非ご紹介したいです。まだまだ、ここに書ききれない活動が目白押しですが、どれ一つをとっても、ノートルダム教育の香りが漂うものばかりなのです。
 予告編と言いながら、やはり長くなってしまいました。また今学期もこのブログ上で、どうぞよろしくおつき合いください。
 

2012年7月14日土曜日

世界のノートルダム・スピリット

昨日は、ノートルダム教育修道女会(School Sisters of Notre Dame  以下SSND)のサマープログラムの一環として、海外からのシスター方が5名、本校をご訪問され、先生方や生徒たちと交流されました。4名は米国各地から、1名はアフリカはナイジェリアからお越しになりました。5名のシスター方は、どこに生きていても、ノートルダムがキリスト・イエスの教えた生き方を貫く共同体であることを、私たちに伝えてくださっている、私はそのように感じます。

シスターポーリッサはマンケートで識字教育に携わっておられますし、シスターシンディーは現在ミルウォーキーで高齢者に関わるお仕事に、シスターテレサはメリーランドの本校の姉妹大学であるノートルダム大学でフランス語をご担当、シスタージョンはミルウォーキーの、同じく本校の姉妹大学であるマウントメリー大学の副学長です。そして、アフリカはナイジェリアからのシスターメイベルは、あちらのノートルダム女学院高校の校長先生でいらっしゃいます。ノートルダムの豊かな広がりを感じます。

朝8時15分の本校の職員朝礼でご挨拶を頂いた後、午前中本校生徒が期末考査最終日でテストに取り組む間、本校の敷地内にあるお茶室で裏千家茶道を楽しまれ、その後、修道院として6年前までシスター方の居住されていた歴史的建造物である「和中庵」をご見学。皆さん既に非常によく事前学習されていて、この建物が大正末期、1926年に建立されていることも、その中のお一人はご存じなのには驚きました。シスター方は、日本の伝統的な建造物の黒光りする廊下を静かに歩きながら、同じスピリットで生きた日本の姉妹会員たちへの、往時の暮らしに想いを馳せておられるご様子でした。ランチまでに少々時間があるので、徒歩10分のところにある法然院にお連れしました。本堂近くの方丈では、たまたま珍しく現代美術の展覧会が開催されており、この機会に私自身も普段は機会がなかった空間に入らせて頂くことができ、あの空間が放つ凛とした静寂さにシスター方と共に「京都」を感じ、感動しました。

午後は生徒たちによる交流の集い。風呂敷の使い方のプレゼンテーション、また、この春に東北にボランティアに行った3人の生徒たちによるレポート等、力作続きの歓迎で、シスターたちからお褒めの言葉を頂きました。グループごとにシスターお一人ずつ入っていただき質問大会もしましたが、ナイジェリアのシスターメイベルのグループでは、いつの間にか皆が踊りだすなど、全員がかなりの盛り上がりを見せてくれました。




その後、聖堂を訪問し、講堂で行われている剣道クラブの見学へ。さすが、日本のマーシャル・アーツの代表、威勢のよい雄叫びと熟達した竹刀捌きは、見る人の心を捉えたと確信します。



私にとってこの日は、ノートルダムが世界に共有するスピリットの広がりの豊かさを感じる一日となりました。生徒たちの若い日々に、世界を感じ、学び、体験することが非常に大切なことは言うまでもありません。でも、最も大切なものは、語学力でも知識でもなく、神から授けられた命を有限の存在として生きるための、生涯を貫く価値観です。これをきちんと携えて生きることは、すべてを凌駕して自分が世界のどこに生きても、人として尊ぶべきものを心から尊び、きちんと向き合って対話し、そこから生まれる共感を育み、自分の心とからだを使って行動していくことにつながります。これが、ノートルダム教育がゴールにしている大切なミッションです。今日、私たちが出会ったシスター方は、そのことを私に再認識させてくださいました。私たちの日々のノートルダム教育は、世界に通用する価値観を育む教育なのです。

最後になりましたが、本日お出会いした5名のシスター方への感謝と、これからのお一人おひとりの使徒職に、神様の祝福が豊かにありますように心から祈っています。





2012年7月11日水曜日

生かし合って生きている (2)

7月10日の続きです。



あるとき、あと3日で出発という時期に、私は相変わらず憂鬱な気持ちになっていた。短大での仕事も一杯残っている。そして何より子どもにつらい思いをさせてまで続ける価値がある研究なのかとすら思うほど、落ち込んでさえいた。そこで、研究室に来ていた3人の学生のうちの一人が、そんな私の心境を知っているはずもないのに、こう言ってくれたのである。「先生、子どもさんも夫もいらっしゃって、イギリスに行かれるのは大変だろうと思うけど、先生がそれでもがんばっておられるのは、私たちにはとっても励みになるんです。私もがんばらないとな~って自然に思えてくる。」
 

琴線に触れる、という言葉があるが、まさしく私はその時、私の心の秘められた場所で、この学生の言葉を受け止めた。そして心が揺さぶられ、涙が溢れそうになるのを、何気なく顔の向きを変えて押さえるのが精一杯だった。立ちすくむ自分の背中を今、優しく押してもらった気がした。強がっても仕方ないと思った私は、学生にその時本音を言った。「私ね、本当はつらいと思っていたの。あなたたちがそう言ってくれるまで、つらくてやめたいとすら実は思っていたぐらいなのよ。でも、やっぱりやめないわね。がんばるね。今日、ここに来てくれて本当にありがとう」と、その時、私は教師が学生に話すようにではなく、励ましてくれた人に向かってお礼を述べるように話した。
 

自信に満ちているような姿をみせていると思ってはいたけれど、実は、学生たちは、私の言わない部分も知ってくれている。それも全部ひっくるめて私を優しく受け止めてくれている。私が今日ここにいるのは、そのようなきらめく一瞬の出会いの積み重ねがあったからかも知れないと感じる。「みんなお互いに、生かし合って生きている」ということは、実は教師としての私が、感謝とともに学生に伝えられる最大のメッセージかも知れないと思う。

2012年7月10日火曜日

生かし合って生きている (1)


皆さまには、私のバックグラウンドをまだ紹介する機会がなかったかも知れません。学校で直接、保護者の皆様にお話する時には、折にふれて私の自己紹介をする機会がありますが、ブログではまだ一度もそのチャンスがなかったと思います。昨日、プロフィールをアップしましたので、またお時間があれば覗いてみていただければと思います。

私は2008年4月にここ母校に戻ってくるまで、聖母女学院短期大学という京都市伏見区にあるカトリックの短大に17年間奉職していました。25歳で2年間、米国に留学し、帰国して翌年から2008年まで、つまり人生の20台後半から40台の半ばまで過ごしたこの場所は、大人としての私の基底部分と、社会人としての私の多様な側面を育ててくれたと言っても過言ではありません。まさに、かけがえのない、そして愛してやまない職場です。私の人生において数々の記念すべきイベントも、この職場と共にありました。専任講師として着任して一年目に結婚し、その2年後に長男を出産、その2年後に次男を出産、それから4年後に在外研修で家族と共に渡英しました。5月中旬のブログで分かち合った、生涯の師として仰ぐアンセルモ・マタイス神父様も、この頃に学長に就任されています。

同僚にも恵まれ、研究仲間として励まし合い切磋琢磨し合いながら、共に激動の大学改革の時代を生き、将来構想、改組改変等々、あの頃にしかできない仕事を一緒に夜遅くまでやった仲間たちは、今でもかけがえのない友人たちです。

あの頃に書いたエッセーの一つを、ご紹介します。少し長いので2回に分けます。




忘れられない一瞬というものがある。研究室で、普通に学生と会話しているはずのその時間が、生涯においてかけがえのない、きらめく時間となることが多々ある。その内の一つを分かち合いたいと思う。
 教師とは、常に学生に何かを与える存在であるはずだ。常に存在そのもので彼女らを力づけたいし、糧となる言葉を与えたい。励ましとなる何かを受け取ってほしい。日々授業で、研究室で、学内外で、そんな「教師」でありたいと思っているのは私だけではないはずだ。そんな私は、学生たちの視点では常に、自信に満ちているようにみえ、強い意志をもち、逆境にも屈せず、明るく前向きに生きている栗本先生と信じられている。おそらくそれは、パーフォーマンスではなく、本当の私の一部であるかもしれないが、無論、私のすべてではない。
 ここ数年、イギリスの母子関係をテーマにして研究を続けている都合上、年に少なくとも一度は渡英することを余儀なくされる。渡英前の慌ただしさは、向こうでの研究の為の事前準備が、短大での業務のただ中に入り込んでくることから始まる。自宅の扉から滞在先の扉までおよそ24時間かけて到着したイギリス国内では、限られた時間にいかに効率よく仕事をこなすか、そのタイムテーブルとの戦いでもある。からだの疲れなどカウントしている間もない。そして24時間かけ帰国、時差ボケと共に残務処理に忙殺されながら、短大での日常の再開。ここまでなら、まだ自分のことだけなので何とかなる。どんなに苦しくとも、自分の研究生活なので文句もない。しかし何よりもつらいのは、この生活に家族を巻き込むということ。このテーマで研究を続けて7年が経つが、子どもがまだ小さかった頃は、たとえ一週間でも、私が出張することを、彼らは言うまでもなく嫌がった。早朝、戸口で泣きながら見送ってくれる子どもたちの姿を、振り返って見ようとすればもう行けなくなると知っていた。
 そんな一連の英国出張に伴うストレスフルな心境は、もちろん非常に個人的なことなので、学生たちに話したことはなかった。
この続きは明日に。